第2回/クマムシぐらい強い生物、非リア充

文字数 2,319文字

カレー沢薫の爆笑エッセイ、『非リア王』好評発売中。

TREEでは特別に冒頭3回分を無料公開中です。


「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」 と、

フランスの詩人・ボーヴォワールは言いましたが、 

そもそも非リア充は、生まれた時から非リア充なのか? 


カレー沢さんの深い考察には、激しく同意せざるを得ない……かも!?

今回は「非リア充は一体いつから非リア充なのか」という、今まで誰も興味を示さなかった問題に果敢に挑んでいきたいと思う。  


非リア充とは生まれながらのコミュ障で、初めて喋った言葉は「ママ」だが、それを壁に向かって言っていた等、物心つく前から何かしら片鱗があったと思われるかもしれない。  


しかし、私などは未だに親から「小学生ぐらいまで、活発でおしゃべりな子だったのに」と言われるのだ。 

 

この言葉には「どうしてこうなった」という親の思いがありありと滲んでおり、私自身も、小学生時代の性格のままだったら、リア充だったかもしれず、かの偉人のように、隣を歩いていた友人が雷に打たれて死ぬなど、何かしらの転機があり、非リア充になってしまったのだと思っていた。


しかし、いくら考えても、そのような無駄死にをした友人はいないし、これが転機だった、という記憶もない。つまりやはり私は生まれながらの非リア充だったのである。 


そこから導き出される答えは、私の両親は私が中学生になるまで、違法なお葉っぱ様で活発な私の幻覚を見ていた、もしくは私が小学生までお葉っぱ様で元気だった、ということである。 


この「お葉っぱ様説」が最有力であるが、警察が来たときのために、一応他の仮説も立てておきたい。  

確かに私は、小学校ぐらいまで、割とうるさい方の子どもだったような気がする。しかし友達が多かったかというと、やっぱり少なかった。 


つまり私は「壁に向かって活発でおしゃべり」だったのである。友人とワイワイやっていたわけではなく、一人で元気に飛び回り、でかい声で独り言を言っていたのである。 


それではただの親に心配される物件ではないかと思うかもしれないが、肉親や心を許した相手に対しては饒舌だが、そうでない相手の前では地蔵、というのは、典型的初期コミュ障である。よって親の前では本当に「活発でおしゃべりな子」だったのである。 


それが中学生ぐらいになると、親と仲良くするなんてダセえ、みたいな中二心に目覚め、話し相手が専ら壁になる、よって親からすると「中学頃から急激に大人しくなった上、何かおかしくなった」ように見えたのだ。 


よって、「自分の子どもは元気」と思っている親御さんは、子どもが何に対して元気か見極めた方が良い。うちの子は、自分たちの前だけでなく、友達とかの前でもおしゃべりだ、という場合でも注意が必要だ。


例えば、友人数人の前で、その中の誰に向かって言っているわけでもない発言ならいくらでも出来るが、一対一になるとてんで会話が出来てないというタイプなら、相当非リア充の素質がある。


誰に向かって言っているわけでもないというのは、壁や虚空に話しかけているのと同じで、コミュニケーションが出来ているとは言えないのだ。 


そして加齢と共に親とは話さなくなり、心を許せる相手も減り、専ら話し相手は壁になり、そして壁はインターネットになるのである。 


こう考えると私は、幼稚園から大学までエスカレーター式、ぐらいの非リア充であり「昔はこうだったのに」と嘆く必要など全くなかったわけである。 


結局、暗い星の下に生まれた子どもがそのまま暗く育ったみたいな話なのだが、このコラムは「非リア王」である。非リアこそ最高であり、むしろ銀のスプーン(水垢がすごくついている)をくわえて生まれてきた、みたいな話にしないと終われない。 


つまりこの「壁に話しかける力」こそ、現代に必要な力であり、それを幼少のころから鍛えてきた私は強者だ、ということになる。 


私がネットでやっているのはTwitterであり、Facebookなどは、登録だけして数年放置という有様である。もともとFacebookはリア充向けのツールと言われて来た。


何故ならFacebookに投稿する発言は、自分が友達登録した相手など、特定の誰かに向けた発言だからである。その誰かからコメントや「いいね!」をもらうためのコミュニケーションが目的だからだ。


その点私がTwitterで発言する時は、相手がいるとは思っていない。一応私をフォローしている人が見ているぐらいの意識はあるが、具体的な相手を思い浮かべながら「ウンコもれそう」などとつぶやくことはないし、リプライや「いいね!」も求めていない。


つまり、壁に「ウンコがもれそう」と伝えた時点で満足であり、その行為は終了しているのだ。 


だが、Facebookを使っているリア充はそうではないだろう。「ウンコもれそう」と投稿したら「いいね!」か「俺ももれそう!」等のコメントがつかないと満足がいかないのだ。


もし、「いいね!」もコメントもつかなかったら不安にさえなるのだろう。 


つまりリア充というのは、相手がいないと会話もできない上に、相手から反応が得られないと不安になってしまうという、弱すぎる生き物なのである。 


その点非リア充は、壁一枚あれば、会話ができるし、それだけで満足が得られ、生きていけるというクマムシぐらい強い生物であり、無機物全てが話し相手なので、ある意味友達が多いとも言えるのだ。 


そしてたとえ、何もない銀河に放り出されたとしても、今度は脳内にいる友達と会話をすることができる。 


一見、非リア充とは孤独な生き方のように見えるが、実は孤独とは無縁なのである。

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色