「本と和菓子、人を動かす力」大崎 梢

文字数 4,156文字

(*小説宝石2021年1・2月号掲載)

 和菓子って、嫌いなわけでも食べないわけでもないのに、身近な存在には思えなかった。


 特に創業ン十年(いや、百数十年?)という老舗だったりしたら、のれんをくぐる勇気などとても持てず、遠巻きに「すごいな」「さすが」と呟(つぶや)くだけで終わっていた。デパートの地下フロアにある店舗も似たようなもの。きれいに並んだお饅頭(まんじゆう)や練り切りに心が引かれても、気後(きおく)れしてしまい買い物を楽しむ余裕はなかった。「和菓子のアン」シリーズを読むまでは。


 このシリーズのおかげで親近感が湧き、『アンと愛情』の出版記念イベントにも参加してきた。


 今回で四回目となる、老舗和菓子店とのコラボ企画だそうだ。作中に登場する和菓子がじっさいに作られ販売されると聞き、いたく好奇心がそそられるが、私にとって「老舗」の看板はまだまだ強すぎる。


 とりあえず様子見から。などと思い、午前中の早い時間に到着したところ、会場はすでに多くの人でにぎわっていた。しかもアンちゃんシリーズならではのアットホーム感に満ちている。行き交う人たちがみんな笑顔で足取りも軽い。それもそのはず、並んでいるのは、「こころ」とか「こい」とか「春告鳥(はるつげどり)」とか、知ってる知ってると興奮してしまうお菓子ばかり。あれがこれか。それはもしかしてと、物語世界と現実がオーバーラップし、顔も緩むし財布の紐(ひも)も緩む。お会計してくれる販売員さんたちも好調な売上げと相まってか、晴れやかな笑顔を向けてくれる。


 会場では坂木司さんや似鳥鶏さんとも合流。色とりどりの可愛(かわい)いお菓子を前に、心はみんな乙女(おとめ)です。きゃー綺麗(きれい)。きゃー美味(おい)しそう。


 中には、「秋の道行き」「はじまりのかがやき」というお菓子もあり、まるで立花(たちばな)さんが作ってくれたかのよう。「みつ屋」と刻印されたどら焼きは、粒あんとこしあんの二種仕立て。瓦せんべいをひねったような小さなお菓子、「辻占(つじうら)」の中に入っているのは坂木さん直筆の言葉。サンプルが置いてあったので覗(のぞ)きこむと、〝甘やかすが吉〟と。甘えるな、ではないところに、このシリーズならではのエスプリが効いている。


 会場の一角には実演販売のコーナーも設けられていて、私がお邪魔したときはわらび餅がこねられている真っ最中。リズミカルでいて力強い作業は、職人というよりアスリートを彷彿(ほうふつ)させる。出来上がった本わらび餅の輝きは漆黒の宇宙にも似て、ぷるぷるの食感が絶妙な歯ごたえで口の中を楽しませ、喉ごしの小気味よさには清涼感を伴う……って、ちょとだけアンちゃんの表現をまねてみたけど柔らかさが足りないわ。


 同じ名前なのに形のちがうお菓子もあり、それは本から受けたインスピレーションをもとに、いろんなお店が独自の解釈で生み出しているから。職人さんひとりひとりの個性や技術が目でも舌でも楽しめる。

『アンと愛情』(坂木司)本体1700円+税

デパ地下の和菓子屋「みつ屋」で働くアンちゃんは、まもなく成人式を迎える。経験は少しずつ増えてきたけれど、お客さんたちが持ち込む様々な要望は多彩だし、和菓子に込められた謎は深まるばかりで……。累計80万部の大ヒットシリーズ、待望の第3弾。

 もともとこの企画は『和菓子のアン』を読み、その面白さに刺激され、自分のところで作ってみたいと声を上げた菓子店からの発案だそうだ。同志を募り、百貨店側に交渉し、細かい打ち合わせを重ねてイベントを成り立たせている。どこにそんな柔軟性やエネルギーがあるかと思えば、出店する側は皆、老舗であっても若い担い手が主体となっている。自らを「本和菓衆」と名乗り、新しいことに挑戦する楽しさを体現している。本和菓って心がなごむ意味の「ほんわか」をかけてる?


 少なくともここに参加している若き後継者たちは、私のような一般市民が和菓子について「近寄りがたい特別な食べ物」と思うことをヨシとしていない。この世にあまたある美味しいスイーツと同じカテゴリーに置き、自由気ままに選ばれることを望んでいる。


 その証拠にこんなエピソードを話してくれた。イベントを初めて開催したとき、女子高生が買いに来てくれたそうだ。アンちゃんのファンで、コラボ企画を知り訪れたのだけれども、なんと、デパート自体が初めてとのこと。もしかしたらうんと小さな頃に家族に連れられて来ているのかもしれないが、自分の記憶の中では初めてであり、自分の意志で足を運んだのも初めて。


 女子高生はその後もイベントをのぞきに来てくれて、すでに高校を卒業して大学生か、社会人か。そんな縁をとても嬉(うれ)しそうに、あるいは誇らしそうに語ってくれた。


 本には人を動かす力があるのだと実感できるエピソードだ。その本を書かせてしまう和菓子にも力があり、その和菓子に携わっている人たちにも力がある。高い場所を目指して突き進んだり、大きな物事を築いたり、観衆に称(たた)えられたりする力ではないだろうが、人の心の機微に寄り添えたらどんなにいいだろうと願っている人には大事な力だ。励みであり、糧(かて)にもなるだろう。


 坂木さんや似鳥さんにもこの話をすると、目を輝かせて聞き入ってくれた。


「今どきってデパートそのものに行く機会が減っているのかな」


「でも本がきっかけになるなんてすごい」


「食べてみたらほんとうに美味しくてリピートに繋(つな)がったのね」


 会場を提供してくれたデパートにも、新たなお客さんを呼び込めたとしたら、こんな嬉しいことはない。


 帰宅後はあれこれ思い出しつつ、買い込んだお菓子を熱いお茶でいただいた。どら焼きの生地がふかふか。パンケーキみたい。柚(ゆず)がまるまるお菓子になるなんて。うぐいす色のお餅の伸びること。アンちゃんの二の腕を再現したという、遊び心いっぱいの「たるたる」。やわらかーい。


 私が二の腕ならぬ二の足を踏み続けた老舗の和菓子店でも、のれんの奥でこんな美味しいものを作っているのだ。そう思えば、くぐらないのはもったいない。アンちゃんみたいな売り子さんが迎えてくれるかもしれない。


 楽しい想像をめぐらせながら、原稿の合間に干菓子もいただいている。

『もしかして ひょっとして』

心配性でお人好し。損得を考えずに動いて、余計なトラブルに巻き込まれて、貧乏くじを引きっぱなし。それでも、危機に陥ったあの人を救わなきゃ。誤解も悪意も呑み込んで、奇妙な謎を解き明かすんだ! にぎやかでアイディアに満ちた、6つの短編ミステリー。

大崎梢(おおさき・こずえ)

東京都出身。2006年、『配達あかずきん』でデビュー。近著に『ドアを開けたら』『彼方のゴールド』『さよなら願いごと』『もしかしてひょっとして』など。

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