◆No.4 ど真ん中のストレート ~ 米多比鎮久(三左衛門)

文字数 1,622文字

関ケ原の戦い当時、家康に西軍最強の武将と恐れられた立花宗茂。そのひと世代前の時代、地元・九州筑前に将来を嘱望される3人の若者がいた。美丈夫で剣に長けた勇将・藤木和泉、軍師としての才能に恵まれた薦野弥十郎、そしてその二人を慕い、運命をともにする米多比三左衛門。三人の友情と姫君たちとの恋を描いた戦国の青春群像劇『立花三将伝』をもっと楽しむために、著者・赤神諒氏がウラ話を語る!

米多比三左衛門  立花家臣。のちに大友派。
イラスト:山田章博
■主な登場人物
藤喜和泉  立花家臣。鑑載派、のちに毛利派。
薦野弥十郎  立花家臣(のちに軍師)。鑑光派、のちに大友派。
米多比三左衛門  立花家臣。のちに大友派。
野田右衛門大夫  通称、右衛門太。立花家臣。のちに毛利派。
佳月  和泉の妹。のちに出家して桂月院に。
皐月  鑑載の娘。和泉、佳月の従妹。
立花鑑光  立花家、第六代当主。
立花鑑載  鑑光の養子。のちに立花家、第七代当主に。
藤喜監物  和泉の父。鑑載の腹心。
薦野宗鎮  弥十郎の父。鑑光派、のちに大友派。
安武右京  立花家の筆頭家老。鑑載派、のちに毛利派。
戸次鑑連  大友最高の将。のちの立花道雪。

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『立花三将伝』の主人公の一人、米多比三左衛門鎮久(?~1633)は

いくつかのエピソードが残っているものの、薦野増時ほどはわかっていません。

①1568年の<立花鑑載の乱>では弥十郎と行動を共にしていること、

②1623年に81歳で弥十郎の逝去から10年後に亡くなっていることから、

弥十郎より少し年下と見るのが穏当なところでしょう。



 戸次(立花)家生え抜きの家臣ではありません。

立花鑑載の乱を契機として、弥十郎とともに、道雪に仕えるようになりました。

道雪に愛されたらしく、その養女(妻の連れ子)を妻としています(系図参照)。

薦野家とはもともと同族で、城もすぐそばにあります。

もしよろしければ、このサイトの地図を参考に、聖地巡礼をどうぞ。

若い頃から同一行動をとっていますので、

史実でも弥十郎とは親しい仲だったでしょう。

薦野増時と違い、<鎮>の偏諱を受けていますので、大友宗家により近い立場にあったとも考えられます。それだけでは判断できませんが。



 三左衛門で一番有名なエピソードは、この物語のずっと後、主君の立花宗茂が離縁した妻で、道雪の一人娘である誾千代を預かった話ですね。

 三左衛門の妻が誾千代の異父姉だった事情も大きいでしょうが、宗茂の彼に対する信頼を端的に示す例でしょう。

 関ヶ原で立花家が改易になると、加藤清正に仕えていましたが、立花宗茂が柳川に返り咲くと、三左衛門は立花家に戻りました。



 『立花三将伝』では、まっすぐで善意に満ちた人物として設定していますが、あながち間違いではないと思います。

 でも、善人の善意こそが、心ならずも、運命の歯車を狂わせてゆく悲劇は、小説に限らずあるわけですね。



米多比城跡:米多比家の居城跡です。現在は須賀神社があって、展望が得られますよ。


写真提供:道雪会

赤神 諒(アカガミ リョウ)

1972年京都府生まれ。同志社大学文学部卒業、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了、上智大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。私立大学教授、法学博士、弁護士。2017年、「義と愛と」(『大友二階崩れ』に改題)で第9回日経小説大賞を受賞し作家デビュー。他の著書に『大友の聖将(ヘラクレス)』『大友落月記『神遊の城』酔象の流儀 朝倉盛衰記『戦神』妙麟』『計策師 甲駿相三国同盟異聞』がある。

第5回「『立花三将伝』のテーマ曲は?」は5月27日(水)UP!

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