大坂冬の陣 完全ガイド③

文字数 1,630文字

日本の歴史に残る有名な合戦を活写&深堀りして大好評の矢野隆さんの「戦百景」シリーズ

第7弾は、戦国時代の終焉を飾る大合戦を描いた『戦百景 大坂冬の陣』です!


「戦百景」シリーズとは…

第1弾『戦百景 長篠の戦い』は「細谷正充賞」を受賞!

第2弾『戦百景 桶狭間の戦い』

第3弾『関ヶ原の戦い』

第4弾『川中島の戦い』

第5弾『本能寺の変』

第6弾『山崎の戦い』

と、有名な合戦を深堀りしてリアルタイムで描く、矢野隆さんの人気シリーズ!


今回は、関ケ原の戦いから大坂冬の陣までを時系列で追ってみます!

「関ヶ原」後に一大名に転落した豊臣家。

それでも家康は満足しなかった!


加藤清正らの尽力で実現した、徳川家康と豊臣秀頼の会見。

だが、そこから東西の仲はますます悪化し……。


★摂津・河内・和泉の3ヵ国の領主に収まりかけた豊臣家。淀はそこに留まるつもりはなかったのか。

家康が豊臣を滅ぼす決意をしたターニングポイントとは!?

関ケ原の戦いから大坂冬の陣までを時系列で追ってみました。


1600   関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、豊臣家は220万石から65万石に減封

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1603   徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開く

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1605年   家康が将軍職を嫡男・秀忠に譲り、権力を世襲することを表明

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1611   豊臣秀頼と家康が二条城で会見。その後、加藤清正や浅野長政ら豊臣恩顧の有力武将が相次いで病死

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1614年8月  方広寺鍾銘事件が勃発。豊臣は釈明のために片桐且元、大蔵卿の局を家康のもとへ派遣

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同年   10月  東西の和平はならず、且元は大坂城から追放。ついに大坂の陣へ

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同年   11    木津川口の戦い、鴫野・今福の戦い、博労淵の戦い、野田・福島の戦い、さらに翌月に真田丸の戦いが起こる

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同年   12 徳川方が砲撃を開始し、大坂城本丸に被害。一気に和平へ

慶長19年(1614年)大坂冬の陣 布陣図
地図制作/ジェイ・マップ
戦国時代の終焉を飾る大合戦。

徳川vs豊臣、そして真田信繁、伊達政宗、上杉景勝、松平忠直らの戦場内外での陰謀や思惑を深掘り!

慶長16年(1611年)。関ヶ原の戦いから11年が経っていた。徳川家康は、後水尾天皇即位を口実に孫婿でもある豊臣秀頼を上洛させ二条城での会見を果たす。70歳になった家康は、19歳の秀頼に我が身の老いを思い知らされ、また世継ぎで二代将軍の秀忠との器を比較して心の闇に囚われてしまう。なんとしても豊臣家を滅ぼさねば。このときすでに、真の意味での大坂の陣ははじまっていたのだ。そして3年後の慶長19年(1614年)、豊臣家が家康を呪ったとされる「方広寺鍾銘事件」が起こる。なんとか東西の手切れを食い止めようとした、秀頼の傅役・片桐且元の奔走も空しく、徳川と豊臣の両勢力は戦への道を突き進んでいった。豊臣恩顧の武将たちも代替わりし、浅野や蜂須賀など豊臣のもとに参じる武将は皆無。他方、大坂城内は関ヶ原で敗れた西軍くずれの牢人たちで溢れていた。その中には真田信繁や後藤又兵衛の顔もあった。かくして天下の決着をつける大戦の火蓋は切られた……。

矢野隆(やの・たかし)

1976年福岡県生まれ。2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞。その後、『無頼無頼!』『兇』『勝負!』など、ニューウェーブ時代小説と呼ばれる作品を手がける。また、『戦国BASARA3 伊達政宗の章』『NARUTO-ナルト‐シカマル新伝』といった、ゲームやコミックのノベライズ作品も執筆して注目される。また2021年から始まった「戦百景」シリーズ(本書を含む)は、第4回細谷正充賞を受賞するなど高い評価を得ている。他の著書に『清正を破った男』『生きる故』『我が名は秀秋』『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』『大ぼら吹きの城』『朝嵐』『至誠の残滓』『源匣記 獲生伝』『とんちき 耕書堂青春譜』『さみだれ』『戦神の裔』『琉球建国記』などがある。

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