小説表現が苦手なこと

文字数 1,102文字

 近頃は(近頃は?)もっぱらツイッターしかしていないのでツイッターの話をするんですけど、わたしはわりと小説に対して暑苦しいタイプなので「小説とはこういうものだ」といった雑な創作論がタイムラインを駆け抜けていくと、反射的に「いや、小説は自由なので、どのようであってもいい」と脳内で反論してしまうのですが、そうは言っても、世のあまねくすべての事物が小説であるわけではないので、どこかに小説を小説たらしめている要件は存在するはずで、その中でも「シーケンシャルな文字列による表現」というのは(主に書籍という媒体のフォーマットの都合上)かなり強固なものではないかと思います。つまり、どんな長大な小説も、結局のところは文字による一本の線、整理された一本のタイムラインであるということです。
 なので、小説はわりと落ち着いた対話によって進行していく傾向があります。Aさんが「ほにゃ」と言いました。それを聞いたBさんが「ほにゃら」と返事をしました。するとCさんが「ほにゃにゃ」と指摘しました。という風に。ちゃんと人の話を聞いて、順番に発言するんですね。現実の世界では滅多に見ない光景で、羨ましい限りです。
 どうやら、小説という表現手法は根本的に「複数の人間が口々に好き勝手に喋っている場面」の描写は苦手ではあるようです。で、わたしはわりと小説に対して暑苦しいタイプなので「小説は根本的にこれが苦手です」という話になると「なるほど。じゃあそれをやってみよう」となるわけです。困ったものですね。
 新刊『Y田A子に世界は難しい』は、この「複数の人間が口々に好き勝手に喋っている場面」がたくさん出てきます。結果的に「ただの文字列なのにめちゃくちゃうるさい」という感じの、賑やかで楽しい小説になったのではないかと思います。
 ロボットのA子が、ロボットであるが故のフラットな視点で見る、無数の事象が相互に作用しながら同時並行で進行していく、複雑で賑やかで不思議な世界。わたしは書いていてとても楽しかったので、みなさんにも楽しんでもらえると嬉しいです。



大澤めぐみ(おおさわ・めぐみ)
新世代の青春エンタメ『おにぎりスタッバー』を角川スニーカー文庫から刊行し、作家デビュー。饒舌な言葉の羅列と小気味好いテンポで繰り広げられる物語が、独自の世界観を構築している。その他の著書に『彼女は死んでも治らない』『ひとくいマンイーター』『6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる』『君は世界災厄の魔女、あるいはひとりぼっちの救世主』などがある。

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み