第11話 デビューを前に、磯川から〝小説家〟のイロハを教わる日向だが

文字数 3,749文字

 芸能人はイメージが命だ。
 影響力のある芸能人ほど……売れている芸能人ほど、事務所のガードは堅いものだ。
「芸能人に拘(こだわ)らなくても大丈夫です。過去の経験で言うと、人気の芸能人が推薦した小説が必ずしも売れるわけではないですからね。読者は、本当に『阿鼻叫喚』が好きで推しているかどうかを敏感に察知します。その意味では、書評家がいいかもしれませんね」
「たしかに。CDを出せばミリオンセラー連発のアイドルが主人公のドラマでも、視聴率四、五パーセントで大惨敗ってパターンが多いですから」
 日向の言葉に、磯川が大きく頷いた。
「ご理解頂けてよかったです。人気タレントに推薦を依頼さえすれば、必ず本が売れると思い込んでいる作家さんも多いですから。では、書評家の推薦の線で動きます。どなたかご指名はありますか?」
「いえ、書評家という存在自体、最近知りましたから。磯川さんにお任せします。それより、一つお願いがあるのですが……」
「なんでしょう?」
「著者の写真を載せたくないのですが、大丈夫ですか?」
 日向は遠慮がちに切り出した。
 磯川から三日前に、著者近影に使う写真を頼まれていたのだ。
「もちろん大丈夫ですが、参考までに理由を聞かせて貰ってもいいですか?」
「ビジュアルがこのガングロ金髪ですから、読者が引いてしまわないように自主規制です。本の売れ行きに影響するかもしれませんからね」
 日向は冗談めかして言ったが、本気だった。
「僕は逆に個性的で面白いと思いますけどね。それに、『阿鼻叫喚』はノワールなのでイメージタウンにはなりませんよ」
「『阿鼻叫喚』に関してはそうですね」
 日向は意味深な口調で言った。
「ほかに、理由があるのですか?」
 なにかを察した磯川が、間髪(かんはつ)をいれずに訊ねてきた。
「デビュー前にこんなことを言うのはおこがましいのですが、ゆくゆくは恋愛小説や動物小説を書きたいと思っているんです。そのときに、俺の写真は間違いなくマイナスになりますから」
 日向は自嘲的(じちょうてき)に言った。
 デビュー作がたまたま暗黒小説だっただけの話で、日向はノワール作家になるつもりはなかった。
「恋愛小説に動物小説ですか!? それはまた、物凄(ものすご)いギャップですね。でも、ありだと思いますよ。日本一エグい小説家が日本一ピュアな小説を書くなんて、最高じゃないですか!」
 磯川が声を弾ませた。
 磯川が日向に調子を合わせていないことは、瞳の輝きが証明していた。
 改めて磯川を選んでよかったと日向は思った。
「では、著者近影はなしでいきましょう。それから広告の件ですが、まずは『朝読新聞』の半五段……このスペースに『日文社』の広告が載ります」
 磯川が紙面の下段……単行本サイズの広告欄をペン先で指した。
「こんなに大きな広告を出してくれるんですか!?」
 日向は思わず大声を上げた。
「はい。でも、日向さんだけではなくて同月発売の文芸第二部の作品も載りますので、『阿鼻叫喚』のスペースはこれくらいです」
 磯川が栞(しおり)を半五段の広告欄に置いた。
「え……細っ」
 日向の口から、今度は落胆の声が零(こぼ)れ出た。
「やはり『日文社』の主流は文芸第二部ですから、仕方がないです」
 磯川が肩を竦めた。
「文芸第三部の作品は俺だけですか?」
 日向は訊ねた。
「残念ながら文芸第二部との政治力の差は否めませんね。でも、『朝読新聞』は全国八百万世帯で読まれているので、栞程度の広告でもかなりの効果が見込めます。この細さで、広告費はいくらくらいだと思いますか?」
 磯川が訊ねてきた。
「十万円くらいですか?」
「その七倍はします」
「こんな細いのに七十万円もするんですか!?」
 日向は素頓狂(すっとんきょう)な声を上げた。
「『朝読新聞』の半五段の広告代が、六、七百万円しますからね。逆に言えば、それだけの広告価値があることの証明です。それに、広告を大きく出した作品が売れるとはかぎりませんからね」
 磯川がうっすら微笑んだ。
「『阿鼻叫喚』が文芸第二部の作品より売れる可能性もあるということですか?」
 日向が訊ねると、磯川が頷いた。
「広告はあくまでも、こういう作品が発売されましたよ、と報(しら)せるための手段です。もちろん大きな広告のほうが眼につきやすいのは事実ですが、最終的に物を言うのは作品力です。作品に力があれば広告が小さくても口コミで広がり、作品に力がなければ広告が大きくても初速だけで尻すぼみになります。『阿鼻叫喚』の刊行日は再来月……七月です。九月には、この広告に掲載されているどの作品よりも売れている自信があります」
