深掘り鼎談 ウィズ・コロナになって ゾンビがくれたもの

文字数 7,967文字

石川智健 × 岡本 健 × 福田安佐子


『ゾンビ3.0』を上梓した石川氏と大学でゾンビ学を教える研究者の2人が

ゾンビの歴史の中心で愛を語り合った──。

ゾンビとの馴れ初めは?


石川 僕がゾンビを好きになったのはわりと最近で、「新感染 ファイナル・エクスプレス」(2016年)からです。ジョージ・A・ロメロ監督のものや「28日後…」(2002年)などはテレビの洋画劇場で観た記憶がありますが……。お二人はいつ頃からなのでしょうか。


岡本 「新感染 ファイナル・エクスプレス」、名作ですね! まあゾンビと言えばロメロですが。私も実はそんなに早くなくて、ゲームの「バイオハザード」(CAPCOM・1996年)からなんですよ。ゾンビはもともと好きでしたが、むしろ後に『ゾンビ学』を書くために色々調べていたときに知ったことも多いですね。福田さんはいかがですか?


福田 私も実は遅くて……。翻訳を担当した『ゾンビの小哲学 ホラーを通していかに思考するか』(マキシム・クロンブ・著)の原書を見つけたとき、おっ、ゾンビって研究対象として面白いな、と。そこで何かゾンビ映画を観ようとレンタルショップに行って手に取ったのが、ロメロの「ランド・オブ・ザ・デッド」(2005年)でした。


岡本 「ランド・オブ・ザ・デッド」はちょっと特殊ですよね。


福田 オーソドックスなゾンビ映画ではないですよね。「ランド・オブ・ザ・デッド」を観て思ったのが、私はゾンビをよく知らないと思っていたのに、実はちゃんと知っていたということ。それほどゾンビのイメージは世間に広まっていたんですね。つまりゾンビの持つポテンシャルはすごいんじゃないかと。そこで本格的に研究を始めたんです。


岡本 「ランド・オブ・ザ・デッド」はロメロがどんどん複雑になっていった頃の、それも一番複雑怪奇なやつですね。因みに私がロメロで一番好きなのは「死霊のえじき」(1985年)なんです。「ランド・オブ・ザ・デッド」は「死霊のえじき」をもっとバージョンアップさせたような感じですよね。


石川 なるほど。そうすると、三人ともゾンビに「入った」のは2000年前後ということになりますね。


福田 ゾンビは、ロメロが基本で、いわゆる聖典的な存在なんですが、実のところゾンビに教科書や正解はないんですよね。いろんなバリエーションがあって、見ている側は、全部ひっくるめて「ゾンビ」と言っている。


岡本 そうですね。まさにこの石川さんの『ゾンビ3・0』は、そうした有象無象のいろんなゾンビを集めて、ちゃんとジャンルとしてまとめあげ、作品として成立させている。読んでいてめちゃくちゃ楽しかったです。

なぜそんなにゾンビが好きなのか


福田 私の場合は、生きていない、死んでもいない、何者にもなりきれないゾンビに共感してしまったんです(笑)。


岡本 ゾンビのほうに、なんですね(笑)。


福田 (笑)。私は三人兄妹の真ん中で、自分が上にも下にもなれない中途半端な存在だと感じていたんです。でも、その中途半端な立ち位置にも可能性はあるんだなと、ゾンビを見ていると希望が湧いたといいますか(笑)。

 それから、少し崩れた人間の形をしたゾンビによって、気づかされたことがあります。それは人間が自分たち人間の形、人形(ひとがた)に対して強いイメージをもち、絵や塑像などの芸術を通していかに人形(ひとがた)を大切にしてきたのかということです。そういう意味で、好きというよりも大切なものだと思っています。


