『ある日、爆弾がおちてきて【新装版】』古橋秀之/永遠の少年少女たち(岩倉)

文字数 2,684文字

次に読む本を教えてくれる書評連載『読書標識』。

月曜更新担当は作家の岩倉文也さんです。

今回は古橋秀之の『ある日、爆弾がおちてきて【新装版】』をご紹介していただきました。

書き手:岩倉文也

詩人。1998年福島生まれ。2017年、毎日歌壇賞の最優秀作品に選出。2018年「ユリイカの新人」受賞。また、同年『詩と思想』読者投稿欄最優秀作品にも選出される。代表作に『傾いた夜空の下で』(青土社)、『あの夏ぼくは天使を見た』(KADOKAWA)等。最新単行本は『終わりつづけるぼくらのための』(星海社FICTIONS)。

Twitter:@fumiya_iwakura

人というのはそれぞれ別の時間を生きていて、ふとすれ違った一瞬の間に友達になったり恋人になったり、あるいはちょっとした知り合いになったりしながら、次第に遠くとおく離れていく。しかし時間というものは必ずしも均質に流れている訳でも、また一直線に素直に未来へと進んでくれる訳でもないから、ときには離れてしまったものが帰ってきたり、同じところをぐるぐると回ったり、過去と未来がひっくり返ったりすることも、あるかもしれない。


古橋秀之の『ある日、爆弾がおちてきて【新装版】』は、「〝すこしフシギな女の子〟と〝フツーの男の子〟のボーイ・ミーツ・ガール短編集」と銘打たれており、新型爆弾を自称する女の子が降ってくる表題作に加え、記憶が退行する病が流行する世界、教室の窓ガラスに見知らぬ少女が映り込む世界、特殊な爆弾によって時間が凍結した少女がモニュメントとして建っている世界など、天衣無縫の奇想をもって描かれた計八編の短編小説が収録されている。


ちなみに、表題作である「ある日、爆弾がおちてきて」はテレビドラマ『世にも奇妙な物語 2013年 秋の特別編』において実写ドラマ化されており、当時中学三年生だったぼくは本作をリアルタイムで視聴している。どんな内容だったかはほとんど忘れてしまったが、街を見下ろす高台の上で爆弾の少女と主人公の少年が二人っきりで向かい合うシーンだけは、妙に生々しいイメージとしてずっとぼくの記憶に残りつづけていた。


それで今回、過去の記憶の答えを探すつもりで本作を読み進め、驚いた。さすが「世にも奇妙な物語」の原作として使用されるだけあり、一筋縄ではいかない。


とは言え、ストーリー自体はいたって明快である。ある日、予備校の屋上でぼんやりしていた主人公・長島の前に、爆弾を自称する少女・ピカリが落ちてくる。高校時代に気になっていた同級生・ひかりに瓜二つの彼女は「セーシュン的なドキドキ感」を高めることで自分を爆発させてほしいと迫ってきて、長島は渋々それに付き合うことになる。


これだけ読めば、奇抜な着想に基づくドタバタラブコメディーと言った感じだが、あと少しで爆弾が作動しそうなピカリと夕暮れの高台で向かい合う場面は、やはり圧巻だった。ピカリは長島にむけて、こんな台詞を矢継ぎ早に浴びせかける。

「ねえ、想像してよ」


「このごみごみした街も人も、その先のごちゃごちゃしたアレコレも、みんな一瞬で消し飛んで、あとは大きな、きれいなキノコ雲だけが残るの。そのほうがいいじゃない。長島君もそう思うでしょ?」


「だって長島君、大人になんかなりたくない人でしょう?」


「生きてるのって、すごくたいへんよね。先が見えなきゃ不安だし、かといって、見えちゃったらゼツボーだし、〝未来〟とか〝将来〟のことって、どっちにしても苦しいばっかりだよ」


「……だから、あたしたちで終わらせちゃおう。未来なんかどかーんと吹き飛ばして、きらきらした現在(いま)だけを永遠にするの。みんな『そのほうがいい』ってよろこんでくれるよ。よろこぶひまもないけれど」

大人になりたくないから、いまを永遠にするため、爆弾を爆発させる──。この悪魔の誘いを前に、長島が一体どのように振る舞うかは、ぜひ自分の目で見届けてほしい。


次にぼくは、個人的に本書の中でもっとも好きな「恋する死者の夜」を紹介したい。


「ある日、爆弾がおちてきて」ではモラトリアムを生きる少年の前に、全てを破壊し未来を消し飛ばす威力をもった爆弾少女が現れた。しかし本作「恋する死者の夜」においては、すでに未来といえるものがなくなった世界が舞台である。


死人が甦り、生前の特定の一日をリピートするようになった。その〝リピーター〟と呼ばれる死人はゾンビのように人を襲ったりすることはなく、ただただ、ある一日の行動──出勤や通学といった──を繰り返している。そうした死人が街に溢れている状態が、当たり前になった世界。


主人公の元には、毎晩ナギという少女がやってきて、こう告げる。「ひ み つ の や く そ く お ぼ え て る ?」。やくそくとは、遊園地に行くこと。リピーターとなったナギにとっては、毎日が遊園地に行く「やくそく」の日なのである。


本作は本書の中にあって最も暗く、救いのない物語なのであるが、それゆえ深く心を穿つ。遊園地という、ボーイ・ミーツ・ガールにおいてはお決まりの舞台の意味を、こうまで痛烈な形で反転させた作品をぼくは他に知らない。本作には別にどんでん返しもなければ、意外な結末もない。ただ淡々と、死人となった少女と一緒に、遊園地で遊ぶだけである。その光景が、あまりに残酷な抒情となって、作品全体を美しく覆っている。少女にとっての天国が、少年にとっての地獄だった。


以上、二編の短編を紹介したが、「あとがき」に作者が記している通り、本書の全ての作品は広義の〝時間モノ〟となっている。つまり、主人公の男の子とヒロインの女の子の間には、つねに時間的なズレや屈折が存在するのである。そうした趣向が、なにかボーイ・ミーツ・ガールという物語類型の根幹に繋がっていると思えるのは、ぼくの錯覚だろうか。


あるいは自爆寸前の少女の前にたたずみ、あるいは死んでいる少女と遊園地で永遠に遊び続ける。少年と少女は、いまこの瞬間に共に存在したとしても、同じ時間を生きることができない。その切なさが、その隔たりが、しかし、二人を強く結びつける。


そのことを教えてくれる本書は、故にボーイ・ミーツ・ガール小説の金字塔なのである。

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