松尾匡『ブロークン・ブリテンに聞け』(ブレイディみかこ)

文字数 7,049文字

書き手:松尾匡【まつお・ただす】

理論経済学。64年生。『自由のジレンマを解くーーグローバル時代に守るべき価値とは何か』共著に『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう レフト3.0の政治経済学』

講談社のこの本(ブレイディみかこ『ブロークン・ブリテンに聞け』)の担当者さんから解説の執筆を頼まれたのですが、読者のみなさんもよくご承知のとおり、著者のブレイディさんは、若い頃パンクミュージックに入れ込んで渡英した人です。反緊縮ライターとか保育士とか以上に音楽マニア歴がずっと長いのです。おまけに邦洋問わず文学にも映画にも造詣が深いときています。だからこの人の他の本と同様、この本でも終始そうした素養が全開になった文章が溢れているのですが、私と言えば、これらの方面の知識は全くゼロに等しいので困ってしまいました。「あなたの一部が私のすべて」(……無理して歌詞の引用をしたりするとこういう恥ずかしいことになります)。経済学者なんてものはだいたいがこんなもん。文化のかけらもない人種であります。


そんな無教養な私でも、一読者として読む分には全く支障はなかったです。見本が届いた途端、あまりのおもしろさにあっと言う間に読み切りました。何の知識もなくてもわかった気にさせるのはさすがの文章力です。でも解説文を書くのにそれでいいのか。


知らないことは調べないとな。まずなにはさておき、「ヒュラスとニンフたち」(二一頁)がどんな絵なのか調べないと。それからヘンリエッタ・ラエの同じ場面の絵(二二頁)も調べて、詳しく比較検証するのだ。解説のためですぞ、みかこさん。と内心言ってそれぞれ画像検索しただけで満足して止まってしまい、そのまま他の仕事で手一杯になっているうちに締め切りが迫ってしまいました。


仕方ない。自分にできることをするほかないので、この本が取り上げている話に至るまでの経済事情的背景を説明します。



ご承知のとおりイギリスは世界で最初に産業革命を経験した国です。ということは、最初に本格的な資本主義経済が確立したということです。その頃、19世紀前半のイギリスの労働者階級の状態は聞いたことがあると思います。女性や子どもも大変な長時間の過酷な労働に低賃金で従事させられ、不衛生なスラムの長屋にスシ詰めで暮らしていました。大工業都市マンチェスターの子どもの57%は5歳にならないうちに死亡し、リバプールの労働者の平均寿命は15歳だと、当時書かれたエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』に書いてあります。


私の計算によれば、当時の総労働のうち、労働者が受け取る財の生産のために直接・間接に働いているのは36・4%、機械や工場など生産能力の拡大のための生産物を直接・間接に作っている労働は12・5%、残りほぼ半分は、支配階級の消費のために直接・間接に働いていることがわかりました。中でも家事使用人の数の多さが目を引きます。当時の主力産業の繊維産業の労働者に匹敵する数です。そんなすさまじい格差のある階級社会だったのです。


この階級社会の特徴はその後も続き、現在に至っています。階級社会であることは資本主義であるかぎり世界中同じなのですが、労働者階級が支配階級とははっきりと異質な文化・価値観を自覚し、独自の世界に生きてきたところが、本書の描くイギリス社会を理解するための最も基底にある理解となります。



この労働者が労働運動を闘って、労働条件の改善を勝ち取ってきたわけです。世界で最初に資本主義経済ができて、世界で最初に深刻な社会問題に見舞われた国では、世界で最初に社会主義運動と労働運動が生まれることになります。労働党はこうした労働運動の発展の上にできた政党で、やがて普通選挙制度の獲得によって躍進し、政権にもつくようになりました。


特に、第二次世界大戦直後に総選挙に勝利して、「揺り籠から墓場まで」をスローガンに高度な福祉国家の建設に着手した様子は、本書にも名前が出てくるケン・ローチ監督のドキュメンタリー映画『1945年の精神』に詳しいです。このとき、イギリスの公的純債務は戦争の結果GDPの約220%、2年後にはピークの243%をつけるという途方もなさでしたが、そんな中で巨額の財政支出を伴う路線が推し進められ、炭鉱や鉄道は国有化され、医療は無料になりました。


