『きらめく共和国』アンドレアス・バルバ/異邦人としての子どもたち(千葉集)

文字数 1,733文字

次に読む本を教えてくれる、『読書標識』。木曜更新担当は作家の千葉集さんです。

今回は『きらめく共和国』について語ってくれました。

書き手:千葉集

作家。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。創元社noteで小説を不定期連載中。

サンクリストバルで命を落とした三十二人の子どもたちのことをたずねられたとき、相手の年齢によって私の答えは変わる。

(本作、p.5)

一九九四年、サンクリストバルは三十二人の子どもたちによって蹂躙された。


先住民であるニェエの血をひくストリート・チルドレンのグループで、最初は物乞いなどを行うだけだったのが、ひったくりや盗みにも手をそめだし、ついにはもみ合いになった警官を事故的に殺してしまう。次いで、子どもたちがスーパーを襲撃してナイフで大人たちを殺傷する事件を起こすと、市民の不安と恐れは頂点に達する。


地元警察が乗り出して、子どもたちの潜んでいるものとおぼしい近郊のジャングルを捜索するものの、子どもたちは見つからない。そうこうしている間に、地元に住む子どもたちにも異変が起きだす……といった内容。


誰しもかつて通ってきた道のはずなのに、その道をどう歩いていたのか、どういう心持ちで歩いていたのか、思い出せない。そのときの自分と今の自分を比べると別の生き物であったような気さえする。子どもとは自分のなかにある不可解な他者の映し姿で、だからこそ大人は(特に自分の子どもという別の参照項を持たない人たちは)子どもを恐れる。


そんな子どもに対する恐れ、あるいは仄暗い共感を描く、〈恐るべき子どもたちの系譜〉とでも呼ぶべき伝統が文学にはある。


その系統で、スペイン語圏でまっさきに思い出されるのはホセ・ドノソの『別荘』(寺尾隆吉訳、現代企画室)だろうか。集団としての子どもたちを、秘密結社めいた魔術性と狂躁で彩った傑作だ。


チリ出身のドノソは十五年ほどスペインに定住し、そこで『別荘』を書き上げた。


『きらめく共和国』はその四十年後にスペインで生まれた『別荘』の落し子といえる。


架空の町サンクリストバルはジャングルと川に挟まれた亜熱帯地域に設定されていて、作者アンドレアス・バルバの住むスペインではなく中南米あたりが想定されているらしい。その町を騒がすニェエのストリート・チルドレンは何語でもない不思議な言語でコミュニケーションし、ふだんどこで寝起きしているのかもわからない。そもそもどこからやってきたのかさえ詳しくは不明だ。大人側からのコンタクトはほぼ不可能。何を考えているかなどももちろん知れない。


こうした造型だけでも不可解さを煽るが、バルバは語りの面で子どもたちの神秘性を何層にも重ねていく。


まず視点人物が大人であること。しかも、社会福祉課の職員としてストリート・チルドレンたちの問題に市長や警察と組んであたっていた権力側の人物だ。血の繋がりはないとはいえ、一児の親でもある。どこまでも三十二人の子どもたちからは遠い存在だ。


そして、彼はその語りを事件から二十二年後に回想する形で行う。事件後に出版された地元の子どもの日記さえ、幾分皮肉に、批評的に観察する。


語り手に子どもたちから徹底して距離をとらせることで、どこまでも遠い他者を眺める観察者としての目線を本作は完成させた。


一つの街で次々発生する不可思議な出来事を淡々と報告するような語り手の姿は、スティーヴン・ミルハウザーの短篇も想い起こさせる。熱くて昏いラテンの血が混じったミルハウザー……本作を形容するなら、そんなところだろうか。


子どもは大人とは離れたところで独自の別世界を作りあげる。それを内部から思い出すときはノスタルジーを呼び起こし、外部から眺めるときには奇妙な不条理さをおぼえる。かれらは今もあたらしい世界を作りつづけている。”きらめく共和国”を。わたしたちがそのかがやきに触れることはできない。

『きらめく共和国』アンドレアス・バルバ(東京創元社)
★こちらの記事もおすすめ

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色