地底の中心で、お笑い愛を叫ぶ コップ・よねしろ

文字数 4,185文字

頂点に輝く王者の足元には、無数の敗者達の影がある――とはよく言うが、いやいやちょっと待った! 敗者どころではない、その下にはさらに「地底の世界」が広がっていることを君は知っているか。そして、そんな「地底」にも確かなドラマは存在する!

コップ・よねしろさんが綴る、魂のお笑い人生エッセイをご賞味あれ!

地底の中心で、お笑い愛を叫ぶ

 あなたは本当の負け顔を見たことがあるだろうか。


 勝者がいれば敗者もいると人は言うが、通常見える範囲にいる、明るいところにいる敗者は本当の意味で敗者ではない。


 敗者というアイデンティティを持つことさえ許されない、真っ暗で陰惨な、全く光が当たらないところに、本当の敗者はいるのだ。



 おっと、話の前に少しだけ自己紹介を。

 メディアに出ておらず、小さいライブハウスを主戦場にする芸人は「地下芸人」と呼ばれる。最近は地下出身の売れっ子芸人も出始めたため、その地位が向上し、ブレイク寸前、知る人ぞ知る、青田買い、そんなポジティブな意味すら持ち始めている。


 だが、そんな地下芸人よりもさらに下に、誰も知らない知られちゃいけない、「地底芸人」なるものが存在する。出るライブが無さ過ぎてエントリー料という名目で2000~3000円のお金を出演のたびに搾取され、非正規雇用で薄給激務な毎日を死んだ眼で送り続ける悲しき段ボーラー予備軍、それが「地底芸人」である。


 雨上がりの公園で、大きめの石をひっくり返したら蠢いている虫、とほぼ同義である。

 そんな社会の歯車にもなれない有象無象の集まりの中に、ぼくはいる。



 だが、そういった地底にいるのか地獄にいるのかわからない穀潰し芸人にも、とてつもなく大きな希望を抱かせてくれる、人生を一発逆転できる夢のドリーム大会がある。

 そう、それがご存じ「M‐1グランプリ」だ。


 もはや説明する必要もなかろう。M‐1グランプリは、日本一面白い若手漫才師を決めるコンテスト。優勝はもちろんのこと、決勝に進むだけでも凄すぎて翌日から売れることが約束されるという、若干バグめいた年末の国民的お笑い番組である。


 毎年数千組の漫才師がエントリーし、決勝進出を果たせるコンビは9組。

 地上波のゴールデンタイムに放送される決勝では、敗者復活戦からの勝ち上がりも含めて10組の漫才が披露され、優勝コンビ以外は必然的に1回は負けてしまうことになるのだが、そんなのは勿論負けではない。勝ちだ。スーパー勝ち。末代まで自慢して良いくらいの大勝ちだ。

 たまにM‐1決勝で見た誰々の漫才が面白くなかった、なんてSNSなどで言われていることもあるが、ちゃんちゃらおかしい。おかしすぎて大草原どころか大森林不可避である。

 数千組の中の上位10組なんて面白くない訳がない。そういう人は目ん玉かっぽじってもう1回よーく見てほしいと思う。


 そんな凄腕の芸人たちだけでなく、ぼくみたいな地底芸人でも、漫才のために燃やしているその熱い命がありさえすれば、エントリーをさせてくれる門戸の広い優しい大会が、このM‐1グランプリなのだ。



 そんなわけでありがたく2000円のエントリー料を払って毎年参戦させていただいている訳なのだが、2020年、地底芸人であるぼくを地底よりももっと下、マントルまで叩き落として地殻変動でも起こしてしまうかのような、とんでもない緊急事態が発生してしまった。


 ぼくを叩き落とした張本人の名は、「逆M‐1グランプリ」。

 ぼくは、そこで決勝進出コンビとしてノミネートされてしまったのだ。



 逆M‐1グランプリとは、M‐1グランプリが日本一面白い若手漫才師を決める大会なら、読んで字の如くその逆で、日本一面白くない漫才師を決めようという、ナイツ・塙宣之さんのYouTubeチャンネルで行われている大会である。


 審査方法はいたってシンプル。

 まず、出場者は、2019年のM‐1グランプリのエントリーが5040組で、2回戦に進んだのが1202組だから、3838組の1回戦敗退コンビすべてだ。といっても、全組のネタを見て審査するのは物理的に不可能なので、下記の条件で絞られる。



・事務所に所属していないフリーのコンビ

・お笑い界では「ん」と「し」の付くコンビが売れるというジンクスがある。それを踏襲していないやつのほうが「面白くない」だろうということで、ふるい「上げられ」る

・さらにそこから、塙さんの独断と偏見で面白くなさそうな32組を選出。これを準決勝進出とする

・さらにその32組の中から、ネットにネタ動画を上げていた9組が決勝進出する



 そしてそこから勝ち上がった決勝進出組のネタ動画を、塙さんを始め中川家・礼二さんやますだおかだ・増田英彦さんなど、錚々たるお笑い界のスターが採点して、「面白くない」頂点(底辺?)を決める。


