ここでしか読めない『スモールワールズ』一穂ミチさんの特別掌編

文字数 1,558文字

一穂ミチさん『スモールワールズ』が、文庫になりました!

2022年本屋大賞第3位第43回吉川英治文学新人賞受賞の超話題作です。

文庫化を記念して、単行本刊行時に特別に書下ろしていただいた掌編を再掲載!

treeでしか読めません!


スモールワールズ公式HPhttps://smallworlds.kodansha.co.jp/

写真:下村しのぶ/立体:北原明日香

「えっ、おでんの次の日ってカレーにしないの?」

「しないよ、何それ」

「おでんの残った出汁で和風カレーにするの、うまいよ。おでんの時はむしろ後に控えてるカレーが楽しみだったくらい」

「へえ。じゃあ、カレーの次の日は?」

「カレーうどん」

「うちはドライカレーだなあ」

「異文化だよな。お雑煮とかもだけど、思わぬところで争いが生まれたりする」

「そうそう、クリームシチューとご飯食べるか、とか」

「え、食べるでしょ。白飯にかけるとうまいよ」

「え、食べないでしょ。パン屋さんでおいしいバゲットを買ってくるの」

「……さっそくだな」

「言わんこっちゃない、っていうね」

「『よそはよそ、うちはうち』って深い言葉だよなあ」

「小さい頃、親から一回は言われるやつね」

「うちは自営業だったから、土日遊びに連れてってもらえなかったし、ちゃんとしたスーツ着ずに働いてる父親が恥ずかしかった」

「うちのお父さんは激務で、一緒にごはん食べた記憶すらほとんどなかったよ。家にいてくれるお父さんが欲しかった」

「ないものねだりだな」

「でも、仮に取り替えてもそれで円満っていうわけじゃないんだよね」

「完ぺきな『円満』なんてないんだよな」

「あれでしょ、四人家族で子どもは男女ひとりずつ、一戸建てで車あり、犬を飼ってる……みたいな。電気料金の目安の『標準家庭』ってやつ」

「そう、CMに出てくるみたいな、嘘くさいの」

「もし、同じ構成の家庭に『円満ですか?』ってアンケート取ったらどうなるんだろうね」

「そんなアンケートごときに本音書かないだろ」

「ああ、だよね。家のことって、お雑煮の味つけくらいしか気軽に言えないかも。何かブレーキかかっちゃう。『よそはよそ』ってそういうことでもあるのかなあ。それで、外では平気な顔して、苦しさやつらさを我慢してる人がきっといっぱいいて……」

「急に黙りこくったな。怖くなった?」

「そりゃ、怖いよ。お互いさまでしょ」

「うん」

「でも同じくらい楽しみだよ。一緒に、どんな『うち』を作るんだろうって。おでんの味も、カレーの味も、わたしの家でもあなたの家でもないものになっていくはずだからーー駅、着いたね、じゃあ、あした、よろしく」

「うん。『うち』で過ごす最後の夜、楽しんで」

「おう、お前もな!」

「お前って言うな、おやすみ」

「おやすみなさい」

あしたから、よろしく。


公式HP:https://smallworlds.kodansha.co.jp/


一穂ミチいちほ・みち)

2007年『雪よ林檎の香のごとく』でデビュー。『イエスかノーか半分か』などの人気シリーズを手がける。『スモールワールズ』(本書)で第43回吉川英治文学新人賞を受賞し、2022年本屋大賞第3位となる。『光のとこにいてね』が第168回直木賞候補、2023年本屋大賞にノミネート。『パラソルでパラシュート』『うたかたモザイク』『砂嵐に星屑』など著作多数。

2022年本屋大賞第3位 

第43回吉川英治文学新人賞受賞!
共感と絶賛の声をあつめた宝物のような1冊。

夫婦、親子、姉弟、先輩と後輩、知り合うはずのなかった他人ーー書下ろし掌編を加えた、七つの「小さな世界」。生きてゆくなかで抱える小さな喜び、もどかしさ、苛立ち、諦めや希望を丹念に掬い集めて紡がれた物語が、読む者の心の揺らぎにも静かに寄り添ってゆく。吉川英治文学新人賞受賞、珠玉の短編集。

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