第11話

文字数 3,669文字

福井へと向かう車中で途中まで書き綴った文章は、全て削除した。あわらに10日間滞在して、一度も書くことなく帰京し、もう4日が経つ。ようやくファイルを開いたら、あまりにもそこが遠すぎて、どうにも使い物にならなかった。行きの新幹線で隣り合った男性が、私のトランクを荷物棚に上げてくれたことも、すっかり忘れていた。そのときめきを思い出せただけでも、書いてよかった、ということにしよう。


 2月の後半といえば、新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化し、開催を予定していたコンサートやイベントに影響が出始めた頃である。その余波は、時が止まったような芦原温泉街にも及んでいて、宿泊施設の入り口には団体客の名前が掲げられていたが、おそらくキャンセルになったのだろう、どこもかしこも閑散としていた。


 それでも、私の心は躍っていた。衣装が詰まった赤いトランクを転がして、側溝から湯気が立ち上る街を歩いている。まるで出稼ぎ、旅芸人だ。


 あわらミュージックの楽屋に着くなり、階段を上がってすぐの小部屋に寝具を運び込み、今夜の寝床を確保する。そして、階下でトランクを開けて荷物をバラし、衣装をハンガーにかけたり、楽屋の鏡の前に化粧品を並べたりする。備え付けの座布団の上には、自前のタオルや敷物を敷く習慣のようだ。一体何人の踊り子がここに座ったのだろう。


 掛け布団も電気毛布も、清潔にクリーニングされてはいたが、かなり使い込まれたような染みがあった。シーツも枕カバーも、ハンガーもカーテンも、何もかも不揃いで、生活感が溢れている。共同で使う鍋や食器も、誰かが持ち込んで置いていったものだろう。善意で買い集めた踊り子がいたのかもしれない。


 紙袋にまとめた大量の菓子や栄養ドリンクは、前の週の姐さんたちが置いていってくれたものらしい。きっとお客さんからの差し入れだ。部屋の床に落ちて張り付いたままのネイルシールや、ほのかに残る煙草のにおいに、ついさっきまで、そこに姐さんたちがいた気配を感じる。


 その歴々の踊り子に自分が加わることが、くすぐったく、誇らしい。でも私という個がなくなるような心許なさも感じた。


 樹音姐さんはもう到着していて、あらかじめ送っておいた大量の段ボールと、熊を2頭は詰め込めそうなスーツケースを並べ、とりあえず必要な荷物を掘り出していた。演目に凝る踊り子は、折りたためない木製の椅子を用意したり、宮殿の舞踏会みたいな骨組みのあるドレスを着たりするから、荷物が嵩張る。


 しかし樹音姐さんは、衣装や小道具を上手に使い回すし、それを惜しげもなく、お客さんや他の踊り子にあげてしまう。まるで『幸福な王子』の王子像みたいに。それでも荷物が多いのは、演目の数が膨大だからだ。客席の様子やお客のリクエストに応えて、その場ですばやく対応できる踊り子を、私は他に知らない。


 しばらくすると、山咲みみ姐さんが到着した。私が大好きな「ホームレスのミーコ」を踊る、ベテランで味のある踊り子だ。そして日が落ち始めた頃、一条ダリヤ姐さんも出勤した。彼女だけは、地元の踊り子なのだ。ダリヤ姐さんはデビューして間もないが、幸い面識があるし、とても真面目で謙虚な方である。踊り子としての行儀や礼儀作法を学ぶべきデビュー週には、最高のメンバーと言えた。



 20時過ぎの開演が近付くと、鏡に向かって横並びに座り、それぞれ静かに化粧を始める。みみ姐さんの蠱惑的なアイメイクを盗み見たいところだが、私の出番はみみ姐さんの次なので、そんな余裕はない。踊って、汗を流して、また準備して、踊って、気付けば緞帳の前で、「おやすみなさい、また明日!」とお客様をお見送りしていた。


 私と同じだけステージで踊り、楽屋ではお客さんが撮ったポラにサインもしたはずの樹音姐さんが、いつの間にか準備していた鍋をみんなで囲み、近くの旅館の温泉に朝方まで浸かって、落ちるように眠った。
 文章を書く人間にあるまじき「何も考えてなさ」で、あわらでの日々を過ごしたのである。



 踊り子でいる間は、丸裸になったような心地だった。ステージで服を脱ぐより、もっとだ。私が何者であるか、私が何を思うかは大したことではない、という、感覚。ただずっとそこにあり続けた劇場の上を、代わる代わる踊り子たちが通り過ぎていく。


 もはや性がどうのとか、女性であることがどうしたとかいう話ではない。私は一体、こんなところで何をしているのだろう。そんなことも、あわらでは考えなかった。深く考えるのは、退屈だからなのだと知った。


