〈4月5日〉 有川ひろ

文字数 1,372文字

トムめ


×月×日
 真夜中、枕元でふんふん荒い鼻息がする。ちょんちょんヒゲが当たる。目を開けるとゼロレンジでトムさんが伸び上がってこちらを覗いている。真っ黒お目々で起きろ起きろとせがみ、ついていくと先導するようにこちらを振り向きながらリビングのおやつストッカーへ。小腹が減ったのでおやつを出せ。時間は午前三時である。トムめ、可愛いトムめ。
×月×日
 毎度午前三時に起こされ睡眠不足につき、今日は無視すると強い心で就寝。ふんふんを無視すると枕元に飛び乗り、枕をふみふみ。寝たふりを決め込んでいると間違った振りをして五回に一回顔を踏む。根負けして起きる。トムめ、可愛いトムめ。
×月×日
 今日こそは起きぬ。強い心で就寝。ふんふんを無視。ふみふみも無視。トムさん撤退。今日は安眠が訪れたと思ったら突然「ピヨピヨ! ピヨピヨ!」と電子音の鳥の()。振ると鳥の鳴き声がするオモチャである。人間を起こすためのアラームとして使いよった。天才か。トムめ、可愛いトムめ。
×月×日
 負けぬ。ふんふんを無視。ふみふみも無視。ピヨピヨも無視。再び枕元に飛び乗った。ふみふみはもう効かぬ。顔の上に四つ足でまたがった。腹の毛がこちらの鼻に触れるか触れないかの高さで静止してさわさわ。起きるしかねえわこんなもん。トムめ、可愛いトムめ。
×月×日
 負けてはならぬ。ふんふん、ふみふみ、ピヨピヨ無視。腹毛攻撃は横を向くことで回避。トムさん撤退。リビングで「ピヨピヨ! ピヨピヨ! ピヨピヨ!(以下略)」と狂ったような鳥の()が。ぶち切れて聞こえよがしに鳴らしている。怒りに任せたロックなビートが睡魔をかき消す。トムめ、可愛いトムめ。
×月×日
 ふんふん無視、ふみふみ無視、ピヨピヨ即座に取り上げて布団の中に隠す。腹毛回避。トムさん枕の逆に回り込み、こちらの顔にデコをすりつけて激しくスクリュー。ここへ来てクソかわいい媚態。無視したらもう二度とやってくれないかもしれない。損得勘定により起きざるを得ない。トムめ、可愛いトムめ。
×月×日
 睡眠時間が足りないので昼寝。トムは網戸の窓辺で日光浴。と、突然毛を逆立ててソワソワ騒ぎはじめた。見ると窓の外にかわいいお客。「あら、かわいいちゃんだね~」と話しかけると、トムがすごい形相でこちらを見上げる。目は口ほどに物を言う。「何言ってんねんお前……!」トムめ、可愛いトムめ。
 網戸に桜の花びらがひらひら吹きつけた。よそのかわいいちゃん、それを潮に引き揚げ。
 借景の桜、本日散り初め。

 トムさんは猫である。
 2020年、世界は核の炎に包まれてはいないが、まあまあ大変なことになっている。
 だが、今年もジンチョウゲが咲き、モクレンが咲き、桜が咲いた。
 来年も春の花は咲くであろう。
 そして、来年もトムさんと私は夜中の攻防を繰り広げている。


有川ひろ(浩)
高知県生まれ。2004年『塩の街』で電撃小説大賞大賞を受賞しデビュー。同作と『空の中』『海の底』の「自衛隊三部作」、「図書館戦争」シリーズをはじめ、『阪急電車』『旅猫リポート』『明日の子供たち』『アンマーとぼくら』など著書多数。

【近著】

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