第3話「リペアのコピー」

文字数 2,577文字

毎週日曜更新、矢部嵩さんによるホラー掌編『未来図と蜘蛛の巣』。挿絵はzinbeiさんです。

 *

 私達がまだ小四の頃、私と屑子はクラスメイトだった。一番の友達と絶交したばかりで、その時私には遊び相手がいなかった。今日から時間をどうしようと思い休み時間の教室を見つめ、机で絵を描く猫背を見つけ、私は彼女に話し掛けたのだった。彼女の描いていた花と指輪が恋合う漫画は先月雑誌に載った衝撃的な読み切りのぱくりで、私はそれに気付いていたけれど、そうとはいわずに上手ねと彼女にいった。実際彼女の絵は上手かった。必要なものを必要なだけ象っていて、技術の他は丸写しの漫画だったけれど、私達にはそれで充分だった。
「上手だね」私がそう伝えると彼女は露骨にうろたえ取り乱した。彼女に向けちゃんとそういった人間は私が初めてのようだった。運がいいものだと私は私について思い、屑子を見やると俯いて床を見だしてしまったので、耳の染まる過程が私からよく見えた。
 それから彼女と仲良くなって、屑子は描く絵を打ち明けてくれて、彼女の描く絵や漫画を読んで、私は彼女に上手と伝えた。嘘ではないのでそれは容易かった。事実彼女の絵は描く度上達していって、生まれたばかりの動物のようだった。目を離す度に彼女の絵は変わっていった。その日その日を屑子と居るため私は何度も彼女の絵を褒めた。彼女の描くお話はいつもどこか少し似通っていて、最後は大体旅に出ていたし、大事な問題は時間を未来に飛ばしてうやむやにすることで解決させていた。
 朝起きて今日もあの子と居るんだと思い、また明日ねといっては夕方別れ、毎日のように私達は一緒に居たが、中学に入るとそうでもなくなり、学校は一緒だがクラスが分かれ、何日か彼女と話さないようなことが増え、連続してそういう日が続いた後で、そろそろと思った頃に隣のクラスから屑子がやってきて、前より長く書くようになった新しい漫画を私に読ませてくれるのだった。彼女の描く雪の表現も、音楽からの時代がかった逃げ方も、時々流行に感化されて退化する軟派さも、私にとっては彼女の美徳だった。彼女の中にも私の中にも商業出版や編集者の疑似人格が棲んでいて、こういうキャラでは人気がなさそうとか、読者のことを意識して路線を調整したりした。
 高校では漫画の部活に入り部費で物を買ったり二人で漫画の部誌を出したりした。彼女が今までで一番長く難しい漫画に取り組む間、私は雪を見たり花を見たり、漫画映えしそうな景色を探したり、彼女のまだ知らない知識を身に着けたり、本を探して彼女に紹介したりした。彼女の書くお話の問題点や悪癖について、指摘して彼女と喧嘩になったことがあって、その時初めて私は彼女の書こうとしているものや、瑕に思えたものが彼女にとって大切な何かであったことを知った。がくがく手を震わせながら架空の事実と個人的な現実の話を私に向け説明する彼女を見て、私は私が彼女の漫画を好きであるということを初めて告白した。自分の好意を彼女の前で彼女に向け伝えたのはその夜が初めてだった。
 高校卒業を待って彼女が引っ越すことになり、私達は一度離れ離れとなった。最後の冬彼女は漫画を書けなくなって、判らない落ち込み方をしたり、離れたくないと泣いてくれたりした。確かなものなど私達の間には何一つなく、それが判ったということよりも、誰かが私を大事に思ってくれていたということが私には痛く、恐ろしくて堪らなかった。
 未来で一緒にいるために私達は約束をした。いつか二人で漫画家になって、また一緒に漫画を書こうと彼女に告げて、そのための準備を一緒にしよう、それぞれの未来でまた会おうということをいった。そういうことを私がいった時彼女は戸惑うような不思議な顔をし、どういうことか私に訊ねてきた。「あなた漫画を描いてたの?」彼女の疑問も尤もなものだった。今私達が解決出来ない問題を私は未来で解決しようとしていて、それは私が彼女に指摘した悪癖そのもので彼女がその矛盾に気付かない筈がなかった。私の中でそれはうやむやにしようというよりはむしろ祈りに近いものだったが、それでも私達が真に互いを望むならこの無謀をも成し遂げられると思えてならないのだった。人生の半分を私は屑子と過ごし、いつでも私は彼女と一緒に彼女の漫画を描いてきたのだから。それから長い時間が流れ、私達は漫画家になる準備を続けていた。彼女が雑誌の佳作に入った時はとても長い電話をした。翌年彼女が違う雑誌の新人の優秀賞を獲った時、それが小四の頃一緒に読んだ雑誌だったので私も彼女もにわかには現実を受け入れられなかった。彼女が初めて編集者と会った夏の日の太陽のことを私は今も覚えている。彼女の読み切りが載った時も、連載が失敗した時も、最初の単行本の地元での配本数も、その後彼女に訪れた色んな光と影のことも私はよく知って覚えているが、あれ以来彼女に向けて彼女の漫画が好きだということを伝えられずにいる。もう数十年直接彼女に会っていないし、最後に連絡を取ったのも学生時代だった。書き続ける彼女に負けないように、私も降る雨や雪を見たり、話題になった映画を見たり、彼女の読んでいなそうな本を読んだり、彼女の漫画に出てきそうな廃墟を探して撮りためたりしていた。今の彼女の連絡先は知らないので(長いメールを送った翌日補足を送ったら届かなくなっていた)調べたことが無駄になってしまうこともあったが、この虚無と彼女も戦っているのだと思うと、私は一人ではないのだと感じて勇気のようなものを貰えた。もしかしたら私はもう既に彼女に必要ないのではと思うこともあったが、それならそれで別によかった。私達の間に確かなものは何一つなかったし、三星屑子のペンネームでない方の名前ももう思い出せなくなってしまっていたが、全ては最初から祈りのようなものだったし、その日その日をどうにかやり過ごすためあの日私は未来について彼女と約束をしたのだった。屑子の漫画は今月も載った。漫画家になれなくなるので私は昨日要介護の両親を殺した。



本文:矢部嵩
挿絵:zinbei

次回「鉄塔」は十二月六日公開予定です。

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