タビメシ道の極意②/岡崎大五
文字数 1,967文字
極意その2「うまそうな顔を、探せ!」
旅とは、すなわちブラブラ歩くことである。歩きつつ、うまい地元メシはないか目を皿のようにして探す。
実はこの時、探す顔がある。
それが「うまそうな顔」である。
おっさんであろうが、ばあさまであろうが、赤ちゃんが店内のテーブルでハイハイしていようが、美人であろうが、そうでなくたって、世の中にはうまそうな顔というものがある。
この顔を探すのも、タビメシ道の極意の一つだ。
では、どんな顔が、うまそうな顔なのか。
それを説明するのは、はっきり言って困難である。これはもう、場数を踏むしかない。
初心者の方は、ひとまず安全策として、うまかった地元メシ屋で、後付けで、店の店主やスタッフにうまそうな顔を探して認知し、なるほどあの顔が、うまそうな顔の正体であったのかと納得し、それを脳内のうまそうな顔データベースに保存しておくことをお勧めする。
あるいは、そんなしちめんどくさいことはせず、勝手にうまそうな顔を見つけ出して入店、食べてみて、失敗を重ねることで、経験値を上げていくというやり方もある。
いずれにしても、この道を極めることは、簡単でないかもしれない。
ただ意外と人の直感は働くものなので、すんなり会得できる人も多いと聞く。
さて、数年前のことである。マレーシアのマラッカをブラブラ歩いていた。そこで気になる店と女性を見つけた。
店は掘っ立て小屋で、客席は菩提樹の木の下だった(写真)。朝から地元民たちがちょこちょこ集う。そんな実に地元メシ屋らしいこの店で、立ち働いていたのが、眼鏡をかけた、ぽっちゃりとした若い女性店員である。
店内は外から丸見えなので、様子はわかりすぎるほどである。僕は道でナンパでもするかのように、この女性店員に声をかけた。
「この店のおすすめメニューは何かな」
「ウーン、今日は『ナシルマッ』よ。毎日おすすめが違うの。メニュー見る?」
彼女はふくよかな体をくねくねさせながら答えると、行進するようにまっすぐ歩いて掘っ立て小屋に行く。
僕は彼女のうまそうな顔に確信していた。何が出ようと絶対うまい。
彼女の体全体から、得も言われぬうまそうなにおいがたちのぼっているのだ。それとも衣服に染み付いた、料理の残り香が鼻を刺激したのかもしれないが……。
掘っ立て小屋の中では、痩せたおばさんがせっせと料理を調理していた。壁に貼られたメニューには、曜日によって、ナシルマッのほか、『ラクサ』(カレーラーメン)、『ビーフカレー』、『ミースープ』(マレー風うどん)の日もあった。『ミーゴレン』(焼きそば)は毎日あるらしい。
どうやらニョニャ料理の店である。ニョニャとは、中華系の男性とマレー系の女性の結婚の末に生まれた文化で、料理や建築に残されており、ババ・ニョニャとも呼ぶ。その代表的な料理が、ナシルマッやラクサだ。
妻と二人、ミーゴレンとナシルマッを注文して、菩提樹の木の下で、風を浴びながら待つ。
ほどなく、うまそうな顔の彼女が、福々しい表情で料理を運んでくる。それだけでうまそうだ。
この店のナシレマッは、ココナッツで炊いたご飯に、青菜炒めと卵焼き、ジャコの素揚げに辛いサンバルソースがのっている。
これを混ぜ混ぜしながら食べる。
ココナッツのほのかに甘い香りが鼻に立ち昇り、サンバルの辛さが味の全体像を引き締める。質素だが、極上の地元メシである。
がつがつ食べて、ゆっくりと深煎りのコピ(コーヒー)をいただく。
妻がスケッチする間(妻は画家です)、僕は近くにあった黄色いブランコに揺られた。
空はどこまでも青く、梢のざわめきが耳に届いた。風が体を通り抜けていく。
気持ちいいなあ……。
うまそうな顔の彼女も外に出て、ぼんやり通りを過ぎる人を見守っている。
そこへベンツが路肩にスーッと止まった。
また一人、金時計をしたおっさんが、うまそうな顔の彼女に導かれ、菩提樹の下の粗末な客席につく。
僕はその様子を見ながら、うまそうな顔は絶対にある……とあらためて思った。
岡崎大五(おかざき・だいご)
1962年愛知県生まれ。文化学院中退後、世界各国を巡る。30歳で帰国し、海外専門のフリー添乗員として活躍。その後、自身の経験を活かして小説や新書を発表、『添乗員騒動記』(旅行人/角川文庫)がベストセラーとなる。著書に『日本の食欲、世界で第何位?』(新潮新書)、『裏原宿署特命捜査室さくらポリス』(祥伝社文庫)、『サバーイ・サバーイ 小説 在チェンマイ日本国総領事館』(講談社)など多数。現在、訪問国数は85ヵ国に達する。
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