岡本 私は大きく二つあるんですが、一つは、ゾンビの緩さ、自由さです。話せないはずがふつうに話していたり、作品によってどんどん変わってしまっているけれど、それらも許容されるところですね。そこで作家性、クリエイティビティーも発揮できる。もう一つは問答無用な破壊衝動といいますか、アトラクション的なものを与えてくれるからでしょうか。元は人間だけれど、ゾンビだからいいや、撃っちゃえ、みたいな。複雑になりすぎた社会の中で、「マッドマックス」的な破壊衝動をものすごくシンプルに与えてくれる。ゾンビっていろいろ挑戦できるし振れ幅が広い。そんなところが好きなんだと思います。


石川 お二人のあとで言いにくいんですが、僕は敵が人間設定の映画やゲームは苦手なんですね。人を撃ったりするのに抵抗がある。じゃあ相手が宇宙人や怪獣だったらいいのかというと、それだと距離感があって乗れない。ゾンビだと、かつて人だったというところが微妙に近くて、ちょうどいいんですね。


福田 それはゾンビ史的にとても正しいですね。「バイオハザード」も、〝もともと敵は人間設定だった〟と聞きました。でもさすがにそれはどうなのか……となったとき、ちょっと腐らせてみたらいいのでは、と。


岡本 確かに、ゲームはゾンビの存在があることでだいぶ助けられていますよね。これはゾンビであって人ではない、という逃げ道がある。

押さえておきたい映画は?


岡本 「ホワイト・ゾンビ」(1932年)、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」(1968年)、「ゾンビ」(1978年)などがまずあり、「28日後…」、「バイオハザード」(2002年)、「ワールド・ウォーZ」(2013年)、「新感染 ファイナル・エクスプレス」、さらに80年代に「死霊のはらわた」(1981年)や、リアル路線とはちょっと違う「バタリアン」(1985年)などがありましたね。


福田 「私はゾンビと歩いた!」(1943年)も入れたいですね。古典的なゾンビです。石川さんはごらんになりましたか?


石川 すみません、ちょっと僕は観ていないです。


岡本 これは私たちが知っているゾンビとは、ちょっと違うゾンビですね。基本的にはヴードゥー教のゾンビなんですが、西インド諸島の島で、そこに住むとある婦人が自分の意思では何もできない状態になってしまっている、それはなぜ? というミステリー的な要素が強い。


福田 まず他の人を襲わないですし、ゾンビが人間ではない状態なのか、ヴードゥー教の呪術によるものなのか、それとも単なる病気の症状なのか、最後まで曖昧なままでわからないんですね。でもゾンビ映画史上一番美しいゾンビ映画と言われています。


石川 なるほど! 面白そうですね! ぜひ観てみたいと思います。ところで「歩く」と言えば、走るゾンビについて、認めない派と認める派の論争がありますが……。


岡本 私自身は、走るゾンビOK派です。細かいことをつついていくとどうにもならないのがゾンビなので、私はゾンビに関して寛容な方向に振り切れているんです(笑)。この走るゾンビは、ゾンビ表現における一種のブレイクスルーでしたし、走るゾンビの登場によって、ゾンビが元気を取り戻したと思います。でももちろん、ゆっくり歩くことしかできないのも好きですね。


福田 走るゾンビが現れたことで、ゾンビのジャンル自体が活気づきましたね。また、逆に走れないゾンビのポテンシャルが見いだされ、走らなくても面白いものが撮れる、よりコメディー路線の可能性がでてくる……などですね。


石川 僕は走るゾンビから入ったので、走ることへの抵抗はないですね。もちろん、それ以前のゾンビも知ってはいるのですが、好きになったときにはすでに走っていた(笑)。でも揺り戻しもあるのではないかと期待しています。走るゾンビが出てしまったこれから、歩くゾンビをどう描いていくのか……。

新型コロナはゾンビを変えたか


岡本 ウイルスというものに対しての私たちの知識がアップデートされましたよね。それによって、今までなんとなく流してきた「ウイルスに感染してそんなに速くゾンビになるのか?」という問題も、見過ごせなくなった。昔、放射能の影響でゾンビになるという設定があったのが、その後、いやそれはないよね、となったように。これに対して『ゾンビ3・0』ではきちんとむきあっていましたね。


