本所・深川 ~「鬼の棲み処」に「遊び人」が住む粋な街。 時代劇最強聖地~

文字数 3,394文字

都バス屈指の好路線、その名も「業10」! 意外な道を走る、粋なバス。

前々回は清水門前の役宅。前回は目白台の私邸、といずれも空想上の鬼平の家を訪ねて回った。短期連載最終回の今回はいよいよ、本当の私邸のあった本所に行ってみます。


我が家から本所へはバスではちょっと行きにくいんだけど、とにかくまずはいつもの「渋66」系統で、渋谷へ。渋谷からは「都01」、「渋88」など3つの系統が出てますが、どれでもいいので(それぞれのルートに味わいがあるので、過程を楽しみたい時には厳選しますが)目の前に来た奴に乗って、新橋に出ます。


新橋では「業10」系統に乗り換え。これで、目的地に行くことができます。

この「業10」系統。都バスの中でも5本の指には絶対、入れたい面白い路線。新橋を出ると「外堀通り」を走って数寄屋橋交差点で「晴海通り」に右折。銀座のど真ん中を突っ切って築地の目の前を通り、勝鬨橋で隅田川を渡ります。


「勝どき駅前」交差点で「清澄通り」に左折し、しばらくこの道沿いに走るのかと思いきや、何ら変哲のない小さな交差点で、右折。何と、一方通行を走り出します。個人的にはこの路線の、「白眉」と称したい箇所! 何でこんなとこ通るの~、と頭の中「?」マークが飛び交う内、大通りに出ると左折。


その後、豊洲の超近代化都市を走り抜けるかと思ったら「枝川」の庶民的な町並みを通ったり、とにかく東京の色んな顔を見せてくれる。路線バスの旅はこうでなくっちゃ


後半は「三ツ目通り」沿いにひたすら北上し、地下鉄本所吾妻橋駅の上で右折、すぐにまた左折して「とうきょうスカイツリー駅」前でゴール、となります。


路線図で少しはその醍醐味が伝わってくれますか、ね。本当は、降りた「立川」バス停は図のちょっとばかり上に位置するけど、ギリギリ入らなかったんですよ~。ま、堪忍して下さいな。 

都バス屈指の好路線、その名も「スカ10」!……確かに力が抜けます。音も出ない感じ。

ちなみに系統名「業10」の「業」の字は、東京スカイツリーが出来る前はこの駅は「業平橋」駅だったから。歌人、在原業平にちなんだ「業平橋」が近くにあることに由来します。スカイツリーが立って駅名は変わったけど、系統名は元のまま。何だか東京都交通局の粋を感じるようですね。「スカ10」なんてつけたら鼻白みますよ、少なくとも私は。


閑話休題。「立川」停留所でバスを降りると、江戸時代に造られた運河「竪川」を渡り、ちょっと先の通称「馬車通り」に右折します。ここから交差点2つばかり行った先を左折したところに、最初の目的地がある。


実はここには以前にも来たことがあり、前はコンビニが入ってた建物だったのが今はテナントがいなくなってたので、ちょっと戸惑った。


ただ、標識は元の通り立っていた。こんな立て看、墨田区自身が立ててくれているんですね。粋を感じるなぁ。

「大作家の勘違い→聖地化」の美しい流れが再び。

「目白台」の回で述べたように、京都に行く前に住んでいた長谷川家の屋敷はそのまま取ってあり、江戸に戻った鬼平はそこに住んだ。


だからその私邸跡は、ここ。鬼平の家探しはめでたく終わり、となるかと思ったら、そうはならないんですね、これが。ここに旧私邸があった、という池波センセの読みがこれまた、間違いだったんですよ。


前回でも触れた鬼平ファンのコピーライター、故西尾忠久氏が突き止めている。


まずはなぜ、池波センセが勘違いしてしまったのか?