 楽日の終演後、前日のカレー鍋が具だくさんのカレーライスに化けた。とりわけお気に入りのひのき風呂に、名残惜しく浸かり続けた。そして目が覚めた朝、まだここにいたい、と思った。


 でも、帰りたくないわけではない。山積みになっているだろう書店の仕事も、容赦なく締め切りが迫る執筆も、色褪せているわけでは全然ない。だから大丈夫だと思った。


 各地から集まった樹音姐さんの応援隊のみんなと、近所の蕎麦屋で昼食を摂り、そのままぞろぞろと芦原温泉駅まで向かう。帰るのは私だけだ。樹音姐さんはさらにもう10日、あわらで踊る予定である。平日の昼下がり、いずれ北陸新幹線が停まることになる芦原温泉駅ホームには、私を含め、数人のお客しかいない。


 だが、線路の向こうに、知った顔がいっぱい見えた。樹音姐さんを中心に、みんなが私に手を振っていた。ちょっと恥ずかしい。永遠の別れでもあるまいし。


 だが、私はその「泣きたくなるほどうれしい」光景を、一生忘れられないことになる。


 なぜならその日の晩、昨日と同じように開いた劇場で、事故が起きたからだ。樹音姐さんの踊りが、止まるべきではないところで、止まった。姐さんは今も、福井の大学病院に入院している。踊るはずだった10日間のうち、残りの9日間を、オフの予定だったダリヤ姐さんが急遽、代演することになった。



 すぐに連絡をもらったものの、連休した分、目一杯入れた書店のシフトがあり、10日後には上野で踊る準備もある。福井に駆け付けたところで、泣いて心配させて終わりだ。気の利いたことが言えるような人間ではない。4日間はきちんと仕事へ行き、原稿の締め切りをたんたんと守って、衣装を買い集め、夜中に黙々とスタジオで練習をした。誰にも気付かれなかったと思うが、ずっとぼうっとして、自分を守っていた。


 またこうなるのか。私には何の不幸も訪れず、私が好きになった人には、何の理由もなくひどいことが起こる。そして私はもう、知っている。どんなに強く願ったって、どうにもなりゃしない、というびっくりするような現実を。


 腰の骨を折った姐さんは、信じられないほどの激痛と闘っている。それ以上に、舞台に穴を開けたこと、周囲にかけた迷惑に心を痛めている。何故そんなことになったのだろう。きっと何故なんてないのだろう。


 それでも、メールを送れば、いつもの笑顔の顔文字で返事をくれる。私は必死に、なんでもないメールを送り続けた。でもそもそも、なんでもないことを送ることが、なんでもなくなかった。一緒に乗る予定だったシアター上野には、とてもじゃないが間に合わない。そのことを何度も謝り、私を心配していた。何故だろう。何故なんてないのか。



 師匠が書いた小説『裸の華』のヒロインは、ノリカという元・踊り子である。そのモデルが樹音姐さんだ。ノリカは舞台で足の骨を折って踊り子を辞め、地元の北海道で店を始めた。


 でもあの時、骨折をしても姐さんは辞めなかった。私はそのシーンを何度も想像する。ぎゅっとカラダが強ばる。こわい。どうしてまた、骨を折る。



 踊り子は、常に危険と隣り合わせだ。空中で逆さまになって高速回転する最中に、もし手が滑ったら。天井の金具が外れたら。足がふらついて舞台から落ちたら。しかし、どんな仕事だって、実はそういう危険がすぐ側にある。書店で荷物を捌くときに、カッターで腿の横をばっさり切ってしまった人もいる。もう少し深かったら、神経が切れて、歩けなくなっていた。だから、踊り子だけが特別だとは思わない。



 樹音姐さんが私を踊り子へと導いたように、書店員へと導いたあの人は、私の目の前で病に倒れた。「治ったよ」と言って、一度は職場に顔を見せたが、すぐに再発した。あんなひどいことはもう、職業とは何の関係もない。何故なんてないのだ。



 樹音さんがガラケーを使ってベッドの上で書いたブログを抜粋し、引用する。


 みえかよ! かあちゃんはいけないが、どうか立派に初日を迎えておくれ!


 遠くから、磔のべっどの上から、ただひたすら君の舞台の成功を祈っておるぞ!


 祈るしかないあたしを許しておくれ。


 いま、このタイミングで怪我をしてしまったこと、本当に、物凄く後悔し、反省している。


(中略)


 動けないあたしのために、どうか思いきり踊って楽しんどくれ!


 かあちゃんはどこからでも君を思っているよ。


 みなさん、どうかみえかどんをよろしく頼みます。


(後略)


 じゅね

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