福田 新型コロナウイルスによって、しばしばゾンビ映画の鍵となってきた「無症状感染者」問題が変わるのでは、と思います。以前は「無症状感染者」は、暴れないので血清がとれ、研究の対象になるという「希望」だった訳ですが、それがコロナ禍ではむしろ感染を広げてしまう危険な存在になってしまいました。そうするともうそのモチーフは使いにくくなるのかもしれません。またはもっと有効活用する方向か、ですよね。そして、ウィズコロナ、ポストコロナの時代になって、ゾンビ映画も、ゾンビを倒すというのではなく、ゾンビウイルスやゾンビたちとどう共存していくのかという価値観がより身近になったのではないかと思います。


岡本 まさにコロナ前から「ワールド・ウォーZ」や「CURED キュアード」(2017年)など、ゾンビと共存できるのかとか、ゾンビウイルスが蔓延している中でどういう日常を送るのかとか、そういう作品が出てきたところでのコロナ禍でしたから、ちょうどはまった感じですね。


石川 「ワールド・ウォーZ」小説版のほうで「いま俺たちが生きている世界はまるっきりちがう。しかもそれは、隣近所、ひいては国家の中だけに限った話じゃない。世界中のどこだろうと、誰と話をしようと、すべての人々が同じ強烈な体験を共有している」というセリフがあります。これはもちろん作中ではゾンビのことなんですが、今回コロナで世界中の人が感染症という共通の体験をしたことで、その後のゾンビというのはこれからもっと飛躍していくに違いないと思うんです。そしてその先鋒にいるのが韓国のゾンビ、Kゾンビである、と。


岡本 確かにゾンビ映画も2010年代以降は、米国以外の国、韓国やインド、ギリシャなど様々な国で活発に作られるようになりました。ゾンビも世界共通体験になってきていた。そこにコロナです。今後、すごいゾンビ作品が現れるかもしれません。

ゾンビが存在する可能性は?


福田 その質問、よくされるんですが、「ゾンビをどう定義するかによる」と答えています。生と死の明確な境界線というのはないので、どこからが死なのか人為的に決めてあげないといけない。ですから、現在、一般的に死ではない、とされているところに死の境界線を置きなおしたら、それ以降のものはゾンビになってしまう。つまり生と死の境界線が曖昧だからこそ、ゾンビが存在できている、と。


岡本 いきなり昨日までと違う人間になってしまう……という定義にすれば、病気が原因とかでもあり得ることですよね。そう思うと、意外とゾンビというのはすでにいるのかもしれない。


石川 僕は、ゾンビそのものは存在しないかもしれないけれど、ゾンビ映画で描かれたような、非日常的な世界はあると思います。特にコロナ禍を体験することでそう思いましたね。


福田 もしゾンビがいるのなら、人間はコロナ禍で学んだおかげで、これまでのゾンビ映画と違って、今後は「外出を自粛しよう」とか「スーパーマーケットに今は行くな」とか、みんながスムーズに行動してくれるかな、と思います(笑)。

 人類の滅亡は少し先延ばしされた(笑)。

これからのゾンビの姿とは!?


福田 今までのゾンビの変遷を考えると、初期はヴードゥー教のゾンビでした。それが2002年の「バイオハザード」や「28日後…」でゾンビがウイルスに感染した人間となり、さらに走るようになりました。そして「ワールド・ウォーZ」のように、人間ではない何か別の生命体としてのゾンビが出現した。ゾンビは、人間の形をした〝ゾンビ〟という新しい存在となりました。それに対してどう対処するか。漫画の『アイアムアヒーロー』(花沢健吾・作)もそうですよね。

