『少女不十分』西尾維新/異端であること(岩倉文也)

文字数 2,016文字

あけましておめでとうございます。

次に読む本を教えてくれる、『読書標識』を今年もよろしくお願いします。

月曜更新担当は作家の岩倉文也さんです。

今回は西尾維新『少女不十分』を紹介してくれました。

書き手:岩倉文也

詩人。1998年福島生まれ。2017年、毎日歌壇賞の最優秀作品に選出。2018年「ユリイカの新人」受賞。また、同年『詩と思想』読者投稿欄最優秀作品にも選出される。代表作に『傾いた夜空の下で』(青土社)、『あの夏ぼくは天使を見た』(KADOKAWA)等。

Twitter:@fumiya_iwakura

十年という歳月について考える。


『少女不十分』が刊行されたのは今から十年前の二〇一一年九月のことで、ぼくも刊行後すぐに本書を購入している。それは碧風羽氏の艶麗な表紙イラストと裏表紙に記された「悪いがこの本に粗筋なんてない。これは小説ではないからだ。」という謎めいた言葉に惹きつけられてのことだったと思う。


しかしぼくがこの本を読むことはなかった。ベッドの真後ろにある本棚に仕舞い込んで、ときたま美しい表紙に見入り、本文の記された最初のページを漫然と眺めては、なんとなく満足して本棚の定位置へと収納する。

そんなことを繰り返しているうちに十年が経った。


だから、ふと思い立って実家から取り寄せた本書を読んでいると、十年という時間が徐々に紐解かれ、融解していくような不思議な感銘をぼくは覚えた。そして〝十年〟とは、本書の内容を理解する上でも重要な概念だったのである。


『少女不十分』は、著者本人を思わせる三十歳の小説家「僕」の独白によってはじめられる。「僕」は自らが異端であり変人であることに誇りを持って十年間、小説家として生計を立ててきた。そして三十路になったことを期に、これまでの自分の作家活動、また作家という己の職業について饒舌に振り返る。そうした中で「僕」は、自分が作家志望者から作家へ、嘘をつく者から物語を作る者へと決定的な転身を遂げるきっかけとなった、十年前のとある事件について語り出す……。


それにしても、十年。


十年前、この本が発売された年に起こった震災によって、ぼくの感受性は滅茶苦茶に歪み、もどらなくなった。体から皮膚が剥がされ、赤身だけになったような気分だった。この世界が本質的に安定しておらず、いつでも崩壊する可能性があると骨身に沁みて知ったのは、その時だ。


十年。十年とはある出来事を客観視するには、丁度良い距離だ。ぼくは思うのだが、なにか自分にとって重大なことが起こっても、人はそれをすぐには認識できない。重要だと頭では理解していても、本当に納得することはできない。その状況から身を引きはがし、さらに長い時間を経なければ、なにも分かりはしないのだ。ゆえに、本書で扱われる事件が、十年という時を隔てた視点で語られることには必然性がある。


また、本書に一貫しているのは、異端であることの肯定だ。それは冒頭付近の

皆も誇ろう。

孤立し、異端であることを。

たとえそのために、酷い目に遭ったとしても。

なるほど誰かに理解され、周囲に評価されながら生きることは夢のようだけれど、同時に誰からも理解されない、評価とも無縁の人生もまた、それなりに夢のようではないか。

という部分に端的に表れている。


だがもっと重要なのは、決定的に社会のレールから弾き出されてしまった存在を前にしたとき、人は作家に、物語の語り手にならざるを得ないという、ぎりぎりの局面を本書が描き出しているという点だ。


そうした瞬間は、極限の無力感と共にやって来る。目の前の人間が、もうどうしようもなく手遅れで、壊れていて、救いようがないと分かってしまったときの、深い虚脱感。その底から、言葉は湧いてくる。物語は口を衝いて溢れだす。他者との絶望的な断絶を媒介しなければ、言葉を他者に届けることはできないという逆説がここにはある。


本書は別に、傷ついた他者を物語の力で救うお話でも、また作家志望の若者がプロの作家へと逞しく成長するお話でもない。


ただ、徹底的に打ちのめされ、破綻してしまった存在へ、それ以外なにもしてやることができないという理由から、夜を徹し物語を語り聞かせることの、かなしい美しさを、太古から繰り返されてきた〝物語る〟という行為の原初のかがやきを、本書は描くことに成功している。


物語はなぜ存在するのか? 


その問いへのひとつの答えが、『少女不十分』には記されているのである。

道を外れた奴らでも、間違ってしまい、社会から脱落してしまった奴らでも、ちゃんと、いや、ちゃんとではないかもしれないけれど、そこそこ楽しく、面白おかしく生きていくことはできる。

それが、物語に込められたメッセージだった。

『少女不十分』西尾維新(講談社)
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