この染み、抜こうか、抜くまいか

文字数 1,251文字

 洗濯機、なるものを所有しないまま、気づけば二十九年が経ってしまった。郊外に行けばまた別だが、私の住むマンハッタンのアパートでは、洗濯機を置けない構造になっているビルも多いのである。かわりに建物内のランドリー室や近くのコインランドリー、そして町のいたるところにあるクリーニング店にお世話になる生活だ。もちろん手洗いもこまめにせざるを得ない。なんなら昔ながらの洗濯板か、以前旅したインドネシアの片田舎のようにじゃぶじゃぶと澄んだ水で洗濯のできるのどかな川でもほしいところだ。
 と言いつつ、洗濯機がないことにはあまり困っていない。なぜなら作中に登場する民子のごとく私も洗濯嫌い、アイロンがけ恐怖! だからだ。もちろん皺の寄りにくい服を優先して買うが、多少の皺が寄ってもさして気にしない。民子のように「ちょっとくらい皺が寄っている方が自然」と自分を強引に納得させ、三十次郎のように「じゃましない染みは染みじゃない」と見て見ぬふりをする。私のごとき怠惰な人間は、ぴしりと皺を伸ばし、染みを抜くことに命を賭ける名クリーニング師の長さんの怒りをかうこと必至だろう。
 それでも私は、物語のところどころにあえて「染み」を落としてみたかった。
 生きていれば、時の流れのそこここで、心に、その身に、ぽつりとついてしまう染み。抜きたい。それが無理なら忘れたい。あがけばあがくほど、広がっていくかに思えて焦る不穏な色。でも……。でも、本当に抜かなくてはいけないのだろうか?
 ベテランの長さんも、頼りない三十次郎も、時にとまどい、立ち止まりながらも、店を訪れる客のつけた染み、皺、その向こうに透ける彼らと己の人生に誠実に向き合っていく。
 この物語を書き終えた時、週に何度か通う馴染みの洗濯屋のおじさんの顔が、いつにもまして頼もしく見えた。店先で繕いものをするベテラン職人のミシンの音が心地よく聞こえた。ああ、私もこの町で染みや皺と寄り添いながら、丁寧に暮らしていこう、と思えた。
 昨日の染みは、明日の雲。この物語を書き始めた頃にふいに頭に浮かんだ言葉である。
 少しさびれた商店街の片隅。ささやかながらアイロンをかけた後のシャツのような温もりをかわし、暮らしを重ねる人々。その頭上には、彼らが人生につけてきた染みが様々な形となってぽっかり浮かび、今日も静かに流れているのだろう。



野中ともそ(のなか・ともそ)
ニューヨーク在住。1998年「パンのなる海、緋の舞う空」で第11回すばる新人賞を受賞し、デビュー。他の著書に『カチューシャ』『おどりば金魚』『チェリー』『銀河を、木の葉のボートで』『ぴしゃんちゃん』『つまのつもり』『虹の巣』『宇宙でいちばんあかるい屋根』などがある。

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