◆No.7 切れ味抜群の変化球 ~薦野増時(弥十郎)(下)
文字数 1,494文字
藤木和泉 立花家臣。鑑載派、のちに毛利派。
薦野弥十郎 立花家臣(のちに軍師)。鑑光派、のちに大友派。
米多比三左衛門 立花家臣。のちに大友派。
野田右衛門大夫 通称、右衛門太。立花家臣。のちに毛利派。
佳月 和泉の妹。のちに出家して桂月院に。
皐月 鑑載の娘。和泉、佳月の従妹。
立花鑑光 立花家、第六代当主。
立花鑑載 鑑光の養子。のちに立花家、第七代当主に。
藤木監物 和泉の父。鑑載の腹心。
薦野宗鎮 弥十郎の父。鑑光派、のちに大友派。
安武右京 立花家の筆頭家老。鑑載派、のちに毛利派。
戸次鑑連 大友最高の将。のちの立花道雪。
弥十郎にとって、生きるか死ぬかの危機は生涯に何度かあるのですが、立花鑑載の乱もまさしくその一つだったでしょう。
彼はある事情で、毛利方へ寝返った主君の鑑載を、敵に回さざるを得ない状況へ追い込まれます。現に鑑載の命で討伐軍が攻めてくるわけですね。
この時点では、周りはすべて毛利方です。
戸次鑑連(道雪)が率いる大友軍が攻めてきますが、大友が勝つ保証はどこにもありません……。
今も昔も、結果が全て。
乱世の九州、立花鑑載の乱後も大勢力の間で争奪合戦となった立花山城の(立花道雪以降の)新しい立花家に仕えながら、天寿を全うしたこと自体、優れた人物であったと言えるでしょう。
戦国時代を生き延びた武将は何人もいます。
当時は忠義などを貫いて滅びるよりも、人を裏切り、主君を変えて生き延びるのが当たり前の時代だとされていました。松永久秀は途中で失敗しましたが、藤堂高虎の生き方などは典型的ですね。
責められる理由もないのでしょうか、江戸時代から今まで続く感覚からすれば、また、滅びの美学が嫌いでない私からすれば、少なくとも美しい生き方ではないと思えてしまいます。
これに対し、弥十郎の場合、ずっと立花家でした。
一つの立場を貫きながら、最後まで生き延びた彼の人生は、美しい。
仮に批判される点があるとすれば、立花家に帰参しなかった点でしょうか。
ただ、立花宗茂が柳川藩主に返り咲いた時、弥十郎は78歳で、すでに隠居していて当主でもなく、世代も交代していますから、高齢を理由にそのまま故郷に止まったとしても、しかたないのではと思います。
それ以前、宗茂が陸奥棚倉一万石の藩主になった時、弥十郎は62歳ですが、当時としてはすでに高齢ですし、黒田家から四千石を得ていた弥十郎がそれを捨てて帰参したとしても、自己満足なだけで、実は迷惑だったかもしれません。
弥十郎のキャラは気に入っているので、機会があればまたどこかで登場させたいですね。
小松岡砦:薦野家の出城です。三人が桜園の誓いをやりそびれた場所です。
写真提供:道雪会