 AIが進化して人間の知能を超えてしまう転換点のシンギュラリティ(技術的特異点)という概念があり、SF小説や映画でディストピアとして描かれてきましたが、実はそうならないのでは、という方向になってきたと思います。

 AIができることと人間のできることは違っていて、棲み分けができ、単純な対立関係とはならないのではないか、と。ゾンビと人間もそのようになる可能性はあるのではないでしょうか。


岡本 これからのゾンビにはいろんな方向性があると思いますが、やはりポストゾンビ、ポストヒューマンという話になるのでは、と思います。ゾンビが進化して、どこまでいくのか。人間にとって代わってしまうかもしれない。すでに人間にもう何かの因子が入り込んでいて、今までと同じ人間ではない、何か違うものに進化させられているのかもしれない。


さて話題の『ゾンビ3・0』について


石川 『ゾンビ3・0』を読んでいただきありがとうございます。正直な感想をお聞かせいただければ、と思います。


岡本 「なぜゾンビになるのか」という謎も含めて、物語の中にいろんな謎がある「ゾンビミステリー」だと思いました。

 謎解きも、ヒントがとても明確に書かれていて、ホスピタリティに満ちた作品だと感心しました。あと「ウイルスに感染してすぐにはゾンビ化しない」という、ゾンビ発症に至るこれまでのメカニズムを緻密に説明していて、とても面白かったです。読後感が爽やかなのもいいですね!


福田 日本のゾンビものだと、どうやって銃器をナチュラルに出すのかというのが一つの大きな壁だと思うのですが、「刑事」を出すことでそこをクリアしたことに、感心しました。

 また、人間とゾンビの違いについて突き詰めようとする点も面白いと思いました。原因を科学的に言及したり、ゾンビという状態が人間とどう違うのかを考えさせる流れは秀逸だと感じました。人間とゾンビ。同じ人間の形をしているけれど、何かが違う、でもその違和感を明確な言葉で言い表せない。サイボーグというと一般的に「ターミネーター」のように全身が機械化されたものをイメージしますが、実は私たちは、コンタクトレンズとか補聴器とかの道具を人間の視覚や聴覚などの感覚部分に自然につなげて使いこなしている時点で、すでにサイボーグではないか、という議論がありますが、まさにそれに似ていますよね。

 それと、一人の優秀な人が先頭に立ってみんなを誘導するのではなく、みんなで知恵を出し合って解決していく……という姿が描かれているのもとても良かったですね。


石川 そこは「集合知」ということをとても意識していました。一つの頭で考えることには限界がある。まさにコロナもそうなんですが、世界のみんなで考えていかないと、ウイルスに太刀打ちできないと思うので。


岡本 「集合知」というキーワードが出ましたが、研究者たちが、城田という学生のゾンビマニアに、映画の中に出てくるゾンビ化の原因が参考になるかもしれないから、どういったものがあったのかを教えてくれと真剣に訊いたり、SNSやYouTubeを利用したりと、集合知的に問題を解決しようとしている姿がとてもよく描けていました。読んでいる自分も参加しているように感じられて、それがいい読後感につながっているように思います。

ロメロになれ!


岡本 ところで石川さんはなぜ『ゾンビ3・0』を書こうと思われたのですか?


石川 実は担当編集さんが、僕と打ち合わせのあと一緒に酒を飲んでいたときに、「ゾンビものを作家のAさんに書いてもらいたい」と言っていたんですよ。それを毎回言うので、「実は僕も好きなので、僕が書いてもいいですか?」と立候補してみたんです。そうしたら「では、ロメロになったつもりで書いてください!」と言われて。その言葉が原動力となって、一ヵ月で書き上げました。もちろん、執筆のゴーサインが出るまえに文献など読んで調べていましたが……。僕も好きなのに、なんでAさんじゃなきゃダメなのか、という意地もあったと思います。


