『十代に共感する奴はみんな嘘つき』最果タヒ/自意識という羽(岩倉文也)

文字数 2,250文字

次に読む本を教えてくれる、『読書標識』。月曜更新担当は作家の岩倉文也さんです。

今回は『十代に共感する奴はみんな嘘つき』(最果タヒ)を紹介してくれました。

書き手:岩倉文也

詩人。1998年福島生まれ。2017年、毎日歌壇賞の最優秀作品に選出。2018年「ユリイカの新人」受賞。また、同年『詩と思想』読者投稿欄最優秀作品にも選出される。代表作に『傾いた夜空の下で』(青土社)、『あの夏ぼくは天使を見た』(KADOKAWA)等。

Twitter:@fumiya_iwakura

ぼくは一六歳から一九歳までの期間をいわゆる引きこもりとして過ごしたので、いろんなものが足りていない。足りていないものが具体的になんなのかすらよく分からない。


人は、三年くらい他者との関係を断って暮らしていると、「さびしさ」とか「うれしさ」とか「かなしさ」とか「いらだち」とか、けっこうほんとになくなってしまう。感情って、結局他者との関係のなかで育まれ活用されるものでしかないから、ひとりだと不要なのだ。


「自意識」というのも実はそうで、他者に混じって生活しているうちは他者と自己を区別し自分が特別だと思い込むためにもぜひこれは必要だが、ひとりで過ごしていくためにはまったく邪魔なものでしかない。


邪魔なものを背負うのは嫌なので、ぼくは自意識から比較的距離のある詩や短歌を書き散らすことで精神をできうる限り虚しくし、フラットに保つよう努力した。希望や絶望や焦りや不安や意志や感情や自意識はみんな言葉に任せて、ぼく自身はどんな葛藤もなく、心をからっぽにして毎日を送った。


その後遺症で、多くのことが分からなくなってしまっている。だからといって別段生活に支障があるわけではないのだけれど、幻肢痛のように、ときおり削ぎ落とした感情に痛みが走る。もし普通に生きてきたら、いまぼくはどんな気持ちで世界に対していたんだろうと、その普通が分からずに考えたりする。


『十代に共感する奴はみんな嘘つき』には、ぼくが不要だと思い捨て去ってきた全てがあった。全てというのは、全てである。


主人公は一七歳の女子高生・唐坂和葉。本作に描かれているのは彼女の見た世界というより、彼女の自意識の軌跡である。


ぼくは本作を読んで、まっさきにドストエフスキーの『地下室の手記』を想起したが、読後感は大きく異なっていた。それは、両作が同じ自意識を扱っていながら、『地下室の手記』では孤独に閉じられた自意識の空転が、本作では他者との関係における自意識の発露が描かれていたことに起因しているのだと思われる。


和葉はたしかに自意識過剰ではあるが、地下に籠ってひとりで手記を書くような真似はしない。和葉の自意識はいつも他者へと向かってゆく。

教室の真ん中でヘッドフォンをつけて音楽聴いてますっていうアピールがしょうもないってわかっているけれどそれをしているクラスメイトを私はじゃがりこ食べながら見ていた。何聴いてんだろ、とか思ってほしいんだろうな。思ってほしいからあんなに大きいヘッドフォンなんだろうな。だから意地でも聞かない。教室を悪夢みたいに見ているクラスメイトが嫌い。私はかわいそうみたいな態度が嫌い。自分が会話できないだけで、他人を軽蔑しているその神経。触れるだけで火傷しちゃうってそのせいね。私は自分に絶望する奴も周囲に絶望する奴も、友達になりたくないなって思っちゃう。それ以上は何にも思わないけれど、たかが不器用なだけで自分をかわいそうだと思っている人は、単純だ。

これは本作の冒頭付近のモノローグであり、和葉の思考のあり様が端的に表れている。他者の何気ない態度や行動から、ほとんど相手の内面へと入り込むように深く、その裏に隠された〝驕り〟を洞察する。そしてまたそのように他者を決めつけ、断罪すること自体の驕りにも当然、和葉は気づいている。


和葉の思考は、周囲の事物へと手当たり次第に放射され、あらゆる情報を淀みなく捉えてゆく。それを感受性と言ってしまえばそれまでだが、この、意識を他者へ、そして世界へ伸ばすという行為そのものが、ぼくにはなにか崇高な行いのように感じられるのだ。


和葉は相手と会話しながら、実際に交わされる言葉の何倍もの思考を脳裏に走らせる。それって、他人の何倍も生きてるってことじゃないのか。

変わっていく。変わって、それでも、私だけは変わりたくないって思う。みんな愛してくれる。変わったって愛してくれる。そのことに慣れたくない。傷つくことにも、傷ついた人にも。傷がふさがらなくてもいいから、忘れられなくても良いから、このままで生きて行きたい。私、今日が好きです。今が好き。今のすべての人が好き。

物語の終わり際、和葉の自意識は転調する。


今を、今のすべての人を好きになるって、なんなのだろう。そんな馬鹿な、と思いつつも、どこか納得できてしまうのは、和葉が最後まで、他者や自分の醜さ弱さ、それに美しさからも、決して目を背けることがなかったと、読者は知っているからだ。


本作は自意識を桎梏としてではなく、より高く飛ぶための羽として描きだした稀有な作品なのである。

『十代に共感する奴はみんな嘘つき』最果タヒ(文春文庫)
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