『無暁の鈴』によせて

文字数 1,127文字

 自他ともに認める、雨女である。しかもなかなかに強力な。
 私と旅行すると必ず降られると、友人や妹は不満たらたらである。どうも晴れ自慢と同行すると、より高確率で悪天を招くような気がする。
 光文社で長くご担当いただいたK氏も、またしかり。書店回りでは猛烈な台風に、京都取材ではバケツをひっくり返したような大雨、神保町で打ち合わせした日は、東日本大震災の当日だった。悪天候を通り越し、もはや災害レベルである。 
 唯一、晴天に恵まれたのが、本作『無暁の鈴』の取材旅行だった。 
 旅行先は、山形県の鶴岡市と酒田市。八月上旬でものすごく暑かったが、冷房の効いたレンタカーの助手席に収まり、目的地に運ばれるだけという、しごく快適な旅だった。
「晴れてよかった!」と実感したのは、出羽三山を歩いたときだ。山道だけに、雨天ではさぞかし難儀だったろう。羽黒山では美しい杉並木を満喫し、湯殿山では「問わず語らず」とされる御神体を参拝した。
 私にとって、旅の醍醐味は食である。心得ているK氏のおかげで、鮨にラーメン、粋な居酒屋と、こちらも申し分ない。特に印象深いのが大きな岩牡蠣で、牡蠣好きにはたまらない一品だった。また極上のバーにも出会えた。マスターの人柄もあって雰囲気がよく、何よりカクテルの味がとび抜けていた。
 山形は藤沢周平氏の出身地であり、当時この店には、中一弥氏の描いた藤沢作品の挿画がいくつも飾られていた。中氏は逢坂剛さんのお父さまで、数々の時代小説に挿画を提供された。挿画に囲まれて美味しいお酒を呑んでいると、あくまでも気だけだが、良い作品が書けそうに思えた。
 ところで、この取材旅行の最大の目的は、出羽三山でも、むろん食でもない。
 この作品のために、どうしても見ておきたいものがあった。
 何を見にいったかは、実はネタバレになるので控えさせていただく。
「問わず語らず」、作品を読んでいただけたら、何より嬉しい。



西條奈加(さいじょう・なか)
1964年北海道生まれ。2005年『金春屋ゴメス』で第17回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。’12年『涅槃の雪』で第18回中山義秀文学賞、’15年『まるまるの毬』で第36回吉川英治文学新人賞、'21年『心淋し川』で第164回直木賞を受賞。多彩なテーマの時代小説、現代小説を発表、話題作を次々と手がける。他の著書に『烏金』『はむ・はたる』『無暁の鈴』『ごんたくれ』『亥子ころころ』『せき越えぬ』『刑罰0号』『わかれ縁』『猫の傀儡』『銀杏手ならい』『千両かざり―女細工師お凜―』などがある。

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