江上 剛・フェアウェイを歩く人 「城山三郎」

文字数 1,870文字




 城山三郎さん(親しみをこめて『さん』づけで呼ばせていただく)のゴルフホームコースは茅ヶ崎にある超名門スリーハンドレッドクラブだ。ロッカールームに歴代の首相の写真が飾ってあり、会員数が300人であることから、この名前があると言う。

 私は城山さんとはそれ以前から面識はあったのだが、その名門クラブでのゴルフに誘われた。
 プレーが始まる前、城山さんのゴルフ道具を見るとドライバーのヘッドカバーがカラフルなのに気づいた。城山さんのイメージとは違い、ちょっと女性っぽいと感じた。私は「華やかですね」と言った。すると城山さんは、女性のキャディさんを見て「君たちからプレゼントされたんだよね」と言う。心底から嬉しそうな笑顔だ。奥様を亡くされた城山さんを慰めようとキャディさんたちがプレゼントしたものらしい。城山さんは彼女たちに愛されているんだなと感じた。

「城山先生は人気者ですから」とキャディさんがにこやかな笑顔を見せた。

 プレーが始まった。城山さんはカートに一切、乗らない。クラブには高齢メンバーも多い。おおかたの人はカートに乗ってプレーしている。しかし城山さんは斜面だろうとどこだろうととにかく歩く。フェアウェイを堂々と歩かれる城山さんの後を追いかけて、私は「全部、歩かれるなんてすごいですね」と言った。城山さんは「健康のためだからね」とこともなげだ。

 石原慎太郎さん(当時都知事)が、私たちの前でプレーしていた。カートを勢いよく飛ばしている。城山さんは「プレーが終わったら、慎太郎を呼ぼう」と言った。

 プレーが終わり、レストランで食事をしながら、赤ワインを一緒に飲んでいた。城山さんは赤ワインが好きだった。いつだったか、昼間に会った時もコーヒーではなく赤ワインを飲んでいた。そこへ石原さんがやってきた。

「城山さんは大学の先輩だけど、文壇では後輩だから」と石原さんがいきなり言う。二人は同じ一橋大学出身だが、文壇デビューは石原さんの方が早い。多様な話題が飛び交う中で、城山さんが「あまり右に行くなよ」と石原さんに言った。右傾化をたしなめたのだ。「私は中道ですよ」と石原さんは苦笑した。私は、城山さんの石原さんに対する愛を感じた。戦争の悲惨さを経験した城山さんは、後輩である石原さんの日頃の言動が心配でたまらなかったのだろう。

 ちょうどその頃、城山さんは個人情報保護法案成立に激しく反対していた。国家による言論、思想統制に直結する懸念からだ。

 城山さんは、法案成立を阻止するべく珍しくテレビにも出演した。周囲から批判されることもあっただろう。しかし反対活動を止めなかった。今や徐々にその言論、思想統制の傾向が強くなり、城山さんの懸念が現実になりつつある。

 城山さんの小説で私が一番好きなのは『落日燃ゆ』だ。A級戦犯の広田弘毅元首相を描いたものだ。ある歴史家が、城山さんのせいで広田が英雄になってしまったと怒っていた。彼は城山さんが歴史を歪曲したと言いたいのだ。しかし私は城山さんがなぜ広田を書こうとしたのかよく分かる気がする。

 広田はA級戦犯の中で、たった一人の文官として絞首刑に処せられた。東京裁判では、勇ましかったはずの軍人たちが責任を逃れようとお互いに誹謗中傷し合い、醜い言い訳に終始した。しかし広田は一言の弁解もしなかった。全ての責任を受け入れ、従容として死に赴いた。その姿に城山さんは真のリーダーを見たのだ。

 城山さんの小説に足尾銅山鉱毒事件に生涯を捧げた田中正造の晩年を描いた『辛酸』がある。城山さんは田中のことを、あるエッセイ集の中で「戦いの中で野垂れ死にすることこそが自分の栄光であり、納得のいく人生の結び方だという信念を貫いた」人物だと高く評価している。

 広田も野垂れ死にした。首相まで上り詰めたにもかかわらず、絞首刑に処せられたのだから。しかしそれこそが広田の栄光なのだ。右顧左眄し、時代に迎合するなかれ。信念に殉じる広田の生き方こそ「男子の本懐」であると、城山さんは多くの読者、特に組織人に伝えたくて『落日燃ゆ』を書いたのだ。

 どんなに足が痛くても、疲れていても、その場に倒れようとも、フェアウェイを堂々と歩く城山さんの姿は広田など城山小説の主人公に通じる。私は、フェアウェイを歩く城山さんの姿を思い出す度に、自分の姿勢を正さざるを得ない。

「小説現代特別編集二〇一九年五月号」より

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