桜木紫乃・北の作家 「渡辺淳一」

文字数 1,599文字




 きれいな文章だ。

 十代の半ばに『阿寒に果つ』を読んだときの感想だ。出会い頭にパシッと額を叩かれたような刺激を受けたのを覚えている。

 道東から一歩も出たことのない少女時代、小説だけはいろいろな土地へと連れて行ってくれた。旅に恋してそのまま内地、海外と読み続ければ良かったのだが、なぜかいちばん心落ち着くのは北海道が舞台の小説だった。

 新人賞をいただいてから十七年が過ぎようとしているが、なかなか単行本を出せない時代に編集者からよく聞かされたのが氏の教えだ。

『人間だけ書いていても小説にならない。景色だけ書いていても小説にならない』もそのひとつ。人間と景色をさんざん書いてきた人でなくては生み出せないひとことだと思う。

 氏の育てた編集者が新人作家を育てているのだ、と気づいたのはここ数年のこと。小説家を育てているときの編集者はヒットを焦らないものだということが、遺されたエッセイでもよくわかる。書き手を無駄に焦らせないで小説を書かせるのは、けっこう大変。業に気づかせ業を書かせ、仕上がったものが「作品」になる。書き手より前に出て弁を垂れず、ひたすら待つ。鈍いふりをするのも編集者の仕事のひとつかもしれない。氏が言うところの鈍感力とは、包容力なのだ。

 男女小説の大家と呼ばれるのは、逃げず偏らず人間を書かれてきたからだろう。お目にかかったのはたったの一度きりだった。直木賞受賞決定の夜、銀座のクラブ「数寄屋橋」にてご挨拶が遅れた生意気な受賞者に氏がひとこと「お前、あと十分遅れたら受賞取り消すところだったぞ」。戦国時代だったら首が飛んでいた。

 氏にとって第一四九回が最後の直木賞選考会だった。「北海道で書いてるヤツがいるのか、どれどれ」と読んでくださったのかもしれない。

「先生、弱い人間をちゃんと弱く書けるのって、ご自身の弱さを認めているからですよね」。この質問を出来るほどの時間をご一緒出来なかった。そして「生まれて初めて美しい文章に出会ったと思えたのが『阿寒に果つ』だったんですよ」も伝えられなかった。

 美しい文章はどんな物語も生かすことが出来る、と教えてくれたのも渡辺文学。小説は切った人間の切り口から血が噴き出す様を書くが、鮮やかに切らねばいずこもただ痛いだけだ。作家であり歌人でもあったひとは、三十一文字でも充分人間を表現できるひとだった。

 二〇一二年、『くれなゐ』の新装文庫版解説の役をいただいた折、『「生きよ、愚かしくただ生きよ」と言われていたような気がする。少ない経験で知ったふりなどするな、と』と書いて送った。すぐに件の編集者から電話が掛かってきた。

「僕らはみんな、渡辺先生にそう言われながら育ってきたんですよ」

 彼はそう言って、ほんの少し黙った。

 北海道の片隅で二十余年、小説を書いている。何月にどんな雪が降り、何月にどこから雪が解け、いつごろ桜が咲いて、秋風の吹くのがいつなのか知っている。

 渡辺文学に触れるとどうしても、北海道に生まれ育って書くことの意味を考えることになる。当然ながら北海道を舞台にすることが多いのだが、住んでいるところを舞台にすると、現実の人間が頭の中から消える。そこは、書き手にとっての大切な遊び場だ。大きくするも小さくするも自由。現実に見せかけた虚構が、頭の中の広場いっぱいに膨らんでゆく。

 厳寒時に降る雪は脳内の広場でも現実でもさらさらで、雪玉を作ろうにもなかなか固められない。北海道生まれの書き手は、自らの体温を使って雪を解かさなければ固まらないことを、皮膚で知っている。

 北海道のあたりまえを書けばよし――これも、渡辺文学に気づかされたことのひとつだ。

「小説現代特別編集二〇一九年五月号」より

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