吉森大祐『うかれ十郎兵衛』発売記念エッセイ①「江戸の気風が生まれたころ」

文字数 1,671文字

子どもの頃、時代劇が好きでした。



最近はその数が減っているようで、ファンとしては残念です。昔は『必殺仕事人』『暴れん坊将軍』『銭形平次』『大岡越前』など、いろんな名作があって、楽しませてくれました。よくBSで再放送していますが、おおらかというのか、自由というのか、作りが破天荒でとても面白く感じます。今は時代考証をもっと丁寧にやらなくてはならないということで、時代劇を創るのが難しくなっているのかもしれません。



小説を書いていても、やっぱり時代考証は気になります。江戸時代は約260年ありますから、どの時代も一緒じゃない。『忠臣蔵』なら元禄年間、『暴れん将軍』や『大岡越前』なら享保年間、『銭形平次』は文化文政。それぞれ江戸の町の作りが違うし、風俗も違います。真面目に描こうと思ったら、すべて別の雰囲気で描かねばなりません。



私は、志として、「緻密の沼」に陥りたくないと思っている人間ですが、それでも最低限は押さえていないと成立しないのが時代小説です。特に私は江戸っ子で、東京の東側で生まれ育ちました。下町の細い路地で、職人のオジサンたちが朝からつるつると軽口を言い合っているような場所が故郷です。私にとって江戸を描くということは、自分のルーツを確認する作業でもあります。江戸っ子の「気風」に嘘はつけないという気持があります。



では、自分が知っている江戸っ子の気風は、長い江戸時代のどのあたりから生まれたものなのか。江戸らしいといっても、いろいろあるとは思うのですが、私が肌身で知っている江戸っ子に通じるものができあがったのは、天明、寛政あたりではないかと思います。



歌舞伎、大相撲のような娯楽が人気をよび、黄表紙、赤表紙など、庶民が読む漫画雑誌のようなものがあらわれ、居酒屋、蕎麦屋、鰻屋、天ぷら屋など、現代に通じる「食べ物屋」も一通り揃う。今につながる企業も多くはこの時代以降に起業しています。



私は短編集『うかれ十郎兵衛』でこの寛政年間を描きました。稀代の出版プロデューサー蔦屋重三郎を狂言回しに、絵師、戯作者、狂言師といったクリエイターの苦悩を描いた短編集です。この小説で描いたビジネスが勃興したこと自体が、時代の成熟を表しており、その中で、働き、悩み、苦しむ人々の営みに共感を持てると思ったからです。



この時代以降なら、江戸の街角に呑み屋があっても本屋があっても違和感がない。ああ、この時代はもう自分の知っている東京につながっている。ここは自分が子供のころから歩き回っていた神田であり、浅草であり、日本橋であるのだ、という安心感があります。



短編集を読んで、そんな街の風を感じていただければと思います。

吉森大祐(よしもり・だいすけ)

1968年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。大学在学中より小説を書き始める。電機メーカーに入社後は執筆を中断するも、2017年「幕末ダウンタウン」で小説現代長編新人賞を受賞し、デビュー。20年『ぴりりと可楽!』で第三回細谷正充賞を受賞。ほかの著書に『逃げろ、手志朗』がある。

蔦重の最高傑作〝東洲斎写楽〟はなぜ一瞬にして消えたのか?

喜多川歌麿、東洲斎写楽、恋川春町、山東京伝、曲亭馬琴……鋭い閃きと大胆な企てで時代を切り開いた、稀代の出版プロデューサー・蔦屋重三郎が世に送り出した戯作者や絵師たちの、人生の栄光と悲哀を描いた連作短編集。


細谷正充さん絶賛!

吉森大祐、長篇だけでなく短篇の名手でもあったのか。

喜びと悲しみ、希望と絶望、令和の日本人と変わらぬ人間の姿がここにある。


寛政六年、奢侈禁止令によって客足が遠退き、破綻の危機に瀕した芝居町。立て直しのために芝居小屋「都座」の座主・都伝内が白羽の矢を立てたのは蔦屋重三郎だった。同じく奢侈禁止令の影響でさびれていた吉原遊郭を、無名の絵師だった喜多川歌麿を起用して花魁の錦絵を描かせ、評判を高めて再興した手腕を買われたのだ。苦慮する蔦重は、都伝内が上方から迎えた人気作者・並木五瓶の話を聞き、書見台に散らばる走り書きに目をつける――。

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