藤枝梅安が照らし出す、現代を生きる私たちに潜む「矛盾」/あわいゆき

文字数 4,180文字

2023年は池波正太郎生誕百年。2月3日から映画『仕掛人・藤枝梅安』が公開されます! そこで、文芸ニュースサイト「tree」で「この新人賞受賞作がスゴい!」を好評連載中の現役大学生書評家・あわいゆきさんが、不朽の名作「仕掛人・藤枝梅安」シリーズを一気読み! Z世代が感じた、令和の「いま」梅安を読むことの意味とは――。

藤枝梅安が照らし出す、現代を生きる私たちに潜む「矛盾」

 二十世紀を代表する時代小説作家といえば誰か──スケールの大きなその問いかけに対して、池波正太郎さんを挙げるひとは多いのではないかと思います。一九二三年に東京で生まれた彼は一九六〇年に『錯乱』で直木賞を受賞後、数々の人気シリーズを刊行。一九八八年には〈現代の男の生き方を時代小説の中に活写〉したとして、菊池寛賞も受賞しました。


 そんな池波正太郎さんの人気作のひとつが、一九七〇年代からはじまった「仕掛人・藤枝梅安」シリーズです。藤枝梅安という男を主役に据え、昭和に描かれたこのシリーズは、長らく多くの読者から人気を集めました。そして、二〇二三年には映画化も決まっています。刊行されて長い時が経った現在でもなお、梅安は新たな形で蘇り続けているのです。


 しかし時は二十一世紀、新しい価値観が声高らかに叫ばれる令和の世。昭和に描かれ、江戸を生きた梅安がいま蘇ったところで、はたしてそれは〈現代の男の生き方を活写〉できているのでしょうか?


 たとえば梅安が「女なんて生きものは、まるで化物だ」と語るのはいかにも古めかしいミソジニーです。そして梅安が相棒の彦次郎と「いい女だったかえ」「躰がすごかった……」と女性の身体を下品に評する一方、「女はうそが人のかたちをしていやがる」と毒づき同調するさまは典型的なホモソーシャルの現場です。梅安の裏側に干渉することなく愛を求め、健気に帰りを待ち続けるヒロイン、おもんの造形はあまりに「都合のいい女性」で、家父長制に根ざした女性観が見え隠れしています。江戸時代という舞台の事情はあれど、描写の端々から、いまでは受け容れられそうにもない価値観があまりに透けていると言わざるを得ません。


 ただ、だからといって、この「仕掛人・藤枝梅安」シリーズを時代遅れの小説だと切り捨ててしまってもいいのでしょうか? 古い価値観に対して「古い」とレッテルを貼っただけでいると、取りこぼしてしまうものがあります。現代に至るまでこの作品が読まれ続け、幾度となく蘇る理由は間違いなくあるはずです。


 今回は梅安の生き方や価値観をただ「時代遅れ」と切り捨てるのではなく、彼の生きざまのどこが魅力的で、それが令和を生きる私たちの問題にどうつながっているのか、シリーズ全体を通して探っていこうと思います。


 まず、藤枝梅安とは何者なのか? 江戸時代に生きる彼は、裏社会の知り合いから依頼を受けて人殺しを行っています。そしてその知り合いはあくまでも仲介者にすぎず、ほかの人間から依頼を受け、それを梅安ら熟練の暗殺者に流します。ここで最初に殺しを依頼する人間を[起り]、梅安のような暗殺者を[仕掛人]、二者間の仲介者を[蔓]と、それぞれ裏の世界では呼んでいます。物語は基本的に[蔓]から依頼を受けた梅安が仕掛けを成し遂げようとする方向に進み、血で血を洗う男の世界が描かれていきます。


 仕掛人は一度依頼を達成すると、報酬として莫大なお金が懐に転がりこんできます。ですが、梅安は無差別に殺人を行うわけではありません。彼は「世の中に生かしておいては、ためにならぬやつ」のみを殺すのを定法にしています。そして表仕事として鍼医師をしており、近所に住む人間の命を積極的に救います。この行為によって、梅安の生きざまはただ殺人を繰り返すわけではない、人間としての芯を伴った義理人情を帯びていました。そんな生きざまをふと顧みて、いつ死ぬかわからない恐怖や不安を抱きながら日常を送るすがたも、とても人間味を感じさせるものです。一方、この義理人情には命を奪いながら命を救う、理屈では説明のつかない「矛盾」が存在しています。

 それでは、梅安はこの「矛盾」にどう立ち向かうのか──その答えは、そもそも立ち向かわない、です。梅安は自らの内に潜む「矛盾」を自覚し、たびたび指摘したうえで、「それこそが人間なのだ」と放置したままにするのです。命を奪いながら命を救う営み、あるいは女性を疎みながら女性を求める感情、死ぬ覚悟を常に持ちながらも生に執着する本能。それらはすべて辻褄が合わないようにできていると認め、合理性を求めないありさまは、フィクションにおいて意図的に組み立てられるキャラクター性を超えて、ありのままの人間を活写していました。


 また、そうした「矛盾」をうまく受け容れることができず、無理に解消しようとするとどうなるか。このシリーズではその行く末をも照らそうとします。特に顕著だったのは講談社文庫・新装版一巻の「秋風二人旅」に登場する浪人の男二人組と、五巻の「梅安乱れ雲」に登場する暗殺者、田島一之助です。