 磯川が力強く断言した。
 磯川の言葉は、ハッタリとは思えない説得力があった。
 考えてみれば「世界最強虫王決定戦」のDVDも、「日向プロ」のホームページで細々と販売を始めたのがスタートで、内容の面白さが口コミで広がりテレビや雑誌に取り上げられるようになり、記録的ベストセラーシリーズにまで成長したのだ。
「頼もしいかぎりです。俺も芸能人脈を活用して、『ホームズ文学新人賞』の受賞作品がベストセラーになるように頑張りますよ」
「よろしくお願いします。あ、大事なことをお伝えするのを忘れていました。初版部数は一万五千部になります。本来は発売一ヶ月前の部数会議で決まるのですが、『ホームズ文学新人賞』の受賞作品は一律一万五千部と決まっているのです」
 磯川が思い出したように言った。
「初版部数というのは、最初に作ってくれる冊数ですか?」
 日向は訊ねた。
 初版部数という言葉自体は耳にしたことはあるが、意味はあまり理解していなかった。
「ええ。新人で一万五千部というのはいいほうです。もちろん初版五万部や十万部といったベストセラー作家もいますが、一万部以下の作家さんのほうが圧倒的に多いです。初版部数の七割くらい売れれば、重版がかかります。出版社にとっても作家さんにとっても部数が増えるほど印税が入るわけですから、重版がかかるのとかからないのとでは天国と地獄です。ま、地獄は言い過ぎですが、売れ残った本は書店から出版社に返品されて在庫……つまり赤字になるので、喜ばしい状態ではありません。作品が売れ残ると次の作品の初版部数は落とされてしまいます。二作、三作と続くと出版社から本を出せなくなってしまうこともあります。なので、私と日向さんが目指すのはまずは二刷りです。重版を重ねて三万部も売れれば、デビュー作としては大成功でしょう」
 磯川の話はどれもこれもが興味深く、日向はメモを取った。
 デビュー作として大成功と言われた三万部と聞いてもピンとこなかったが、三万人の人が「阿鼻叫喚」を買ってくれるというふうに考えると凄さが理解できた。
「『日文社』で一番売れた本にはどんなものがありますか?」
「ミステリー作家の野口慎吾(のぐちしんご)さんの『夜に囀(さえず)るスズメ』が、単行本と文庫本合わせて三百万部を突破しましたね」
「三百万部!?」
 日向は想像を絶する部数に大声を張り上げた。
「単行本が百二十五万部で、三年後に刊行された文庫本が百九十万部で合計三百十五万部です。因(ちな)みに単行本の定価は千六百円で文庫本は七百円でした。作家さんの印税は定価の十パーセントに部数を掛けた金額ですから、『夜に囀るスズメ』は単行本が二億円、文庫本が一億三千三百万円……合わせて三億三千三百万円が野口さんの口座に振り込まれたというわけです」
「三億……」
 日向は絶句した。
「世界最強虫王決定戦」シリーズは十億円を超える利益だったが、日向が驚いたのは個人が書いた一冊の小説の印税が三億円を超えたということだった。
「小説家は、夢のある仕事でしょう? お金の意味で言っているのではなく、三百万人が日向さんの書いた小説を読んでくれる……最高のロマンですよね」
 磯川が柔和(にゅうわ)に微笑んだ。
「俺も、必ずミリオンセラーを生み出しますよ」
 日向は力強く宣言した。
 有言実行――日向が常に意識している四字熟語だ。
「期待していますよ。日向さんなら、本当に実現してしまいそうな気がします。打ち合わせの最後に、僕からのお願いを聞いて貰えますか?」
 磯川が改まった口調で話し始めた。
「なんだか、怖いなぁ。お願いって、なんですか?」
 冗談めかして、日向は訊ねた。
「『阿鼻叫喚』が売れても売れなくても、書き続けてください」
 磯川が真剣な顔で言った。
「書き続ける……ですか?」
 日向は磯川の言葉の意味がわからなかった。
「ええ。作家は書き続けなければ存在できません。デビュー作が売れても二作目を書かなかったら、そのうち忘れ去られてしまいます。デビュー作が売れなくても、書き続けているうちにベストセラー作品を生み出すかもしれません。日向さんは寡作(かさく)ではなく多作な作家になってください」
 磯川が日向をみつめる瞳に、強い思いを感じた。
 寡作ではなく多作な作家……。
 日向は磯川の願いを心に刻んだ。

(次回につづく)

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