 ぼくらのコンビ名は「コップ」。

 なんなく1回戦を突破したぼくらは、その後も破竹の勢いで、トーナメントを勝ち下がっていくことになった。



 逆M‐1決勝進出の知らせは、たしか、小さな劇場でいつものようにライブに出た日、知り合いの芸人から教えてもらったんだとおもう。


 自分の身に危険が迫ったときの人間の能力とは凄まじいもので、「塙さんのYouTubeチャンネル見ました? 逆M‐1っていう大会でコップさんが決勝に進……」くらいまで聞いたところでぼくは全てを察知し、全身の血の気が引いて五感の全てがぼんやりと自分の物ではなくなっていく感覚がしたのを、ハッキリと覚えている。


 伝えてくれた芸人は、放心して虚空を見つめるばかりのぼくを慮ってか、その後は少し大袈裟に、ぼくが面白くない漫才師とされたことに怒り、同情し、悲しみ、そしてフォローしてくれた。でも、何を言ってくれたかは、全然覚えていない。「面白くない漫才師のファイナリスト」という言葉のインパクトの前には、どんな優しい言葉も、意味を持たなかった。



 で、だ。

 ここで話は最初の文章に戻る。

 本当の負け顔とは一体何か──。

 その答えは、逆M‐1グランプリの決勝に残ったことを知ったその日、楽屋の大部屋においてあった鏡の中の、己の表情にあった。


 人は完全な敗北を喫したとき、悔しさが入り込む隙がないほどに、無になる。

 勝利の反対は敗北ではない、無だ。悔しがることすら、おこがましい。

 悔しい負け顔を見せることすら許されない、もはや存在すらもぼやけてしまった輪郭の中にかろうじて浮かび上がる、人の顔をした物体──。

 楽屋の喧騒がしだいに遠のいていく。

 その日、ぼくは、ぼくでいることができなくなった。



 さらに悪いことは続く。

 相方からコンビを解散したい旨を告げられたぼくは、漫才師でいることもできなくなった。

 それから失意のどん底にいたぼくを見かねて拾ってくれた別のコンビに加入することとなり、なんとか再出発を図るものの、己の身勝手でそのトリオをあっけなく脱退。とんでもない迷惑をかけてしまったという自責の念にかられ、日がな一日お布団から出ずに天井と大好きなプリキュアを眺め続ける生活を送る日々。もっとも、そんな状態でも自動的にお腹とお金は減るもので、食い扶持を稼ぐためのフードデリバリーサービスで、泣きながら原付を走らせ、自分よりも年下の金持ちにメシを届けては、目的もない、やりがいもない、そんなどうしようもない毎日をただ繰り返した。



 だが、そんな生活が1年ほどたったある日、惨状を見かねたのか、救いの手を差し伸べる人物が現れた。

 だれあろう、元相方だ。


 久々に顔を合わせた元相方に誘われて、回転寿司のスシローで話をしていると、彼は突然、

「もう1回、俺らのザイマンちゃん、やってみるか」

 と笑顔で言ってきた。

(クソダサい言い回しだな)

 心の中で思わず突っ込んだ。だいたい自分から解散を切り出しておいて再結成したいって、どの口が言ってるんだよ、という台詞が喉元まで出かかった。

 でも、断るにせよ、承諾するにせよ、とにかく強気になれないぼくは、

「自分はお笑いに向いていないから……」

 などと元相方に負けず劣らずのクソダサ台詞を吐いて、再結成の誘いをやんわりと断ってしまったのだ。



 それから数ヵ月があっという間に経った。

 忸怩たる思いを抱え続けながら、原付を走らせ続けたある日のこと。たまたま、ほかの逆M‐1グランプリの決勝進出者たちと顔をあわせる機会があった。

 あれは僕がウーバーイーツでヘトヘトになって西武新宿駅周辺で休んでいると、たまたま地下ライブ終わりの「逆M‐1決勝芸人」に出くわしたのだった。

 僕は勇気を振り絞って当時の気持ちを問い質した。すると、彼らは全員、「売れていない自分らのネタをM‐1決勝進出した方々に見てもらえて、採点してもらえたなんて光栄すぎる」と口々に話し出すではないか!


「え、みんなそっちなの……?」


 いや、考えてみれば、そうあるべきだ。

 逆M‐1グランプリは、芸人の芸人による芸人のための大会。芸人たるもの、自分たちが日本一面白くない漫才師候補になったとはいえ、「おいしい」とか、「これをキッカケに有名になる」とか、「もしかしたらナイツ塙さんにお会いできるかも!」とか、そんな転んでもただでは起きない気概や、あの状況をいかに笑いに変えられるかが問われていたのだ。少なくともぼく以外の芸人は、そう理解していた──。


(ああ、ぼくは、そもそも芸人になりきれていなかったんだ)

 情けなくなると同時に、逆M‐1グランプリファイナリストの呪いから解放されたぼくは、ふと、もう一度お笑いに真剣に向き合いたい気持ちに捕らわれた。

(まだ、やれることがある)

 後日ぼくは、高円寺の喫茶店でまたも再結成を打診してきた元相方に、承諾の返事をした。



 まさにこの文章を書いている翌日、ぼくたちはM‐1グランプリの1回戦をこれまでにない覚悟と笑顔で迎える。


「あなたたちなら大丈夫。自分を信じて、お互いを信じれば、道は開けるわ」

『デリシャスパーティ♡プリキュア』、心から本当にありがとう。

よねしろ

1986年生まれ、北海道出身。2018年、相方の三国レストランとお笑いコンビ「コップ」を結成。ウーバーイーツで生計を立てながら、日夜、都内を中心とした地下ライブ劇場に立ち続けている。

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