「秋風二人旅」は、梅安の相棒でもある仕掛人、彦次郎が妻子の仇を討とうとする短編です。彼の妻はかつて浪人に強姦され、ショックから子を道連れにして自死を遂げています。強姦した浪人はこれまで尽くしてきた悪行の数々から「もう地獄の釜の蓋が開いている」と開き直っており、ただ男の性欲を満たすためだけではない、恐怖と不安から逃れるための暴力をふるいます。その背景にあるのは、矛盾しながらも存在する善悪の境を区別した結果、完全に悪に傾いてしまった人間のありようでした。ここには矛盾をなくしてしまった人間の末路が描かれています。そして、梅安も彦次郎も人殺しに手を染めており、いつ殺されるかわからない不安と恐怖を抱えているのは同じです。一歩道を踏み外していたら梅安や彦次郎も浪人と同じ道を辿っていたのかもしれない──実際にそうならないのは、彼らが不安や恐怖を理屈で丸め込もうとせず、そのままにして感情をコントロールしていたからです。


 一方、「梅安乱れ雲」の田島一之助は、最初こそ義理人情もなく無造作に辻斬りをおこなう冷酷な人間でした。ですが、梅安の治療に命を救われることで「梅安を殺さなければいけない」「梅安を助けたい」と矛盾した感情に苛まれるようになります。初めて味わう極端な矛盾によって、一之助に萌芽するのは温かみのある人間らしさです。一之助の人間性の変化を通じて、矛盾を持つ人間こそが人間であると、物語ははっきりと伝えてきます。


 そしてこの「矛盾」こそが、令和を生きる私たちがいま直面している問題ではないでしょうか。新しい価値観へのアップデートをことあるごとに要求される現代社会において、筋を通して社会的な正しさを貫くのは至難の業です。たとえばルッキズムを批判しながら他人の外見で無意識に好悪を抱いてしまったり、ジェンダーロールからの解放を唱えながら旧来の男らしさ/女らしさに惹かれてしまったり。あるいはどれだけ多様性に意識を配っていても、無意識のうちに他者を排斥している瞬間があるかもしれません。多くのひとが経験したこともあるであろう「正しさとの矛盾」に直面したとき、私たちはどう乗り越えていけばいいのか? 矛盾を無理になくそうとすると本質を見誤って人間が歪んでしまう。だからといって八方塞がりになると息苦しさに身悶えて生きづらくなる。私たちが直面している問題に対して、矛盾は矛盾のままにしておいてもいいのだと、梅安はその生きざまを通して現代社会に光を灯します。価値観のアップデートに翻弄される現代の私たちにも、しっかりと届く物語となっているのです。

 池波正太郎さんの死去によって、「仕掛人・藤枝梅安」シリーズは未完で終わります。絶筆となった七巻「梅安冬時雨」では、これまでとは違った描写が目をひきました。その筆頭を担う女性がおしまです。江戸の裏社会で強い影響を持つ元締の指示を受けるがまま、スパイとして対立相手の懐に忍び込んでいたおしまは、自らの感情を優先して、元締に逆らうことになろうとも彼のもとから離反します。そして彼女は新たな愛する男、平尾要之助のもとに走りました。

 怪我をして刀を振るえなくなり、「おれは、ほんとうに【だめ】になってしまったのかな」と落ち込む要之助に対し、おしまは告げます。「それも、また、いいじゃあありませんか」。ここまで引き継がれてきた血で血を洗う「男の世界」はこの瞬間に初めて、そこからの離脱を是とするのです。一方の梅安も新たな「家」を建てようと躍起になり、かねてより深い仲だったおもんの自立を見届けて、関係を断ちます。これらの背景には、当時の読者が共感しながら、同時に「矛盾」のひとつとして置いていた男性性からの静かな解放がありました。「矛盾」は「矛盾」のままにしておいた方がいい、しかし目を逸らしたままでは前に進むことができません。おのれの矛盾を見つめよ、梅安のように──最後の最後で物語は読者にそう促すのです。


 書かれなかった原稿の先で、新たな「家」を手に入れた梅安ははたしてどのような生涯を辿ったのか。


 案外、その生きざまは、現代を生きる私たちとそう変わらないのかもしれません。二〇二三年に公開される映画にて、蘇った藤枝梅安はどのような生きざまを私たちに見せてくれるのか。矛盾を抱えたまま、いまから心待ちにしましょう。



初出:「小説現代 2023年1・2月合併号」

あわいゆき 

都内在住の大学生。小説を読みながらネットで書評やレビューを手掛ける。普段は幅広いジャンルの文学賞やランキングを追っている。


Twitter @snow_now_s

note https://note.com/snow_and_millet/

仕掛人・藤枝梅安非情の世界に棲む男
生かしておけないやつらを闇へ葬る仕掛人。梅安シリーズ第1弾!


品川台町に住む鍼医師・藤枝梅安。表の顔は名医だが、その実、金次第で「世の中に生かしておいては、ためにならぬやつ」を闇から闇へ葬る仕掛人であった。冷酷な仕掛人でありながらも、人間味溢れる梅安と相棒の彦次郎の活躍を痛快に描く。「鬼平犯科帳」「剣客商売」と並び称される傑作シリーズ第1弾。

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