このとき労働党が採用したのが、総需要の拡大を重視するケインズの経済理論でした。これに則り、財政支出を通じて完全雇用を実現することが目指されました。実際イギリスはその後、ハイパーインフレにも国債暴落にも見舞われずに経済発展をとげ、おおむね失業率1%台で1960年代まで推移しています。


ところが石油ショック後の高インフレに見舞われた1970年代、史上最強の力をつけるに至った労働組合は、インフレによる目減りを取り返すべく、大幅な賃上げを求めてあちこちでストライキに訴え、資本主義の支配体制は深刻に脅かされることになります。妥協的な労働党政府は賃上げを抑えに回りますが事態を収拾できない中で総選挙に敗れます。代わって、資本主義の支配体制を危機から守るべく、少数支配階級の側からの労働者に対する苛烈な階級闘争を仕掛けるために政権についたのが、保守党のマーガレット・サッチャーでした。



サッチャー政権は金融引き締め(おカネを出さないこと)や財政削減を進め、多くの公営事業を民営化し、ビジネスの規制緩和を進めました。炭鉱労働者をはじめとした労働組合を攻撃して弱体化させました。日本の消費税にあたる税金を増税して、お金持ちの所得税や法人税は減税しました。こうした志向の政策路線は「新自由主義」政策と呼ばれ、まもなくアメリカのレーガン政権や日本の中曽根政権はじめ、先進国中に広がっていきます。イギリスはまたも世界の先陣を切ったわけです。


その結果インフレを抑えることはできましたが、中小事業の倒産は相次ぎ、失業率は戦後最悪の12%近くにまで跳ね上がりました。ポンドが高くなって製造業が国際競争力を失って、企業が海外に出て行って産業空洞化が進んだことでも失業が増えました。格差や貧困化が進んで労働者階級はさんざんな目にあったのですが、途中、フォークランド紛争が起こって戦勝したので、サッチャー政権は総選挙に勝って持続しました。


こうした新自由主義政策の理論的バックになったのが、新しい古典派の経済学派のマクロ経済理論でした。それは総需要側を重視するケインズ理論を否定して、供給側を重視する立場です。規制や財政の保護をなくして企業を競争に晒して生産性を高めようという路線になります。実際には、こうした路線の結果むしろ製造業が衰退したのですが、金融業が活性化したことで、経済の生産性が上がったことにされました。しかしその金融業でも有力な国内銀行が相次いで外資に買収されています。



その後1997年に当時40代半ばのトニー・ブレア党首のもと、労働党は政権に復帰しますが、ブレア首相は法人税の軽減や市場重視のサッチャー路線を引き継いで、のちにサッチャー元首相から「私の一番できのいい息子」と言われます。ケインズ的な総需要重視は相変わらずはっきり否定され、生産性重視が謳われました。雇用を増やす場合も、総需要拡大で労働需要を増やす策ではなく、就業意欲を促進させる供給側重視の政策がとられます。ポンド高もますます進行して、製造業はさらなる苦境に陥りました。経済全体では好調が続きましたが、労働者階級はそれに取り残され、どんどん格差は拡大していきました。


こんな政権が何をもって左派と自称できたのか。移民などのマイノリティとの共生やフェミニズムといった反差別の姿勢を強調することをもってです。「食品基準庁」設置のような、エコで安全な食品への志向とか、野生動物保護とかもそうかもしれません。これらは疑いなく大事なことですが、しかし、労働者階級というよりは、比較的裕福で学歴の高い人たちの関心事であることは否定できません。


もっと言えば、移民も女性もグローバルな大資本にとっては、男性自国民と平等に労働力として利用したいものです。イギリス資本がEU統合市場に入っていくにあたっては、へたにナショナリズムにとらわれがちな保守党よりも、インターナショナルな労働党の方が都合がいいところがあります。ブレア労働党の「左派」的とされる論点は、むしろブルジョワジーの利益に合致していた側面もあったわけです。


