第91回

文字数 2,418文字

油断ならない日々がつづく。

めちゃくちゃ安全な自室にひきこもって過ごそうよ。


脳内とネットでは饒舌な「ひきこもり」の代弁者・カレー沢薫がお届けする、

困難な時代のサバイブ術!

先日私のルーツというか分裂元である父親の話をした。

私の筆力では父の様子のおかしさの5億分の1も伝えられなくて歯痒いのだが、それでも「思ったよりヤバかった」という感想をいただけたので、父も草葉の手前の一般病棟で喜んでいるだろう。


そんなわけで、去年風呂場で倒れているところを発見され病院に運び込まれた父親だが、無事意識を取り戻し、現在はリハビリをしているらしい。今のところ自宅に戻るめどは立っておらず、今年の正月の集まりは父親抜きとなった。


御年92歳ぐらいの祖母を差し置き父の方が先に離脱するという大番狂わせだが、近年、ババアと父を並べてどちらがよりリアル彼岸島に近いかと言われたらハナ差で親父の方が先に到達しそうではあった。


ネット広告で見る「20代に見える48歳」は大体フォトショップだが、老になると無修正で96歳にしか見えない72歳など、平気で20歳ぐらいこちらの目を欺いてくる。

成長スピードにも個人差はあるが、それよりもヨボり速度の方が個人差が大きく、70代で足腰が立たなくなる者がいる一方で、新聞の広告欄に必ず一つはドサクサに紛れて入りこんいる精力剤を見逃さない、足腰以外を勃たせることにも余念がない70代もいる。


このヨボり速度は、若い頃の生活習慣で決まるといわれている。

つまり若い頃の不摂生が老になってから「これは深夜二時に食ったラーメン二郎の分!」と自らの体に借りを返しにくるのである。


おそらく、ひきこもり生活はこのヨボり速度を加速させると思われる。

老化を防ぐのは規則正しい生活と運動、そして他人との会話だが、どれもひきこもり生活では不足しがちなものである。

よって、いかに壁を他人に見立てて会話できるかが重要になってくる。まずは壁や天井に人の顔に見えるシミがないか探してみよう。見つかったら次は名前をつける、これでグッと話しかけやすくなる。


実際、対面に鏡を置き自分の顔を見ながら飯を食うと、孤食の孤独感が和らぐという結果が出ているらしいので、自分の顔より美人のシミを見つけられればこの問題は解決だ。


母談によると父が急に彼岸島に急接近したのはコロナの影響で父の趣味であるコーラスなどに参加できなくなったかららしいので、残念ながら「外に出て他人と話す」という行為が心身の健康に大きく関係することは否めない。

よってひきこもりにとって「無機物を人に見立てて喋る能力」は必須といえる。

そういう意味では、抱き枕とデートしたり、どこに行くにもぬいを連れて行っているオタクにはひきこもりの才能がある。


そんなわけで今年の正月は父親が不在だったのだが、いないせいなのか、話題は父親のことばかりだった。


先日母に会った時は「そこまで家に帰りたがっている様子ではない」と聞いていたので、私の分裂元ともあろう者が己の巣穴に帰りたがらないとは、親父も本気でヤキが回っちまったなとやや悲しい気分になった。

しかし、後日話を聞くと「割と帰る気満々」であり、どのくらい帰る気があるかというと「明日にでも帰る」勢いだったらしい。


それに対して母親は「どこに帰ってくるつもりだ」と言ったらしい。これは立場的に「お前の居場所はない」という意味ではなく、前にも話したが我が実家は父コレ(父のコレクション)で大半の部屋が潰れており、他の家族は寝るスペースすら危うい状況なのだ。

だが、父は他の家族の寝場所を奪うだけではなく、己の分も奪うという公平ぶりだったため、70過ぎても一年中出しっぱなしにしているコタツで寝るというセルフ虐待を行なっていた。


しかし、流石に今の体で戻ってきた上にコタツで寝起きというのは無理である。よって物理的な意味で母は「どこに帰ってくるんだ」と聞いたのだ。


普通に考えれば、出しっぱなしにしているコタツほか、部屋を占拠しているものを片付け、そこにベッドを置くなどが現実的だが、父の構想は「現在兄がいる部屋に布団を敷いて寝る」であった。


帰ってくる気だけでなく、まだ他の家族のスペースを奪う気満々なのである、彼の征服王としての魂はまだ消えていない。


しかし、そんな父に家族全員呆れつつも「いつも通りで安心した」という空気が漂っていたのも事実である。


父のすごいところは、紛れもない厄介な人にもかかわらず、家族の誰にも「あのままくたばれば良かったのに」と言われてないところである。

口に出さないだけかもしれないが、割とみんな「でも生きてて良かったね」みたいな感じであり、私も同意見である。


残念ながら、ひきこもりというのは期間が長くなるほど家族からは厄介がられ、実の親兄弟にすら早くくたばってもらえないだろうかと思われがちなところがあり、それが待ちきれなくなった家族により事件が起きることもある。


いくら健康に気を使い、壁のシミと小粋なジョークを交えながらしゃべれるようになっても、家族に金属バットで殴られれば死んでしまう。


つまり、ひきこもりに必要なのは、厄介なのに周囲に殺意を抱かれない「愛嬌」である。


確かに私のひきこもり方は父に比べて、ユーモアが欠けている気がしてならない。


「もっとチャーミングにひきこもる」

これが今年の目標だ。

カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。長州出身の維新派。漫画作品に『クレムリン』『アンモラルカスタマイズZ』『ニコニコはんしょくアクマ』『やわらかい。課長 起田総司』『ヤリへん』『猫工船』『きみにかわれるまえに』。エッセイに『負ける技術』『もっと負ける技術』『負ける言葉365』『猥談ひとり旅』『非リア王』など。現在「モーニング」で『ひとりでしにたい』連載中&第1巻発売中。最新刊『きみにかわれるまえに』(日本文芸社)も発売中

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