「ミステリ作家が一日でやってくれました」解決編7万字の話/阿津川辰海

文字数 1,981文字

20代の若手ミステリ作家で今最も注目されている阿津川辰海さんが、新刊『蒼海館の殺人』を刊行! 阿津川さんといえば、2019年刊行の『紅蓮館の殺人』が、本格ミステリ・ベスト10で3位ランク・インをはじめその年のミステリ・ランキングを席巻、2020年刊行の『透明人間は密室に潜む』は、本格ミステリ・ベスト10──1位・このミステリーがすごい!──2位・週刊文春ミステリーベスト10──2位・ミステリが読みたい!──3位と、数々のミステリ・ランキングの上位に輝き、ミステリファンの熱い視線を浴びている話題の作家です。そんな阿津川さんに、『蒼海館の殺人』執筆の裏話を語っていただきました。

 中盤以降の初稿は、一日で書き上げました。


 漫画『DEATH NOTE』の「ジェバンニが一晩でやってくれました」みたいですが、自分でも驚くことに本当のことなのです。


 昔から、「解決編は一晩で書き上げる」という目標を掲げていました。というのも私は学生時代ミステリを読む時、解決編に差し掛かったら我慢できずに一気に読んでいたからです。そのドライブ感を生み出すには、書く側も一気にいかなくては、と思っていました。小学生時代から書いていたものは、短いものが大半だったので、そういう形で書けていました。


 今でも短編の解決編は休日の時間が取れるときに、一息で書き上げることにしているのですが、長編はさすがにそうもいきません。『名探偵は嘘をつかない』では最終2章がまるまる解決編にあたりますし、『星詠師の記憶』は構図を振り返りながら細部を詰めるのに必死。『紅蓮館の殺人』にいたっては、厳密に「解決編」というわけでないにしても、後半150ページくらいはずっと謎解きで話を駆動するようにしています。そうなると一晩で書き上げるのはさすがに難しい。


 ところが、『蒼海館の殺人』は、あれだけの大部にもかかわらず、第四部以降、作品の250ページ分にあたる部分の初稿を、一日で書き上げました。当時の文字数にして、約7万字。


 もちろん、完成版に至るまで四回ほど直しているので、完成版の解決編が一日で完成したとは言いません。初稿はまだ粗削りで、演出が整理されきっていないところや、伏線のフォローも足りていないところがあり、余詰めも不十分。そのあと何度も手を入れ、分量も増えています。しかし、トリックや構成、メインのロジックは初稿から全く変わっていません。


 あの時自分を突き動かしていたものが何なのかは、今となっては分かりません。第一章に、鬱に入った語り手・田所信哉のエピソードとして書いたのと同様に、「そうすることでしか、夜を越えることが出来なかった」という心持ちだったのかもしれませんし、一刻も早く『蒼海館』のクライシスな世界線から解放されたかったという後ろ向きな気持ちなのかもしれません。


 しかしその甲斐もあってか、熱量に満ちた解決編にはなっていると思います。ゲラで出稿して読み直した時、自分でもびっくりしました。


 まあともあれ、あんな熱量はこれからどんどん出力できなくなっていくでしょうし、あんまりやると体を壊しそうなので、次の長編はもっとゆっくり出力したいところ。


 今回の『蒼海館』は『紅蓮館』を執筆中に、対称をなす作品として構想が膨らんでいた作品です。『紅蓮館』がほどほどにヒットしてくれれば書けるかもなあというぐらいの気持ちでいたのですが、まさかこんなことになるとは思ってもみませんでした。読者の皆様のおかげです。


 イギリスのミステリ作家、アン・クリーヴス〈シェトランド四重奏〉では、春夏秋冬の四作を出した後、地水風火モチーフの四作が現在邦訳中(『水の葬送』『空の幻像』『地の告発』”Wild Fire”)。『紅蓮館』というタイトルとモチーフを決めた時に、『シャム双子の謎』『月光ゲーム』の“炎”(『月光ゲーム』は噴火ですが)に引っ掛けると同時に、クリーヴスも意識していたのでした。無事、「水」を達成したので、残りの「地」「風」をなんらかの形で実現し、せめて〈館四重奏〉と言えるようにはしたいと思っていますが、どうなることやら。次のアイデアもぼんやり決まっていなくはないのですが。


 ともあれ、今は『蒼海館の殺人』です。穴がないとは言いませんが、今出来ること、思いつくことは全て投入した作品になっていると思うので、よろしくどうぞお願いいたします。

阿津川 辰海(アツカワ タツミ)

1994年東京都生まれ。東京大学卒。2017年、新人発掘プロジェクト「カッパ・ツー」により『名探偵は嘘をつかない』(光文社)でデビュー。以後、『星詠師の記憶』(光文社)、『紅蓮館の殺人』(講談社タイガ)、『透明人間は密室に潜む』(光文社)を刊行し、それぞれがミステリランキングの上位を席巻。’20年代の若手最注目ミステリ作家。

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