【転生】『不器用な背中』

文字数 2,095文字

【2020年11月開催「2000字文学賞:転生小説」受賞作】


不器用な背中


著・水叉 直

「バカヤロー!もっとちゃんと考えろ!」

 今日も朝から課長の声が響く、最近課長は俺を叱るのがお気に入りのようだった。
 俺が働いているこの会社は、県内では有名な広告会社で規模もそれなりに大きい。俺は営業としてこの会社に入社してからもうすぐ丸三年を迎えようとしていた。
「お前は最近気が緩んでいるんだよ。いいか、今日は受注が取れるまで帰ってくるんじゃねえぞ」
 課長のお得意のセリフだ。ここから「俺の時代は」だったりと言って延々と話を続ける。この時間が無ければもう少し成績があがるだろうと社内ではもっぱらの噂だ。

「倉本、わかったらさっそく外回りに行ってこい」
 課長は話すことが無くなるとそう言って俺を解放した。
「はい、ありがとうございました、失礼します」
 俺は小さく頭を下げると、素早くその場を立ち去った。自分のデスクの上にある資料が入ったカバンを手にしてエレベーターへと向かう。頭の中は課長への悪態でいっぱいだった。


「まったく、騒ぐだけ騒いで自分は何もしないやつがうるさいんだよな。あんな上司の下で働くなんてほんと最悪だよ」
「だよな、噂によれば昔大きな失敗をしてしまったらしくて、だからどれだけ頑張っても課長どまりらしいよ。成績は良かったみたいなんだけど」
「まじかよ、それの当てつけで俺らにあたるなよな」
「そういえば課長、今度子供が生まれるらしいぜ、あんな親の元に生まれるなんてかわいそうになあ」
 エレベーターを降りてすぐのところにある喫煙所に同期の姿を見つけたので会話に混ざっていた。年齢も近く、話しやすい同僚たちである。
「俺、そろそろ行くわ、またな」
 そう言って彼らと別れる。会社の外に出ると、外は少し寒くなり始めマフラーや手袋をしている人もちらほら見受けられた。

 そのあと俺は本当に受注を取るまで帰らないつもりで企業を訪問し、そのかいがあってか辺りが暗くなろうとするころには、何とか一件の受注を手にすることができていた。

「よし、これなら佐々木課長もしばらく何も言ってこないだろう」
 いつもは会社に戻るのが憂鬱で、できれば戻りたくないのに、今日は久しぶりに少しでも早く会社に帰りたいと思えていた。
 その帰り道、赤信号を無視したトラックに撥ねられ周りが真っ暗になる。そこで俺、「倉本 誠」の人生は幕を閉じた。
 次に目が覚めたとき、俺は赤ん坊の姿になっていた。それも佐々木課長の息子、「佐々木 優」として。


「俺は佐々木課長の息子として生まれ変わった」その事実を受け入れるのにしばらく時間がかかったが、それは変えようのない事実であり、俺は佐々木家の長男として何不自由なく育ててもらった。
 それから数年経つが、俺は佐々木課長のことを何一つわかっていなかったことを思い知らされることになった。

 親父は仕事が終わって家に帰ってきては、部下一人一人の現在の成績や狙っている企業をまとめる。そしてその企業に関する情報を大量に集めては、ひとつの冊子にまとめていた。それは俺が若手時代に課長からもらった冊子と同じだった。
 俺は、叱られることに腹を立てるだけで、課長に支えられていたことにまったく気が付いていなかったことを今さらながら恥じることになった。

 親父は俺の命日には決まって墓参りを行い、息子である俺もよく連れていかれた。俺は自分の墓参りをすることに毎回妙な感覚になっていた。
 親父は墓の前で手を合わせながら、決まって俺に伝えることがある。
「いいか、優。このお墓に眠っている人はな、昔お父さんの部下だったんだ。彼に対してはたくさん叱ってしまった。特に亡くなった日の朝にはよく叱ってしまったんだ。今さら言っても遅いが、お父さんみたいになってほしくなくてな」

 親父は若いころ、営業成績トップの営業マンだったらしいのだが、ある取引先とのミスで会社に大損害を与えてしまったらしい。それは仕事に慣れてきた油断から起こったもので、それからというものの、自分に部下ができた時は嫌われることを覚悟で、気が緩むことの無いように叱咤していこうと心に決めていたらしい。
 ある年の墓参りの帰り道、その話をしてくれた。俺はそのときの親父の背中がいつもより大きく見えたことを鮮明に覚えている。

―――それから月日は流れ、今日は俺の社会人として初出社の日になる。
 朝食を食べ、玄関へと向かう。数年前に定年退職した父が見送りに来てくれる。
「しっかり頑張ってくるんだぞ。目上の方に失礼の無いようにな」
 俺は思わず笑ってしまう。このことを伝えることができる日を心待ちにしていた。
「もちろん。任せてよ。親父、親父の息子に生まれて良かったよ。親父みたいな上司の下で働けることを願ってる」

 親父の目が少し潤んだ気がした。俺はその顔を見ないように振り返ると「いってきます」と告げ、玄関のドアを開いた。

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