〈8月2日〉 矢崎存美

文字数 2,565文字

(もの)(がたり)(おど)


 陽菜(ひな)は、一(ねん)(まえ)から(もの)(がたり)()いている。
 ()(はじ)めたきっかけは、()(ぶん)人生(じんせい)(といってもまだ十二(ねん)だけど)が「とても平凡(へいぼん)」だと(かん)じたからだ。想像(そうぞう)もつかないような、(おも)いもかけないような、(おどろ)くようなことがまったく()こらないので、(もの)(がたり)(なか)だけでもそういうことを()こそう、と(かんが)えた。
 けれど最近(さいきん)想像(そうぞう)もつかなかったことが本当(ほんとう)()こってしまった。(あたら)しい(かん)(せん)(しょう)のために、学校(がっこう)へほとんど()けなくなってしまったのだ。その(うえ)(なつ)(やす)みもなくなってしまった。
 実際(じっさい)にそういうことが()こったらきっとワクワクするに(ちが)いない、と空想(くうそう)していたのに、全然(ぜんぜん)そんなことはなく、むしろ(こわ)くて(かな)しかった。お(とう)さんとお(かあ)さんはお(みせ)やさんをしていて()(だん)はあまり(いえ)にいなかったのに、(いま)(えい)(ぎょう)を"()(しゅく)"しているから、(なが)()(かん)一緒(いっしょ)にいられる。それはうれしいけれど、二人(ふたり)ともなんだか(かな)しそうだ。陽菜(ひな)()()んでしまう。
 どんな(もの)(がたり)()いたってこんな現実(げんじつ)にはかなわないなと(おも)うのだけど、それでも陽菜(ひな)は、なんとなく(かみ)文字(もじ)をらくがきしていた。適当(てきとう)(おも)いついた言葉(ことば)(へん)(かん)()、おかしな()()(じゅく)()()(ぶん)(かんが)えた外国(がいこく)()──そんなことを(なら)べていたら、なんだか(たの)しくなってきた。()(ぶん)面白(おもしろ)いと(おも)うことだけが()かんでくる。
 最初(さいしょ)はただ()きたいことを()いていただけなのに、次第(しだい)()らない(おんな)()(あたま)(なか)でしゃべりだした。うるさいほどおしゃべりなその()との(かい)()()(ちゅう)()いていたら、「あれ、これ(だれ)かに()てる」と(おも)(はじ)める。(だれ)だろう、と(かんが)えながら()(つづ)けていたら──突然(とつぜん)わかった。
 これ、お(かあ)さんだ。しゃべり(かた)とか(くち)ぐせとか、(おこ)(かた)とか変顔(へんがお)()(かた)とか、お(かあ)さんそのものだ!
 だから陽菜(ひな)は、その()絶対(ぜったい)(たの)しいと(かん)じることばかりをやらせてあげた。というか、(おんな)()勝手(かって)(うご)く。()()()いつかないくらい、()んだり()ねたり、(おど)ったり(うた)ったり。本当(ほんとう)()きてるみたいだった。
 ()()わった(とき)陽菜(ひな)(いま)までとは全然(ぜんぜん)(ちが)うものを()いてしまったと(かん)じたが、(どう)()に「(だれ)かに()んでもらいたい」という()()ちも(こころ)(そこ)から()()がってきた。しかも猛烈(もうれつ)に。
 そこで、居間(いま)(くら)(かお)をしていたお(かあ)さんに()せてあげた。そしたら、(なみだ)(なが)して(わら)ってくれる。大人(おとな)もこんなふうに(わら)(ころ)げることってあるんだ!
陽菜(ひな)(もの)(がたり)()いてるなんて()らなかった。すごく面白(おもしろ)いよ。陽菜(ひな)才能(さいのう)あるね」
 ()まらない(なみだ)()きながら、お(かあ)さんは()った。その言葉(ことば)は、陽菜(ひな)にとって(いま)まで()いてきた(もの)(がたり)より、そして(いま)(じょう)(きょう)より、ずっとずっと(おも)いがけないことだった。「面白(おもしろ)い」ってたったひとことなのに、そう()ってもらえるだけで、びっくりするほどうれしい! こんなにワクワクするのっていけないのかもしれないけれど、(はじ)めてだ!
「じゃあ、お(とう)さんのお(はなし)()くよ!」
「うん、()いてあげて。きっと(よろこ)ぶよ」
 お(とう)さんも面白(おもしろ)いって()ってくれるかな? お(かあ)さんみたいに、(わら)ってくれるかな。


矢崎存美(やざき・ありみ)
埼玉(さいたま)(けん)(しゅっ)(しん)。1985(ねん)(ほし)新一(しんいち)ショートショートコンテスト(ゆう)(しゅう)(しょう)(じゅ)(しょう)。1989(ねん)作家(さっか)デビュー。「ぶたぶた」シリーズなど(ちょ)(さく)()(すう)

(きん)(ちょ)

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