第3回『キッチン・コンフィデンシャル』/アンソニー・ボーデイン

文字数 2,118文字

「猫」と「音楽」、そして「海外小説」を愛してやまないtree編集者・茶屋坂ねこ氏による、

海外小説入門のすすめ『左綴じ書評』!


第3回となる今回は、『キッチン・コンフィデンシャル』(アンソニー・ボーデイン)について。

2000年出版の自叙伝『キッチン・コンフィデンシャル』が世界的に大ヒット、高級レストランの裏の顔を暴露したこの作品で時代の寵児となったセレブシェフであり、作家であり、TVプレゼンターである故・アンソニー・ボーデイン。彼の新作が長年アシスタントを務めたローリー・ウーリバーによってまとめられ、今年の10月に刊行されるというニュースが新年早々届きました。(Guardian, 16 Jan 2020)


アンソニーの訃報が届いたのは、2018年夏のこと。CSで彼が出ている「No Reservation」(邦題・アンソニー世界を食らう)や「Parts Unknown」(邦題・アンソニー世界を駆ける)で、生肉から虫まで「現地の人たちが食べているものは、オレも食う!」と果敢にトライするアンソニーのロックな雄姿を楽しんでいた私にとって、彼の突然の死、しかもそれが自死であるということは、かなりの衝撃でした。


だって彼ときたら、いつも口が悪く(だけど言っているのは本当のこと!)、冒険心にあふれ悪ガキの心を持ち(魅力的!)、そしていつも酔っぱらっていて(そうこなくっちゃ!)、ヘロインにどっぷりだった時期もあるけど(それはダメ、絶対。)、クールで人生をこよなく愛し、楽しんでいる人に見えていたから。

アンソニーはもともとフライドポテトやハンバーガーが好きな、アメリカの平均的な子供だったそうです。その彼が「料理」に開眼するのは、両親に連れていかれたフランス旅行の時。今まで味わったことのない複雑な、深い味わいが、彼に「食の楽しみ」を教えてくれたのです。

そして本当の味を知った彼が学生時代に選んだアルバイトは、レストランの厨房。バイト中のある日、そこのシェフが料理を担当したウェディング・パーティーで新婦とこっそり「いたしている」のを目撃、「おおお! おれもシェフになりたい!」と決心したそうです。……って、それ、ロックミュージシャンが「女の子にもてたいから」バンドを始めるのと同じですね!

「魚料理は月曜に食うな!」「ステーキはウエルダンを頼むな!」のキャッチフレーズのもと、『キッチン・コンフィデンシャル』は刊行されるや否やその衝撃的な内容と軽妙な語り口で話題となり、ベストセラーに。

まあ、日本人にとって「河岸が休みの日には寿司は食べないほうがよい」は常識ですし、よーく焼いた肉にも疑念を持ちがちかと思いますので、その辺は米国の方々と同じように驚きはしませんが(失礼!)、NYCの名店、ブラッセリ―・レ・アールのシェフだったアンソニーが赤裸々に描いた高級レストランの食材状況とシェフの生態、「非常識はこの業界の常識」は、想像の域を超えていて、何かの冗談と思いたいほどです。

特に驚いたのは、有名店のシェフたちが(勿論みんなではないですが)、お酒だけではなくヘロインやコカインになどのハードなドラッグにまではまっているということでした。日本だったら、板前さんが煙草を吸うことさえよしとしないのに!

夜、最後の客が食後酒まで飲んで帰るのを見守っていれば、仕事が終わるのは当然深夜。でも明日もランチの仕込みがあるので、どんなに辛くても朝起きなくてはなりません。そうしたハードなシフトからドラッグに手を出すシェフが多いそうです。もちろんアンソニーも例外ではなく、長年ドラッグ依存症だったことも正直に書かれています。でも、アンソニーは学生の頃から、まあその、色々……やっていましたし、ハードルは低かったのでしょう。まさにSEX、ドラッグ&ロックンロール(&クッキング!)の世界!

しかしながらこの作品は、単なるレストラン業界の内幕を暴露したゴシップ本ではありません。書かれているのは、一人のシェフの仕事人としての栄光と挫折、有名シェフたちのとてつもなく破天荒でチャーミングなキャラクターとその生き様や、料理にとりつかれ同じ戦場を共にした者だけが分かち合える「友情」の物語です。


そしてレストラン経営に於けるイロハ、わがままで怠惰な部下や同僚を如何に上手に使いこなし統率するか、のビジネス書でもあります。それらがアンソニーのリズミカルでロックしている文体のスパイスの力を借りて、ピリリと引き締まった上物の読み物となっています。

ただ、全編にわたって散りばめられているスラング、猥雑な表現はちょっとお下品すぎるきらいもあるので(実際私は途中で2週間くらい放置しました)、お上品な方には薄目で速読することをお勧めいたします。



とはいえ20年たった今も、この本の面白さは色褪せません。アンソニー、あなたは本当に魅力的な人でした。R.I.P

(Writing by 茶屋坂ねこ)

tree 編集部編集者、翻訳本を中心に面白かったものをどんどんご紹介していこうと思います。

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