〈7月6日〉 東山彰良

文字数 1,471文字

 父のように


 心臓も前立腺も悪い父は、台湾と日本の両方で治療を受けている。その父が台湾へ帰省していた四月に、例の緊急事態宣言が出された。
 あれよあれよという間に日本と台湾の定期航空便はキャンセルが相次ぎ、ぱったりと往来が途絶えて早や三ヵ月が経とうとしている。母にしてみればこれほどの長期間、父と離れて暮らすのは前代未聞のことだ。父の身を案じて一日も早く台湾へ帰りたいと愚痴るのだが、飛行機が飛ばないのだから誰にもどうすることもできない。牽牛と織女でさえ、明日の逢瀬は諦めているはずだ。いっぽうの父はじつにさばさばしたもので、たまに国際電話をかけてきては、たとえこれが今生の別れになったとしても嘆き悲しむことはないなどと(うそぶ)いているそうだ。
 台湾で暮らしていたガキの時分から、私は死というものが恐ろしくてならなかった。そのせいかよく周りの大人たちをせっついて、戦争の話や『(りょう)(さい)()()』に出てくる怪談話をしてもらった。たぶん子供なりに少しでも彼岸のことを理解したかったのだと思う。大人たちはこう言って幼い私を慰めた。死ぬことなんか怖くもなんともない、閻魔大王に呼ばれたら行くしかないし、良い子にしていれば怖いことなんかなにもない。
 私の見るところ、私の上の世代の大人たちは誰一人として死を恐れているふうではなかった。いくつもの戦争を戦った豪放磊落な祖父が死など恐れるに足らずと言うのなら話はわかる。ヤクザ気質の伯父が死を笑い飛ばすのも理解できる。だけど一生学問と詩にかまけてきた父でさえ、そう思っているふしがあるのだ。いつお呼びがかかってもおかしくないのに、今日はなにをしていたのと母に尋ねられれば、テレビで映画を三本観たと言ってあっけらかんとしている。
 小説を書いていてうしろめたくなるのは、自分の言葉を自分自身が本当に信じているのかどうか確信が持てなくなるときだ。証明することを求められない言葉たちは、やはりどこかうつむき加減なのだ。百害あって一利なしと言うけれど、私にとってはこのコロナの時代にもちゃんと一利はあった。少なくとも、死に対する父の真の態度を垣間見ることができたのだから。父が冗談交じりで母に言ったことがたとえ現実になったとしても、父はやはり肩をすくめてこう言うだろう。你又能怎麼様(どうしようもないだろ)?
 やすやすと試練を乗り越えていく言葉に出会ったとき、私はいつでも慰められる。思うに、やり残したことがどれだけあるかなのだ。私には息子がふたりいるが、彼らがすっかり自立した暁には、私もやっと父のように死に対しておおらかになれるのかもしれない。


東山彰良(ひがしやま・あきら)
1968年台湾生まれ。5歳まで台北で過ごし、9歳の時に日本へ。2002年「タード・オン・ザ・ラン」で第1回「このミステリーがすごい!」大賞銀賞・読者賞を受賞。2003年、同作を改題した『逃亡作法TURD ON THE RUN』で作家デビュー。2009年『路傍』で第11回大藪春彦賞受賞。2013年刊行の『ブラックライダー』が「このミステリーがすごい!2014」第3位。2015年『流』で第153回直木賞、2016年『罪の終わり』で第11回中央公論文芸賞、2017年刊行の『僕が殺した人と僕を殺した人』で第34回織田作之助賞、第69回読売文学賞、第3回渡辺淳一文学賞を受賞。

【近著】

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