『ヴィンテージガール』文庫刊行記念書下ろしエッセイ/川瀬七緒

文字数 1,943文字

着衣はすべてを知っている  川瀬七緒


 衣類のシワやヨレ、布地についた毛羽立ちや地の目の歪みなどを見れば、着ていた者の健康状態はもとより暮らしぶりまでもわかってしまう。


 これはヴィンテージガールの主人公、桐ヶ谷京介の特技である。一見するとすべてを見通す特殊能力のように感じるかもしれないが、これはまぎれもない技術だ。


 私は以前、服飾関係の仕事をしていた関係上、衣類や布地と接する時間が人よりもはるかに多かったと思う。そこでの経験が本作の軸となり、仕立屋探偵が生まれたきっかけにもなっている。


 おそらく深く考えたことのない方がほとんどだと思うが、この世に生まれてから死ぬまで、私たちは一日も欠かさず布をまとい続けている。もはや呼吸するのと同じレベルにあるものだが、あたりまえすぎて特に意識することはない。実は、この部分こそが物語にとって重要だ。無意識下で身体を包んでいる衣類は、着る者の癖や行動を忠実にコピーしてしまうからだ。


 さて、仕立屋探偵である。主人公の桐ヶ谷は服飾の技術に通じていることに加え、美術解剖学を学んでいた過去をもっている。もともと服飾と解剖学は切っても切り離せない関係があり、身体の構造を軽視して作られた服は、実に着心地の悪いものになる。量産品があふれる現代ならば、着づらい服を買ってしまった経験が一度や二度はあるだろう。


 ここで知っていただきたいのが職人の存在だ。作中にも登場しているが、意固地なまでに技術にこだわる彼らは、身体の負担にならない服作りしか知らない。着る者の癖や特徴を当然のようにパターンと縫製に反映させ、そして服に写し取られた着用者の情報を正確に読み取ることができるのだ。


 私はひどい肩こりと偏頭痛もちなのだが、何も話さないうちからそれを言い当てた職人がいた。着衣のとある場所に出るシワを見ればわかると言っていたが、まるでホームズのような洞察ではないか。このあたりは作中の描写にあるのでぜひ読んでもらいたいのだが、彼らの鋭さはすべて一級品の技術に裏打ちされたものなのだ。

 

 そしてヴィンテージガールでもうひとつ重要なのが、犯罪捜査の可能性という部分だろうか。日本では長らく科学捜査が採用され、凶悪犯罪の検挙率も高い。一方で未解決事件も多く、時間が経過してしまった事件解決の難しさが浮き彫りになっている。もし警察にとって価値のない物証のなかに、実はかなりの情報が埋もれているとしたらどうだろうか。それを読み解ける人間がいるとしたら?


 あらゆる分野でひっそりと消えようとしている確かな技術の使い道は未知数だ。桐ヶ谷京介はその息を吹き返させるべく奮闘し、行く末をまっすぐに見つめている。


 さまざまな思いをこめ、ヴィンテージガールを送り出した次第である。

服を見ればその人のすべてがわかる──

被害者の痕跡に寄り添って未解決事件の真相に迫る、乱歩賞作家の新機軸クライム・ミステリー!

東京の高円寺南商店街で小さな仕立て屋を営む桐ヶ谷京介は、美術解剖学と服飾の深い知識によって、服を見ればその人の受けた暴力や病気まで推測できる技術を持っていた。そんな京介が偶然テレビの公開捜査番組を目にする。10年前に起きた少女殺害事件で、犯人はおろか少女の身元さえわかっていないという。さらに、遺留品として映し出された奇妙な柄のワンピースが京介の心を捉える。10年前とは言え、あまりにデザインが時代遅れ過ぎるのだ。京介は翌日、同じ商店街にあるヴィンテージショップを訪ねる。1人で店を切り盛りする水森小春に公開捜査の動画を見せて、ワンピースのことを確かめるために。そして事件解明に繋がりそうな事実がわかり、京介は警察への接触を試みるが……。

川瀬七緒(かわせ・ななお)

1970年、福島県生まれ。文化服装学院服装科・デザイン専攻科卒。服飾デザイン会社に就職し、子供服のデザイナーに。デザインのかたわら2007年から小説の創作活動に入り、’11年、『よろずのことに気をつけよ』で第57回江戸川乱歩賞を受賞して作家デビュー。’21年に『ヴィンテージガール 仕立屋探偵
桐ヶ谷京介』(本書)で第4回細谷正充賞を受賞し、‛22年に同作が第75回日本推理作家協会賞長編および連作短編集部門の候補となった。また‛23年に同シリーズの『クローゼットファイル』所収の「美しさの定義」が第76回日本推理作家協会賞短編部門の候補に。ロングセラーで大人気の「法医昆虫学捜査官」シリーズには、『147ヘルツの警鐘』(文庫化にあたり『法医昆虫学捜査官』に改題)から最新の『スワロウテイルの消失点』までの7作がある。ほかに『女學生奇譚』『賞金稼ぎスリーサム! 二重拘束のアリア』『うらんぼんの夜』『四日間家族』など。

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