第2話 日向誠は、ふとしたことがきっかけで作家を目指すことに

文字数 4,007文字

「また社長に絡んでるの?」
 チーフマネージャーの桐島真理(きりしままり)が椛の横に立ち、呆(あき)れた口調で言った。
「もう、真理さん、私が豚に見えるけん隣にこんでくださいよ~」
 椛が真理から離れながらクレームをつけた。
 五年前までモデルをしていた真理は、百七十五センチの長身に九頭身のスタイルで手足がすらりと長く、椛が隣に立たれるのを嫌がる気持ちもわかる。
 真理は日向より二つ下の二十八歳だが、二十五歳でモデル業に見切りをつけて三年前に「日向プロ」のスタッフ募集の広告を見て面接にきたのだ。
 二十五歳を過ぎるとモデルの仕事が激減するので、表舞台で培った経験を活かして今度は売り込む側の人間として力を発揮してみたいというのが真理の志望動機だった。
 真理は即戦力としての期待を裏切らずに、入社してすぐに頭角を現した。
 十五歳のときにモデルデビューを果たし、十年間芸能活動していた真理は人脈が広く、雑誌のグラビア掲載やバラエティ番組出演の仕事を次々とタレントに取ってきたのだ。
 大手の傘下ではなく個人の芸能プロダクションは、設立して十年は黒字どころか赤字が当たり前だ。
 タレントはテレビ局や制作会社に売り込む前に、莫大な先行投資が必要になる。
 俳優はワークショップで演技のレッスンを、バラエティタレントはトークのレッスンを最低でも一年は受けさせなければならない。
 レッスンの講師代、使用するスタジオ代、地方出身タレントのための寮の家賃、移動のための車のガソリン代、新幹線や飛行機のチケット代……デビューするまでギャラは入らないので、これらはすべてプロダクションの持ち出しだ。
 所属するタレントの数が多いほど運転資金が嵩(かさ)み、体力のないプロダクションは借金が膨らむ一方だ。
 しかも、ドラマや映画、バラエティ番組に出演できたところで、売れないうちは一、二万円のギャラで交通費も自腹でメイクも自前だ。
 それなので、スカウト、育成、売り込み……タレントとしての商品価値が高くなり、オファーがかかるようになるまではお金が出て行く一方だ。
 なにより芸能界の厳しいところは、どれだけ時間とお金をかけても売れる保証はなく、利益を出すタレントになるのは千人に一人の確率ということだ。
 一般的に所属タレントが十人いれば、一年間で二千万円前後、五年間で一億円前後の持ち出しだ。
 実際は、稼げるタレントを育成できないまま消えてゆく芸能プロダクションがほとんどだ。
 真理のおかげで十人の所属タレントの半数が俳優、モデル、バラエティタレントとしてデビューを果たした「日向プロ」であっても例外ではなく、設立三年で既に五千万以上の持ち出しになっていた。
 幸い、芸能プロダクション設立前から経営していたエステティックサロンと、『世界最強虫王決定戦』シリーズで得た貯蓄がかなりあったので、赤字続きでも「日向プロ」を経営することができているのだ。
「あなたは憎まれ口ばかり叩いてるけど、東京にきたら撮影以外は社長にべったりね。東京のお兄ちゃんみたいに思ってるんでしょ?」
 真里が、椛に茶化すように言った。
「真理さん、やめてください! こげんガングロAV男優ばお兄ちゃんなんて、百回生まれ変わっても思わんです!」
 椛がムキになって言った。
「はいはいはい、わかったわかった。じゃあ、あっちに座って台本を頭に入れておきなさい。午後の撮影、今日はセリフが二つもあるんだから」
 真理が応接ソファを指差しながら言った。
「真理さんっ、本当に違いますけんね!」
 椛が顔を朱(あけ)に染め、念を押しながらソファに座った。
「社長、『ジャムポップ』のグラビア、美沙はだめでした。手ブラショットとTバックありなら検討してくれるそうです」
 マネージャーの白木が、肩を落としながら報告してきた。
「いや、『ジャムポップ』はもういい。『ピーチフレッシュ』に売り込んでくれ」
 日向は白木に指示した。
「え? 『ピーチフレッシュ』は『ジャムポップ』に比べてかなりランク落ちますよ? 販売部数も半分以下ですし……」
「たしかに『ジャムポップ』はメジャーで購買客も多いが、手ブラにTバックでグラビアを飾っても意味がない。っていうか、エロいイメージがついて逆効果だ。それなら、部数が落ちてもエロさを売りにしないグラビアに載ったほうが美沙のイメージにプラスだ」
 日向は「小説未来」を手にしながら言った。
「ガングロAV男優のくせに、たまにはいいこと言うばい」
 ソファで台本を読んでいた椛が茶々を入れてきた。
「口を挟まなくていいから、集中しなさい」
 すかさず、真理が椛を窘(たしな)めた。
「はーい」
 渋々と椛が台本に顔を戻した。
 これで、ようやく集中できる。
 日向は「小説未来」をみつめ、深呼吸を繰り返した。
 日向は「日文社」の「未来文学新人賞」の二次選考を通過し、三十人の中に残っていた。
 今回の三次選考で五人に絞られ、その五人から最終選考で「未来文学新人賞」の受賞者が選出され、晴れて「日文社」から小説家デビューを果たせる。
 小説家を目指したのは、この一年だった。
 十代の頃から小説が好きで月に五冊は読んでいたが、小説家になりたいと思ったことは一度もなかった……というより、小説家を目指そうと思うような人生を送ってこなかった。
 九州の長崎県で生まれた日向は、上京するために高校入学直後からレストランの洗い場でアルバイトを始めた。

