第29回

文字数 2,708文字

「密は避けよ」「旅には出よ」と政府の旗揚げゲームめいた指示に踊る2020年・秋。

連休には各地が観光客で賑わうニュース映像が踊り、空気は変わってきたのかもしれません。


観光もいいけど、でもボクらはやっぱりひきこもり。

そうは思いませんか?


脳内とネットでは饒舌な「ひきこもり」の代弁者・カレー沢薫がお届けする、困難な時代のサバイブ術!

引き続きひきこもりとコミュニケーション問題について考えていきたい。


不労所得編に関しては前進どころか、そろそろ書けないレベルのマイナスが表示されるようになってきた。

しかし、それをここで言っている時点でまだ余裕がある、投資関して一言も触れなくなったら「大詰め」だと思って欲しい。もちろんこちらが詰められている側だ。


「ひきこもり」と「コミュニケーション」は切っても切れない間柄、と言いたいところだが、そもそもコミュニケーションさんに切られた結果が「ひきこもり」と言っても良い。


コミュニケーション能力がない人間が、他人とのコミュニケーションを避けてひきこもりになりがちなのはもちろん、コミュ力があった人間でも何かをきっかけにひきこもったことが原因で、コミュ力や人との繋がりを失ってしまう、ということはよくある。


そして残念ながら、他者や外部と全く係らずに生きていくというのは、未開の地で自給自足生活でもできない限りは無理だ。

大体そんなサバイバル能力があったら、日本の社会などむしろぬるゲーだろう。


このように、「ひきこもり」と「コミュニケーション」は「平和的暴力団設立」ぐらい両立の難易度が高いのだが、ひきこもりとして生きていきたいならクリアしなければいけない問題である。


なぜひきこもり生活で人との繋がりがなくなるかというと、物理的に人と会わないからというのもあるが「会っても合わなくなった」という理由もある。


例えば一生働かなくていいぐらいの資産を築き、若くしてアーリーリタイアを実現したとする。

例えの時点で大半の人間が帰ってしまった気がするし、自分が一番帰りたいと思っているが、まあ待て、ナップザックから筆箱を出せ。


さらに人との繋がりがなくならないように、友人などとも積極的に集まろうとしたとする。


「集まる」という言葉を使う規模の数の友人が出てくる時点で、「空想的すぎる」と思う人もいるかもしれないが、私も自分で言って全くリアリティが感じられない。


だが、奇跡的に働かずに生きられる資産を手に入れ、集団レベルの友人と集合しても、友人たちは「労働」という名のSMプレイの話ばかりして、話に入れないのである。

そもそも「会おう」と言っても「おいおい、平日はSMしてるに決まってるだろ」と半笑いで断られる場合が多い。


そして「お前はどんなプレイしてんの?」と聞かれて「今はアマプラで、アドベンチャータイムを見ている、128話まで見た」と答えると、まるで「ウンコを食っている」とでも言ったかのように、引かれ、太い一線を画されてしまうのである。


このように、同年代の人間は大体働いていたり、何かと忙しくしていることが多いため、ひきこもりになると「話が合わなくなる」ことが多く、さらに「ひきこもっている」と言うと、相手の目の温度が15度ぐらい下がる、もしくは「まあそういう時期もあるよね」と、逆に優しい目で見られたりしてしまう。


つまり、外で働いている人間とはいろんな意味で会いづらくなるため、結局繋がりがなくなりがちなのである。


これは若いひきこもりだけではなく、「定年後」にも起こる現象だ。


定年後なら周りもみんな定年なのだから、遠慮なく集まって「病(ビョウ)トーーク」でもすればいいではないか、と思うかもしれないが、病院のロビーなどに「集まっている老」というのは「コミュ強の老」である。


皆さんにも、学校ではつるんでいたが卒業したと同時に疎遠になり、そのまま切れた友人の一人や二人はいるだろう。

会社や学校など、強制的に顔を合わせる場所亡きあと、そこで築いた人間関係を維持するにはマメさが必要になるし、老になってシニアフットサルサークルなど新しいコミュニティに入るには、行動力と勇気がいる。

それを持っていないのが「コミュ症」なのだ。


つまり、外で見かける老集団というのは教室で言えばギャルやウェイのカースト上位であり、底辺の老は家にいる。

さらに教室であれば、底辺同士でイケてないグループを結成できるが、老後はそれもできないので、家に一人でいることになってしまう、つまり典型的孤独死しがちな老になるのだ。


さらに「同窓会に参加しているのは『今何してるの?』と聞かれて答えられる人間だけ」というのは周知の事実だが、これは定年後も同じである。


今は現役時普通に働いていた人や、むしろ収入が多かった人ですら、「老後破産」など、何をきっかけに貧乏になるかわからない世の中である。


そういう老は「今の貧しい生活を知られたくない」という理由から、現役時の友人などはもちろん、親戚との関係まで断ってしまうケースが多いという。


このようにひきこもりや老が、外部との繋がりをなくしてしまうのは、物理的に家から出ないというのもあるが「働いていない」「貧しい」「他人の助けが必要」という状態を「恥ずべき事」とする日本の風潮に問題がある、ということである。


つまり、ひきこもりながら生きるコツは「堂々とする」ことである。


これは、老でも病(ビョウ)でも貧(ヒン)でも言えることであり、たとえ税金のお世話になることになっても「俺だってさっきコンビニで8円税を納めてきた」という気概を持ち、卑屈にならないことが大事なのだ。


もちろんひきこもりは堂々とすべきことではない。しかし申し訳なくもないのだ。自分で自分を恥ずべきものと思ったところから社会との断絶は始まるのである。

★次回更新は11月21日(金)です。

カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。長州出身の維新派。漫画作品に『クレムリン』『アンモラルカスタマイズZ』『ニコニコはんしょくアクマ』『やわらかい。課長 起田総司』『ヤリへん』『猫工船』『きみにかわれるまえに』。エッセイに『負ける技術』『もっと負ける技術』『負ける言葉365』『猥談ひとり旅』『非リア王』など。現在「モーニング」で『ひとりでしにたい』連載中&第1巻発売中。最新刊『きみにかわれるまえに』(日本文芸社)も発売中。

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