『ゼアゼア』トミー・オレンジ/そこにないとされるものたち(千葉集)

文字数 2,054文字

次に読む本を教えてくれる書評連載『読書標識』。

木曜更新担当は作家の千葉集さんです。

新訳が出版されたトミー・オレンジ『ゼアゼア』について語っていただきました。

書き手:千葉集

作家。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。創元社noteで小説を不定期連載中。

君が感じるからって存在するわけじゃない。

――Radiohead「There, There」(本書中の歌詞訳)

ハリウッドが多様性に配慮するようになったといっても、先住民についての表象は1939年の『駅馬車』の頃から2017年の『ウィンドウ・リバー』に至るまで実はそんなに変わっていない。神秘的で不可解な人々。ニューヨークやロサンゼルスのような大都市から隔絶された、遠くの荒野にいる人々。


でも、もちろん都市に住む先住民たちだっている。というか、いまや先住民系の七割が都市生活者だという。都市インディアン(Urban Indian)、と呼ぶらしい。


そうしたひとたちの物語は語られにくい。なぜならかれらはメディアの望む「インディアン」の姿ではないから。望まれず拾われなかった都市インディアンたちの声を拾う物語、それが『ゼアゼア』だ。


本書では、カリフォルニア州オークランドを舞台として十二人の語り手・視点人物が立ち替わり現れ、語りの断片をばらまいていく。各語り手とそのなかに登場する人物たちは、それぞれがそれぞれの血縁であったり友人であったり恋人であったりして、本全体で複雑な関係の網がはりめぐらさられる(紙書籍版には全登場人物の関係が一覧できる相関図が付されている)。


かれらは大なり小なり問題を抱えて暮らしている。メンタルヘルス、依存症、自殺、就職難、親の不在、そして、定まらないアイデンティティ。それらの問題はしかし、個人的であると同時に都市インディアンにまとわりつく呪いでもあるようだ。


断絶という名の呪いだ。


視点人物のひとり、映像作家のディーンは詩人ガートルード・スタインがオークランドについてうたった詩を引用しつつ、自分たちの歴史に重ねる。「この国の先住民にしてみれば、アメリカ大陸のあらゆるところで、開発が過剰に進み、祖先の大地が葬り去られ、ガラスやコンクリートや電線や鉄鋼が記憶を被い尽くしてきた。そこにはそこがない(There is no there there.)」。


先住民たちが都市部に住んでいることだって、連綿と続いてきた強制移住政策の流れにある。その流れは絶えず、かれらの歴史を断ち切ってきた。


断絶に抗するにはどうすればよいのか。物語を語ることだ。


ディーンは死んだ伯父が遺した映像ドキュメンタリーの企画を引き継ぐ。「物語共有(ストーリーテリング)プロジェクト」と名付けられたその趣旨は、オークランドに住む都市インディアンたちにかれら自身の物語を語ってもらう、といったもの。いわば、本書のスタイルの二重写しだ。


そのプロジェクトを通じ、彼は別の視点人物の青年から彼の生い立ちを聞かされる。青年の父親は自分がどういう部族に属していたかも語らないまま、突然失踪してしまった。父親のことも歴史もよく知らないから、自分がインディアンであると称するのも気が引ける、という。


国勢調査の統計によれば、先住民系のシングルマザー家庭や離婚率は全体の平均に比べても格段に高いそうで、本書でも、父親に捨てられた子どもや、子どもを捨ててしまった母親のモチーフが繰り返し出てくる。都市インディアンにとっては典型的な不幸なのだろう。ちなみに本書に出てくる肥満やアルコール中毒やネグレクトや失業といった他のネガティブなモチーフも、統計上、都市インディアンにより多いとされるものばかりだ。


青年は、自分が先住民であるというアイデンティティを確信できないまま、先住民のクリシェにからめとられてしまっていることの戸惑いを吐露する。


ディーンは、更新されていないインディアンの歴史を新しく始めるべきだ、と説くが、青年にはやはりよくわからない。歴史も血も実感できない。だから、何をあたらしく始めるべきなのかも実感できない。


それでも、と本書はいう。


物語らねばならないのだ、と本書はいう。声をあげること。叫ぶこと。語ること。告白すること。踊ること。存在を証明すること。これらはすべて祈りであり、その祈りが自分たちを生き延びさせてくれるのだと。


『ゼアゼア』のテクニカルな語り口は、才気走った若手作家の虚ろな修飾などではない。複数の声と複数の物語を交錯させ、繋ぐ。そうして織り上がったタペストリーを、わたしたちは歴史と呼び、そこから未来が紡がれていく。

『ゼアゼア』トミー・オレンジ/加藤有佳織 訳(五月書房新社)
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