『複眼人』呉明益/物語という名の手で掬われる(千葉集)

文字数 1,329文字

次に読む本を教えてくれる書評連載『読書標識』。

木曜更新担当は作家の千葉集さんです。

今回は呉明益の『複眼人』について紹介していただきました。

書き手:千葉集

作家。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。創元社noteで小説を不定期連載中。

「物語を書いてどうするの?」

「物語を書いて、ある人を助けるの」

太平洋上に渦巻く巨大なゴミだまりから分裂した、島のような一塊が台湾に迫ってくる。報道番組は皮肉と悲哀まじりにこう伝えていた。「大多数の人間は自分がこれまで使ったことのある物をこの巨大なゴミの渦の中に発見できるだろう」。


大学教授のアリスはそのニュースを動物病院で見る。拾った仔猫に予防接種を受けさせた帰りのことだ。彼女は先だってデンマーク人である夫と子どもを亡くしていた。登山中に行方不明になったのだ。


夫婦は海辺に家を建てていたのだけれど、周辺の海面上昇に伴い、満潮時刻になると出入りができなくなる「海の上の家」と化していた。


すべてが沈み流されていく。家も、感情も、存在さえも。


アリスはアトリという少年と出会う。ワヨワヨ島というところで生まれたアトリは、島のある掟によって十五歳くらいになったタイミングで海へと追放され、ゴミの島に漂着し、そのまま台湾に流れ着いた。


互いに家族を失ったふたりはぎこちないながらも親交を深めていき、やがて、アリスの夫と子どもが失踪した山の道をたどろうと試みる。


すでに国際的な名声を得ている呉明益だが、日本でもすっかり馴染み深い作家となった感がある。すでに紹介された『歩道橋の魔術師』(白水社)、『自転車泥棒』(文藝春秋)と同じく、本書でも「失われてしまったもの/ひとに対する想い」がフォーカスされ、それを経糸としてアトリが語り聞かせるワヨワヨ島の文化や神話、アリスの周囲の人間模様や思い出、環境問題といった事物が情感豊かに織り込まれていく。


途中から、アリスは長い間離れていた小説の創作に立ち戻る。それは作中作として提示され、ある仕掛けもほどこされている。アトリは訊ねる。


「何を書くの?」


アリスはこう応える。


「かつてあったこと、でも本当はなかったかもしれないこと」


かつてあったが、本当はなかったかもしれないこと。それはフィクションの本質のひとつであるかもしれない。背反する性質が二重にかさなかった状態でしか語りえないことは案外多い。たとえば、日々失われ、削られていくような日常に漂う人間の気持ちとか。


ちなみに、本作は英語圏ではよく村上春樹と比較されたそうだ。アジアの作家についてのリファレンスが貧困なのだといえばそこまでなのだろうが、なるほどしかし、あらかじめ失われてしまったものに対するノスタルジーという点では重なる部分もあるのかもしれない。そこのあたりは作家同士のミクロな共通性よりは、日本と台湾の地理的な気分の類似によるのだろう。


海という、巨大な洗浄装置に記憶も土も洗い流されてきた島同士の。

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