「本所」の江戸切絵図の、下の方を見てみて下さい。2つの川が交わってますね。横に流れてるのがさっき渡った、竪川。縦のが『日和下駄』の「扇橋」の回でも出て来た、大横川です。


なんで向きと名前が真逆なの? と思うかも知れないけどこれ、江戸城から見てどの向きに流れてるか、から付いた名なんだそうです。


さてその2つの川の交差点、付近に目を凝らしてみて下さい。「植村帯刀」という比較的大きな屋敷の上に「長谷川」の表示がありません? その右側、川沿いには(掠れててちょっと見え辛いけど)「鐘楼」の表示もある。江戸時代、町の人に時間を告げる「時の鐘」がここにあったんですね。


現在、現地に行ってみると「大横川」の北の部分は埋め立てられ、「親水公園」になっている。「馬車通り」の橋だった箇所には、「時の鐘」があったことを示すモニュメントがあり、ここが「撞木橋」と呼ばれていたことが説明されている。


切絵図を見た池波センセ、喜んだことでしょうね。「あっ、長谷川って書いてあるぅ。きっとここが平蔵達が京都に行く前、住んでいた家なのに違いない」だから小説ではかつての長谷川邸は、「横川・入江町の鐘楼前」ということになっているのだ。


ところが西尾氏の研究によるとこれは大きな勘違い。この「長谷川」さんは実は、鬼平とは関係のない別の人だったらしいのだ。センセ、残念!

まさかのビッグネーム登場! そういえば「 昔、ワルだった」ところも二人の共通点。

では本当の長谷川邸はどこにあったのか。今度は「深川」の切絵図を見てみて下さい。真ん中の辺り「林播磨守」の大きな屋敷の右側に「遠山左エ門尉」の表示があるでしょう。


それって遠山の金さんじゃない」って思った方、大正解。ここには「金さん」こと「遠山金四郎」の屋敷があったんです。


西尾氏の研究によると鬼平、懐からの持ち出しも多い火付盗賊改方を8年も務めたモンだから、長谷川家の家計は火の車だった。


結局、孫に当たる宣昭が屋敷を売りに出し、それを買ったのが「遠山の金さん」だったというのである。切絵図が作られたのは金さんが屋敷を購入した後だから、「長谷川」の表示があるわけはない。センセが勘違いした背景には、そういう事情があったわけですな。


ではいよいよ、本当の長谷川邸=遠山邸跡に行ってみましょう。さっきの場所から歩いて、本当にすぐ。都営地下鉄新宿線、菊川駅の上がその箇所に当たります。


菊川駅3番出口の前には墨田区教育委員会による、「長谷川平蔵・遠山金四郎住居跡」の説明板が立っている。先の、小説上の旧邸跡にも墨田区が標識を立ててましたよね。本当に粋な区だなぁ、としみじみ感じます。

おかげさまで、今のお江戸の治安もけっこういいです。二人に感謝を込めて、ぷっぷー。

東京都交通局と言い、墨田区と言い、今回は粋を漂わすエピソード満載ですね。鬼平の足跡をたどってたら自然、そうなってしまうんでしょうか。


さてさて菊川駅上から「新大橋通り」を東にちょっと行くと、こっちにもモニュメントが立てられてた。墨田区教育委員会と共に、敷地を有すると思われる歯医者さんの名前も載ってますね。


江戸を代表する火盗改の長官と、町奉行とが住んだ家。物凄く由緒正しい屋敷跡に今、自分はいるっていう誇らしさが、こんなところから伝わって来るようです。いやぁ羨ましい


確かにこんなとこで、悪事に手を染めるようなバカはいないでしょうね。そんなヤツ絶対、天から厳罰が下りますよ


江戸から東京に引き続く、治安に思いを馳せながらボチボチ現地を後にしました。


「鬼平」の墓と家を巡る短期集中連載はこれにて終了。

また何か面白い切り口を見つけて、ぶらりバス旅に出掛けましょう

書き手:西村健

1965年福岡県生まれ。東京大学工学部卒業。労働省(現・厚生労働省)に入省後、フリーライターになる。1996年に『ビンゴ』で作家デビュー。その後、ノンフィクションやエンタテインメント小説を次々と発表し、2021年で作家生活25周年を迎える。2005年『劫火』、2010年『残火』で日本冒険小説協会大賞を受賞。2011年、地元の炭鉱の町大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で(第30回)日本冒険小説協会大賞、(翌年、同作で第33回)吉川英治文学新人賞、(2014年)『ヤマの疾風』で(第16回)大藪春彦賞を受賞する。著書に『光陰の刃』、『バスを待つ男』、『目撃』、「博多探偵ゆげ福」シリーズなど。

西村健の「ブラ呑みブログ (ameblo.jp)」でもブラブラ旅をご報告。

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