 ――学校、やめてきたけん。

 学校終わりの二、三時間だけシフトに入っても上京資金は貯まらず、日向は両親に無断で高校を中退した。
 両親は日向が東京行きを夢見ていることを知っていたが、それは成人してからの話だと思っていた。
 
 ――あんた、東京なんて高校を卒業してからでも行けるでしょうが!? 勝手に高校やめたとか、いったい、なんのつもりね!

 母親が気色(けしき)ばみ、日向に詰め寄ってきた。

 ――お母さんの言う通りたい、日向君。男はね、学歴がなかと将来厳しかけん。東京行っても、中卒じゃどこも雇ってくれんよ。どうやって生活していくと?

 母親から事情を聞いて慌てて家にきたクラスの担任教諭が、渋面(じゅうめん)を作りながら訊ねてきた。

 ――皿洗いでもなんでもしますけん。学歴がなくても、俺は東京で大成功します!

 日向は、自信満々に言い切った。
 
 ――皿洗いってね……あんた、東京行ってなんばする気ね!?
 ――わからんばってん、有名になって大金持ちになるけん!

 当時の日向には具体的な目的があったわけではなく、東京でなにか大きなことをしたい、という漠然とした思いだけで高校中退を決めたのだ。
 母親と担任教諭の説得も虚しく、日向が高校に戻ることはなかった。
 高校をやめてからの日向は、朝八時から夜八時までレストランで働いた。
 アルバイトを始めて半年が過ぎた頃には、三十万円の貯金ができた。
 さらに数ヶ月後……貯金が五十万円に達したときに、日向は家出同然で上京した。
 東京に知り合いはおらず、日向はカプセルホテルを転々としながら仕事を探した。
 貯金には余裕があったが、収入がなければ減る一方だ。
 だが、高校を中退した十六歳の日向を雇ってくれるアルバイト先はなかなかみつからなかった。
 ようやくビラ配りの仕事がみつかったが、賃金が安過ぎた。
 新たなバイト先を探しているときに、一枚のビラが日向の眼に留まった。
 
 即決! 即融資! ブラックリスト、多重債務者でも五十万まで即日融資!
 ◎スタッフ募集 ※月収三十万円以上 ※年齢、資格、経験不問 ※寮完備

                       大福(だいふく)ローン

 世間知らずの日向にも、「大福ローン」が危険そうな金融会社だということはわかった。
 だが、寮があるのは、保証人なしでアパートを借りることのできない日向にとって魅力的だった。
 なにより、年齢、資格、経験不問というのが決め手となった。

 日向は「小説未来」をデスクに戻し、ノートパソコンを立ち上げると「阿鼻叫喚(あびきょうかん)」のタイトルのフォルダを開いた。
 三次選考の結果を見る前に、もう一度提出作品を読み直して気を落ち着けたかった。
                 ★
 新宿歌舞伎町の雑居ビルに入る「大福ローン」の事務所――煙草の紫煙(しえん)で靄(もや)がかかったような十坪ほどの事務所に、足を踏み入れた氷室(ひむろ)は息を吞んだ。
『お前が面接希望のガキか?』
 氷室を出迎えたのは、プロレスラーのようにガタイのいい五厘坊主(ごりんぼうず)の大男だった。 
『ウチみてえな高利貸しに申し込んでくるようなゴミ野郎が、五件しか借りてねえわきゃないだろうが! 本当は何件だ!? おら!』
 大男の背後の応接ソファでは、よれよれになった鼠(ねずみ)色のスーツ姿の中年男が、シルバーメタリックのスーツを着たパンチパーマ男の前で震え上がっていた。
『す、すみません、本当は七件……』
『まだごまかす気かっ、てめえ!』
『すみません! 十五件です!』
 パンチパーマ男がテーブルに拳を叩きつけると、弾かれたように中年男が白状した。
『いいですか? 奥さん』
 氷室は、視線をパンチパーマ男の隣の応接ソファに移した。
 七三の髪型にノーフレイムの眼鏡をかけた男が、三十代と思(おぼ)しき女性申込者を爬虫類(はちゅうるい)のような冷たい眼で見据えていた。
『返済期限を一日でも過ぎたら、旦那さんの会社はもちろん、奥さんの実家、子供さんが通う小学校にも取り立てに行かせて貰います』

(次回につづく)

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