〈7月8日〉 京極夏彦

文字数 1,867文字

 七夕の笹を分けて貰った礼を口実に友人宅を訪ねると、友人は顔も上げず挨拶もせずに冴えない顔色だが発熱しているのじゃなかろうなと悪態を吐いた。冴えぬ顔は平素のことだと云うと、その点は同意するが伝染されるのは御免だと友は返す。見れば古文書を読んでいる。古本の師匠とやらに譲り受けた新選組関係者の私的な記録らしい。
「丁度文久二年の七月に差し掛かったところでね」
 何でも、その年も流行病が蔓延していたと云う。
「その描写たるや酸鼻を極めている。棺桶作りが間に合わんと書いてある」
 江戸だけで七万人からが死んだと云うから強ち誇張でもないらしい。
「だがそれはコレラ病だろう。今流行しているのはコレラじゃない。比較は無駄だ」
「先行して麻疹も流行していたのだ。まあ東京は水捌けが悪い土地柄だし、長屋など井戸も廁も共同だ。劣悪な環境さ。夏場は余計に不潔になる。凡そ衛生的とは云い難いからな」
「文明開化前の話だろう。今は栓を捻れば蛇口から水が出る時代だぜ」
 君は西班牙風邪を知らんのかと友人は云う。
「流行は大正時代だ。文明開化は疾うに済んでいるが、三十五万人も亡くなっている。風邪と謂うが、あれもインフルエンザだ」
「そうかもしれんがね。今は医療も進歩している。当時は抗生物質もなかった時代だろ」
 変わらないよと友人は云った。
「インフルエンザ対策実施要領は昭和二十九年作成だが、今回役に立ったかね。コレラだって安政五年にも文政五年にも大流行しているが、記録を覧る限りどんどん酷くなっている。学習しないのだ。細菌でさえ手に負えないのに、ヴィールスだぜ。薬を作ったって鼬ごっこだ。感染者の隔離と消毒くらいしか拡大を防ぐ術はないし、そりゃ百年前から変わらない。同じことを謂ってるんだ、ずっと。医者が疲弊し貧乏人から死んで行く。江戸の頃からそうなのさ。国は疫鬼を防げない」
 御祓いでもしろと皮肉を云うと、その方がましだと友は憎憎しげに云った。
「目に見えない脅威は可視化した途端に攻撃対象に置き換わるのだ。穢が憎悪になる。だが、感染者や感染源、況て医療に従事する人達までを穢として扱うような愚行だけは絶対にしてはいかんよ。隔離は感染防止のためで、それ以外の意味はない」
 それはそうだなあと私は気のない返事をする。話したいことは他にある。
「穢を祓うのは本来時の為政者の仕事だよ。政とはそう云うものだ。勿論論理的で実用的な施策を立て迅速に実行するのは大前提だが、こういう時に大事なのは信用さ。災厄を祓うためには絶対的な信用が必要だ。ところがこの国では伝統的に為政者が信用されてないんだよなあ。まあ」
 反体制の権化のような君に云うことじゃないがなあと友は云う。
「あの震災の時でさえ庶民は半ば自力で立ち直ったようなものだ。妄信すると戦争を始めたりするから政策は逐一疑うべきだが、こんな時くらい安心させてくれても罰は当るまい。今日だって多摩の方で米軍基地拡張反対運動かなんかをやっている。キナ臭くなる一方でちいとも安心させてくれない」
「君は悠然として見えるがな。そもそも座敷から出ないじゃないか」
「君のような迂闊な男が訪ねて来るじゃないか。江戸のコレラも大正の西班牙風邪も第二波の方が死亡者が多かったのだ。伝染病は人の移動で広がるんだ。江戸の頃と今じゃあ移動距離も範囲も段違いだ。移動時間も飛躍的に短い。甘くみちゃあいけない」
「甘くみてはいないよ。いや、だから僕は、亜細亜風邪の話じゃなくてだな」
「判ってるよ。君は一昨日の谷中の五重塔焼失事件の話がしたくて来たのだろう」
 そこで京極堂はやっと私に顔を向けた。その日、昭和三十二年七月八日が事件の

 ここまで書いたところで日付が変わった。


京極夏彦(きょうごく・なつひこ)
1963年生まれ(北海道小樽市出身)。日本推理作家協会第15代代表理事。世界妖怪協会・お化け友の会代表代行。1994年『姑獲鳥の夏』でデビュー。1996年『魍魎の匣』で第49回日本推理作家協会賞長編部門受賞。1997年『嗤う伊右衛門』で第25回泉鏡花文学賞受賞。2000年第8回桑沢賞受賞。2003年『覘き小平次』で第l6回山本周五郎賞受賞。2004年『後巷説百物語』で第130回直木三十五賞受賞。2011年『西巷説百物語』で第24回柴田錬三郎賞受賞。2016年遠野文化賞受賞。2019年埼玉文化賞受賞。 

【近著】

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