ブレア労働党のこうした路線はやはり世界の先駆けとなり、世界中の社会民主主義勢力に受け入れられていったのですが、当のイギリスでは見放された労働者階級の支持者の離反が進行し、2008年のリーマンショックで貧しい人ほど大打撃を受けてその傷が癒えない2010年、ついに労働党は総選挙で大敗して保守党に政権を明け渡すことになります。



政権についたキャメロン首相は、リーマンショック対策で生じた公的債務をなくさなければと言って、過酷な緊縮政策を推し進めました。サッチャー政権以来壊されつづけてきたイギリス社会は、これによって決定的なダメージを受けてしまいます。緊縮政策は大なり小なり世界中あちこちでこの時期とられました。しかしおりしも、リーマンショック恐慌の落ち込みからは回復したものの、先進国どこでも景気がパッとせず、ローレンス・サマーズ元アメリカ財務長官が「持続的停滞」と呼んだ状況下です。そんなことをしたら、倒産や失業がたくさん発生してひどいことになってしまいます。


こんな中で2011年のオキュパイ・ウォールストリート運動に始まる反緊縮運動が起こってきます。このオキュパイ運動で、「我々が99%だ」のスローガンを作ったとされるのが、本書にもたびたび名前のあがる反緊縮運動のカリスマ、故デビッド・グレーバーです。本書の中でも、グレーバーが現実分析論としてはMMTを受け入れていることが示されていますが、彼が言っている、通貨発行権を持つ国が財政破綻することはないとか、財政黒字化は民間の借金が膨らんでいることを意味するとかは、MMTに限らず、こうした運動の立場に立つ経済学の常識的な見解です。例えば、MMTとは厳しいライバル関係にある「ポジティブマネー派」も、同様な見解から政府が作った貨幣で政府支出することを唱えていますが、常々グレーバーを高く評価し、先日その死に際しては衝撃を表明するとともに、「絶対の味方」だったとするツイートを発表しています。こうした経済学説に基づく経済政策論が、反緊縮運動の広まりとともに広まることになります。


つまり、重要なのは総需要側だとする経済学が復活したわけです。国全体の供給能力に対して総需要が少なくて、失業者を出してデフレ圧力がかかっている状況ですからこれは当然です。こんなときに「生産性」などと口にする者は、中小企業の淘汰を進めて大企業の餌食にし、企業の海外移転を進め、失業者を増やして労働者をビビらせて言うことをきかそうという、グローバル資本の側の都合につく者でしょう。財政危機論もグローバル資本の側のプロパガンダ。目下のような経済状態のもとでは、政府が財政赤字を出しても、貨幣を作って出しても、政府支出でインフレがひどくなることはないという見解がプログレッシブな世界に広まっていきました。



ところで緊縮の犠牲になった労働者大衆は、こうした左翼的な反緊縮運動にも流れる一方で、極右や右派ポピュリズムにも流れます。ヨーロッパ大陸では、ブレア路線を受け入れて新自由主義化した社会民主主義政党が軒並み選挙で大敗北するようになります。苦境にある自分たちのことは考えてくれないのに、移民などのマイノリティにばかり配慮を求める者と見られて反発をかったわけです。そしてそうした票の多くが極右に流れることになります。


特に、大陸ではフランスの国民連合のように、極右もまた反緊縮的な経済政策を掲げるようになったので、緊縮の犠牲となった大衆の支持を集めて大きく躍進することになりました。新自由主義者とブレア派的社会民主主義者とが、財界・マスコミ界のエリートとともに一致して推進してきたEU統合は、彼ら大衆から見たら、緊縮政策など、自分のコントロールの利かないところで勝手に決めた苦難を押し付けてくる装置に見えます。それへの反発もまた、極右勢力への支持につながりました。


イギリスでは、2015年の総選挙で労働党が大敗し、辞任した党首の後任に、泡沫候補扱いだったオールド左翼の反緊縮派ジェレミー・コービンが6割の得票で選出されました。幹部たちは大慌てでしたが、支持者大衆は明確にブレア路線を拒否したことになります。なお、2015年の総選挙では、反緊縮的なスコットランド国民党が躍進しています。他方で翌年には、大方の政権幹部の意にも労働党幹部の意にも財界・マスコミ界のエリートたちの意にも反して、国民投票でイギリスのEU離脱派が勝ちます。そして翌年2017年には、反緊縮を掲げた労働党が総選挙で躍進して保守党を過半数割れに追い込みました。


