『小説伊勢物語 業平』髙樹のぶ子/ 飽かず哀し(岩倉文也)

文字数 2,405文字

本を読むことは旅することに似ています。

この「読書標識」は旅するアナタを迷わせないためにある書評です。

今回は詩人の岩倉文也さんが、『小説伊勢物語 業平』(髙樹のぶ子)を紹介します。

岩倉文也

詩人。1998年福島生まれ。2017年、毎日歌壇賞の最優秀作品に選出。2018年「ユリイカの新人」受賞。また、同年『詩と思想』読者投稿欄最優秀作品にも選出される。代表作に『傾いた夜空の下で』(青土社)、『あの夏ぼくは天使を見た』(KADOKAWA)等。

Twitter:@fumiya_iwakura

ぼくが古典を好きなのは結局、滅び去った世界が好きだからに違いない。日本の千年前の貴族たちの文化や風習、築かれてきた美意識、洗練された振る舞い。かつてそのような美しい世界があったという、そしてその世界が跡形もなく地上から消え去り、二度と出現することのないという端的な事実が、ぼくの心を深く慰める。


そんな古典作品の中でも、ぼくは殊に『伊勢物語』を愛読している。ごく短い、だが凝縮された内容の章段が連なる構成、収録された和歌の完成度、在原業平に擬せられた主人公の奔放で雅な生涯……。それらに体現された平安貴族の理想像は、貴族的なるもののことごとくが滅び去った現代にあってもなお新しい。


さらに言うならば、一首、あるいは複数の和歌の贈答を核として物語が作られ、展開されていく作品構造そのものが、ぼくにとってはたまらなく魅力的なのだ。『伊勢物語』は一人の作者によって作られたわけでも、また収録された和歌すべてが業平のものというわけでもない。けれどそのことは当時の和歌の在り方を暗示している。一首の和歌のまわりにある膨大な欠落。それを貴族たちは想像力によって積極的に読み取り、物語に昇華していった。『源氏物語』のように物語と溶け合い、密接し、朧に高め合うといった和歌の在り方とは異なる、もっと硬質で簡素な和歌と物語の関係が『伊勢物語』の特徴なのである。


さてそのような『伊勢物語』を小説化したものが本作『小説伊勢物語 業平』である。タイトルにも「小説」とある通り、本作は単に『伊勢物語』を現代語に翻訳したものではない。原作にある百二十五の章段を取捨選択し、時系列を入れ替え、内容を大幅に補いながら、「業平」という一人物の全容に迫ろうとした点に、本作の他にはない個性がある。


しかし何よりもまずぼくを驚かせたのは、本作の持つディテールの確かさだ。『伊勢物語』は『源氏物語』などとは違い、歌語りに不要な外面描写が極限まで切り捨てられており、いつ、どこで、だれが歌を読んだのかさえ、記されていないことが多い。だが本作においては業平が生きていた当時の政治状況から、業平の生い立ち、貴族の習俗や振る舞いの細部に至るまで密に描写されており、高雅な文体と相まって、今はない平安の世界へと没入することができるのである。


実際、古典の世界に没入するとは生易しいことではない。「古典の世界に没入したい」という欲望を持つ人間がいったいどれだけいるかぼくは知らないが、それを本格的に成そうとすれば、古語をすらすらと読み下せるだけの知識を有し、また背景となる古代の政治、習俗、仕来り等に精通しておらねばならず、ぼくのような不勉強な者は、注釈書、辞典を片手につっかえつっかえ読み進めていく他にない。それでは古典に没入、などと言うには程遠いことは明らかだ。


ゆえに古典としての色香を失わず、また単なる現代語訳でもなく、原作と付かず離れず、絶妙な距離感で構成された本作は、それだけで貴重な作品と言えるのである。


だが本作を真に魅力的なものにしているのは、「歌詠み」としての業平を、とことんまで描き切った点にある。


たとえば次の業平と源融とのやり取りは、業平の歌詠みとしての態度が鮮明に表れていて興味深い。歌を詠んだことのある人間ならば頷くところがあるのではないだろうか。

「……政治(まつりごと)の正しさが何かはわかりませぬが、私は歌に生きております。歌は叶わぬこと、為しえぬことも、詠み込むことが出来ます。命を越えて生き長らえるのも、歌でございます」


「……それで満足なのか」


「満足ではございませぬが、叶わぬこともまた、歌には必要なのでございます」


業平、重ねて申しました。


「私は、飽かず哀し、の情を尊く存じます。叶わぬことへのひたすらな思いこそ、生在る限り、逃れること叶わぬ人の実情でありましょう……飽くほど手に入れようといたしましても、それは歌の心には叶いませぬ」


(『小説伊勢物語 業平』より)

飽かず哀し、その情が最も前面に表れてくるのは恋愛の場においてである。本作も『伊勢物語』同様、数多の恋愛模様が描かれているが、読了後、艶やかな女性との交友はすべて消え去り、ただ歌のみが透明な骨格を露わにするといった、不思議な錯覚に襲われた。


幾重にも伝説化され、今ではまるで歌を詠むためにのみ地上に遣わされたかのようにすら見える貴公子・業平。かれにとって歌を詠むとは、自らを作り替え、雅ならざるものを雅にし、決して留まらぬ想いを永遠に未来に残すための手段だった。


本作では、歌の上手な色好みに過ぎなかった業平が、どうしようもなく「歌詠み」へと変じていく過程が、平坦ならざる生涯を通してつぶさに描かれている。


『源氏物語』や能、浄瑠璃、歌舞伎──その他有形無形の影響を後続文化に与えてきた業平伝説の、本作は最先端に位置するのである。

 「……あが君は、紙と筆の中に生きてこられたのでございますもの」


(『小説伊勢物語 業平』より)

『小説伊勢物語 業平』髙樹のぶ子(日本経済新聞出版)
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