殺れんのか?殺れないよ! 17年ぶり10作目「鈍器」の殺傷能力!

文字数 2,015文字

「百鬼夜行」シリーズの最新刊『鵼の碑(ぬえのいしぶみ)(京極夏彦/著)が9月14日、発売される。17年前、タイトルだけが予告され、読者をヤキモキさせ続けてきた本作。まさに鵼のように得体がしれなかったこの作品がついにヴェールを脱ぐ。発売に先立ち、9月7日に開かれた京極氏への公開取材の様子をリポートする。

「小説を書くのが嫌い」な作家の30年。

「みなさん『17年ぶり』とおっしゃいますが、そんなに間が空いたという意識はないんです。アプリを閉じて、久しぶりに開いた。アプリの中では時間が止まっていますよね。つまり、そういうことなんです(笑)」


京極氏の鋭い眼光とよく通る声のためだろうか、一瞬「なるほど、そういうことか」と納得させられそうになった。本当のところは、他著の執筆はもちろん、「水木しげる漫画大全集」の監修や日本推理作家協会の代表理事の仕事などで多忙を極め、あっという間に17年が経ってしまった、ということらしい。


30年ほど前、京極氏が広告デザインに携わっていたとき、景気が後退して仕事の依頼が減り、時間が余るようになった。そこで「暇しのぎ」に書いたのがデビュー作の『姑獲鳥の夏(うぶめのなつだという。それが大ヒットした。


「もともとシリーズにするつもりはまったくありませんでした。なにせ『暇しのぎ』で書いたんですから。ですが、当時の担当編集者に『続編を書けますか。10作のシリーズにしたいんです』と言われ、『はい、書けますよ』と。いままでだって、どの巻も最終巻のつもりで書いてきました。そして、この『鵼の碑』が10作目になるわけでして……でも終わらないんですよ。版元も終わらせてくれないし、私の生活もあるので(笑)」


『鵼の碑』は単行本とノベルス版が同時発売される。異例のことと思えるが、2010年刊行の『死ねばいいのに』では電子書籍版と紙の単行本を同時発売している。今でこそ珍しくないが、タブレット端末が普及し始めたばかりの当時としては画期的だった。単行本、ノベルス、文庫の三種を同時発売したこともある。実験的な販売施策は京極作品の常だ。


『鵼の碑』の単行本は1280ページ、ノベルス版は832ページ。読者の間で「鈍器本」とさえ呼ばれる大部であることは、シリーズ既刊と同様だ。


「よく『鈍器』と言われますが、手にとってみてください。案外、軽いんです。これでは人は殺せない。殺傷能力はないんです(笑)。これを鈍器と呼んだら、鈍器に失礼です」


作家生活30年目。常々「小説を書くのが嫌い」と力説する京極氏だが、その間、作家として赫々たるキャリアを積み上げてきた。2004年 に『後巷説百物語』で第130回直木三十五賞、2011年に『西巷説百物語』で第24回柴田錬三郎賞、2022年 に『遠巷説百物語』で第56回吉川英治文学賞など、多くの文学賞を受賞している。愛読者はミステリファンの枠を超え、ときに聞かれる「当代一の戯作者」という評も頷ける。


「よく『30年は長かったですか?』と聞かれるのですが、まあ、30年は30年なんですね。それ以上でもそれ以下でもない(笑)。しかし、30年経った今でも、15歳の若者が『姑獲鳥の夏』を読んでくれているそうです。その子が生まれる15年も前に書いたものが読まれていると思うと感慨はあります。当時は『10年もつ作品になればいい』と思っていましたから」


「百鬼夜行」シリーズは昭和20年代後半の日本が舞台となっている。しかし『鵼の碑』を読むと、SNSで蔓延るデマや陰謀論、福島原発事故による放射性物質の漏出など、現代の問題を想起させる部分がある。そこに作者の意図はあるのだろうか。


「今までの作品もそうですが、この作品にも『テーマ』とか、『伝えたいこと』はありません。確かに、漫画の『サザエさん』を読むと、何十年も前の当時の世相を風刺したものなのに、あたかも現代を風刺しているかのように感じるときがある。しかし、あくまで作家の仕事は原稿を書いて本を出版するまで。読んだ方が百人百様の感想を持ってくれる作品がいい作品だと思っていますので、そういうふうに思ってくださるのは嬉しいことですがね」


その言葉はあくまで冷静で謙虚。だが、あるいは京極氏の志は、もっと高みにあるのかもしれない。10年どころか、50年100年経っても価値を失わない作品。京極氏が小説を書き続ける理由は、版元の要求や自身の生活の為だけではないように思えた。

京極夏彦(きょうごく・なつひこ)

1994年『姑獲鳥の夏』でデビュー。96年『魍魎の匣』で日本推理作家協会賞受賞。97年『笑う伊右衛門』で泉鏡花文学賞、2003年『覘き小平次』で山本周五郎賞、04年「後巷説百物語」で直木賞、11年『西巷説百物語』で柴田錬三郎賞を受賞。16年遠野文化賞、19年埼玉文化省受賞。22年『遠巷説百物語』で吉川英治文学賞受賞。

『鵼の碑』ノベルス版
『鵼の碑』単行本

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色