第1話

文字数 1,855文字

 三人寄れば文殊の知恵とは言うが、猿はいくら集まっても猿のままだ。増長して騒ぐから、一匹でいる時よりもなお悪い。生まれてから十六年経っても知性を獲得できなかった人類は、努力するよりもむしろ、猿であることを積極的に選択するらしい。
 教室の真ん中でうるさく会話をしている猿の群れの中から、にやついた一匹が視界の端に入ってくる。気のせいであれと願ったが、どうやらそいつは僕にちょっかいをかけることに決めたらしい。
 ああもう、今日中にこの章を書き上げてしまいたいのに。

「おい油木!」
「……なんだよ、うるさいな」
「また何か書いてるのかよ、見せてみろよ」
へらへらと笑いながら伸ばされた手を、僕は無造作に払いのける。
「っ、おい、何すんだ!」
「それは僕のセリフだ! 勝手に人の物に触るんじゃない!」
「へ、何だよムキになりやがって。またお前がキモい文章書いてるんじゃねえかって確認してやろうと思っただけだっつーの!」
「僕が何を書こうと、お前には関係ないだろうが!」
「おー、油木がキレてる。怖い怖い」

 僕が席を立って詰め寄ると、猿はおどけた態度をとりながらもじわじわと後ずさっていく。結局、大勢で騒ぐしか能がない奴らなのだ。真っ向から立ち向かわれれば、それ以上突っかかってはこない。
 こういう手合いから距離を取りたくて進学校を選んだはずなのに、馬鹿はどこにでもはびこるものだ。無理やり原稿を奪い取ってどうにかしようというほどの根性がないのが、不幸中の幸いと言うべきか。
「だいたい、教室でそんなキモい顔しながらガリガリ妄想書き散らしてるんじゃねえよ。ああ、文芸部はお前ひとりだから部室ねえんだよな、かわいそうに」
「仕方ないだろ、今日は図書室が開いてないんだ! それに、不快ならお前らが出ていけばいいだろ! 僕にだって放課後に居残る権利はあるんだ!」
 怒りに任せたまま、僕は猿の肩をぐいぐいと押すようにして遠ざける。
 最後までそいつはふざけているだけという態度を崩さないまま、元の群れの中へと戻っていった。

  今書いているのは、文芸部の部誌用の原稿だ。といっても、文芸部は僕一人しか所属していないので、実質は個人誌なのだが。四月に高校生活が始まったばかりとは言っても、元が根暗だから簡単に友人ができるはずもない。六月に入った今になっても、僕は変わらず大概の時間を一人で過ごしている。元から誰かとつるむつもりもなかったし、うるさく絡む奴さえいなければ、物を書くにはちょうどいい環境だ。
 だが、教室でこんなものを広げたくないのは僕だって同じだ。仕方ない、図書室以外にどこか落ち着ける場所を探すとするか。
 ため息をつきながら振り返ると、書きかけの原稿用紙が広げられた机を誰かが覗き込んでいるのが見えた。
「……おい、お前も僕に何か文句があるのか?」
 
 僕は苛立ちを隠さないまま、その背の高い人物に歩み寄る。
 弾かれたように顔をあげたのは、はっとするようほど顔立ちの整った少年だった。
 名前は確か、早見薫。友人のほとんどいない僕でもフルネームを知ってるくらいの、この学校の有名人だ。なんでも、その顔立ちを生かして校外でモデルか何かをやっているらしい。僕には一生縁のない、華やかな世界の住人だ。
 そんなスクールカースト上位の奴が、わざわざ僕にちょっかいを書けるとも思えないが。

 黙ってにらみつけていると、早見は悪事を見つかった子供みたいに、
「え、あ、お、俺は、そんなつもりじゃ……」
 ともごもごと言い訳をしながら、逃げるように机から離れた。
 何もそこまで怯えなくてもいいのに、と思いながら、僕は自分の原稿を確かめる。
「……ああ、なるほど」
 ちょうど早見が覗いていたのは、主人公が長年恨み続けてきた相手を追いつめ、ナイフで刺し殺すシーンだった。自分で言うのもなんだが、繰り返し他人を痛めつけ、それを歪んだ笑顔で楽しむ主人公が陰惨な筆致で書かれている。ここまで振り切れた人物はなかなか書けないから、つい楽しくて筆が乗ってしまった場面だ。
 同じ教室でこんなものを書いてる奴がいたとしたら、それは避けたい気持ちにもなるだろう。こちらとしても、放っておいてくれればそれで満足だ。
 とにかく、早くこの続きを書いてしまわなければ。締め切りはもう明日に迫っている。僕は紙の束を鞄に突っ込むと、早足で教室を立ち去った。
 教室を出る間際に早見と視線が合った気がしたのは、ただの錯覚だろう。

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