岡本 いい話ですね(笑)。ロメロになれ! ……なかなか言えないですよね(笑)。


石川 そうやって発破をかけられたのが功を奏したのか、『ゾンビ3・0』は今までにないゾンビ作品になったと思いますし、今回日韓同時発売ということなので、日本国内はもちろん、ゾンビ先進国の韓国での反応も楽しみにしています。

 ゾンビ好き作家として、今回の『ゾンビ3・0』だけではなく、主人公を高校生にした別のゾンビ作品にも挑戦しようと思っていますし、もっといろいろと書きたいことがあるんです。僕はミステリー作家ですが、いつか、和製ロメロと言われるくらいになるまで頑張ります(笑)。

 今回の鼎談で改めて思ったのが、ゾンビというジャンルの柔軟さです。作り手が自由にゾンビというものを表現して、それがたとえ既存の枠組みから外れてしまうような場合でも、受け手のほうはしっかりと享受してくれる。

 だからこそ、作り手は冒険することができます。チャレンジができます。これが、ゾンビ作品が数多く作られている所以かもしれません。

 ゾンビというものは映像が主戦場ですが、小説だからこそ描けるゾンビがあると確信していましたし、その答えとなるのが今回の作品です。また、小説ならば、ホラー作品が苦手な人も読むことができるのではないかと思っています。『ゾンビ3・0』を読んで、ゾンビ好きが一人でも増えてくれれば嬉しいです。


 2022年8月16日 講談社およびオンラインにて


石川智健(いしかわ・ともたけ)

1985年神奈川県生まれ。25歳のときに書いた『グレイメン』で2011年に国際的小説アワードの「ゴールデン・エレファント賞」第2回大賞を受賞。’12年に同作品が日米韓で刊行となり、26歳で作家デビューを果たす。『エウレカの確率 経済学捜査員 伏見真守』は、経済学を絡めた斬新な警察小説として人気を博した。また’18年に『60(ロクジュウ) 誤判対策室』がドラマ化され、『20(ニジュウ) 誤判対策室』はそれに続く作品。その他の著書に『小鳥冬馬の心像』『法廷外弁護士・相楽圭 はじまりはモヒートで』『ため息に溺れる』『キリングクラブ』『第三者隠蔽機関』『本と踊れば恋をする』『この色を閉じ込める』『断罪 悪は夏の底に』『いたずらにモテる刑事の捜査報告書』『私はたゆたい、私はしずむ』『闇の余白』など。


岡本 健(おかもと・たけし)

1983年奈良県生まれ。北海道大学文学部卒業(専攻は認知心理学)、北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院観光創造専攻博士後期課程修了。博士(観光学)。現在、近畿大学 総合社会学部 総合社会学科 社会・マスメディア系専攻 准教授。著書に『n次創作観光』『ゾンビ学』『アニメ聖地巡礼の観光社会学』『巡礼ビジネス』『大学で学ぶゾンビ学』、共編著に『コンテンツツーリズム研究』『メディア・コンテンツ・スタディーズ』『ゆるレポ』などがある。


福田安佐子(ふくだ・あさこ)

1988年生まれ。同志社大学 文学部美学芸術学科卒業後、京都大学大学院人間・環境学研究科共生人間学専攻に進学。在学中にストラスブール大学哲学部へ留学、政治哲学を学ぶ。帰国後、京都大学大学院博士後期課程を修了。修士(人間・環境学)。東京藝術大学大学院などでの非常勤講師を経て国際ファッション専門職大学国際ファッション学部助教に。共訳書にロージ・ブライドッティ著『ポストヒューマン』、マキシム・クロンブ著『ゾンビの小哲学』などがある。


「呪いでもない。ウイルスでもない。ではなぜゾンビ化する? 

生命科学者なら誰もが知りながら誰も正面から書かなかったアイデアに感嘆した。
これは『パラサイト・イヴ2.0』でもある」
──瀬名秀明氏に絶賛され、さらにKゾンビが好調な韓国からのオファーによって日韓同時刊行を果たした、ゾンビファン注目の書下ろしホラー長編!

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