ここまでが、本書の話の始まる2018年に至るまでのイギリスの経済状況的背景になります。このあと2019年には、ボリス・ジョンソン政権ができて保守党政府はEU離脱姿勢を明確にするとともに反緊縮的見せ方に舵を切り、総選挙で圧勝。大敗した労働党コービン党首は辞任しました。後任の党首選挙ではコービン派候補は敗れましたが、キア・スターマー新党首のもとでの経済政策は現在労働党公式ホームページで見るかぎりは大きな変化はないようです。



結局一連の過程を通じてもたらされている状況はこうです。─緊縮政策によって貧困化が行き着き、社会が壊されてしまっている。個人商店は次々潰れている。しかし本来その犠牲者の支持に依拠するはずの左派の言動や文化は多くの場合、ブレア時代以来反逆性を失って、比較的恵まれたクールでオープンな立場からの、お行儀の良い表通りの綺麗事になっていて、緊縮の犠牲になった労働者大衆に届かない。反差別のポリコレ論もEU残留派のデータ論議もそうした目線でなされると、ウザいお説教になったり、現場で貧困問題に対処する人たちの足を引っ張ったりする。多文化共生論も移民コミュニティの中の同性愛差別や女性抑圧を見逃す。他方、土着性を背負った労働者の側はと言えば、しばしばナショナリズムに走るし、切羽詰まると他者を顧みる余裕もなくなるし、若者は大人の期待に従順になる。彼らは反緊縮には大いに惹かれるけれど、長年の緊縮で萎縮したマインドもやはりある。


これが本書が描いている状況になります。そんな中で著者は、固有の土着性を背負った地べたの労働者たちの経済的条件に合致することで、その普遍的な実感を摑む「言葉」の力に希望を託しているように思えます。特殊日本的と思われた絵文字に英国人がはまるくらいですから、「普遍」はあるのです。


この本では、貧困の中で虐待されて育った『ポバティー・サファリ』の著者ダレン・マクガーヴェイが、そのような力を持つ言葉を使う者としてあげられています。あるいは、島根の刑務所のTCプログラムに参加している受刑者たちの言葉が、そのような力を持つ例として出てきます。


しかし誰もが思うであろうことは、この本の著者こそ、そのような力を持つ言葉を編み出す人だということでしょう。さまざまな固有の土着性や時代性等々が重層した具体性を持った、地べたに生きる人の生き様から汲み出され、なおかつ世界に通じる普遍性を持った言葉です。観念的で空理空論を弄びがちな経済学者の私は、いつも彼女の言葉に接することで、自分の考えていることがとりあえず今のところ暫定的に正しいだろうことを確認して安心したり、変えるべき課題を発見したりしています。



マルクスは『資本論』の序文で、当時の最先進国イギリスを分析対象にしていることを説明して、「産業的により発達した国は、あまり発達していない国にとっては、その国自身の未来のイメージを示すにすぎない」と述べています。その後単線史観などと言われて、この言葉はずいぶん評判が悪くなりました。


しかし、イギリスは今述べてきたとおり、現代においても「世界最初」の試みをとことんやってみることを繰り返しています。だとしたら、イギリスのやったことに遅れて手を染める国にとっては、やはりイギリスは「その国自身の未来のイメージを示すにすぎない」と言えます。


日本は、本格的サッチャー改革を20年遅れで小泉政権で、ブレア路線を10年遅れで民主党政権で実施しました。イギリスでは結果が出ていることをやりそのとおりの結果になりました。今また、サッチャー改革を礼賛するイギリス人の進言で、中小個人事業の淘汰が推進されようとしています。それに、今の政府のブレーン体制は財政再建派で固められています。リーマンショック対策で増えた政府債務の削減を口実にキャメロン政権で大緊縮政策が強行されたように、コロナ対策で増えた政府債務の削減を口実に大緊縮がなされそうです。


その結果何がもたらされるでしょうか。それがこの本に示されているのです。壊されてしまったイギリスに聞け!

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