◆No.9  阿君丸暗殺~戦国朝倉家の7大 if (イフ)その6

文字数 1,283文字

越前の名門朝倉家の英傑・朝倉宗滴が没したあと後事を託され、朝倉家を守ることを固く誓った「宗滴五将」の筆頭「仁の将」山崎吉家。朝倉将棋最強の駒に譬えられた男は、なぜそこまで主家に尽くしたのか──。朝倉家家臣団の離反、謀略、裏切りのなかで孤軍奮闘する忠臣の姿を描いた『酔象の流儀 朝倉盛衰記』の裏話を、著者・赤神諒氏が語ります!

永禄11年(1568年)6月、義景の嫡男である阿君丸が暗殺されたとされています。

享年わずか7歳。

国主の嫡男の暗殺は大事件です。

詳細はわかりませんし、作り話の可能性もありますが、もしも暗殺が事実だとすれば、誰が何のために実行したのでしょうか。

小説では当然に扱わねばなりません。

この頃までの義景は、戦国大名として無難に歩んでいました。

阿君丸の死から数ヶ月で、足利義昭は越前を去って、織田信長を頼ります。

義景が上洛しなかったのは、阿君丸の死と関係がありそうです。

信長が将軍を最大限に利用できなかったとすると、戦国史は少し変わっていたはずですが、その辺りは if (イフ)その1でも書きました。

義景は気位が高いのに、どうも野心のなかった人物です。

将軍家を立ててそれなりに尽くしたとすると、少なくとも最初は信長と共闘する形で、三好・松永らに対抗したのではないでしょうか。信長と義景のうまが合ったか首をかしげざるをえないですが、浅井長政が間に入れば、うまくいった可能性も否定できません。

また、史実のように、将軍家をバックにした信長と戦う流れにはならなかったはずです。義昭はなかなかの謀略家ですので、義景はうまく利用されたあげく、信長に滅ぼされたかもしれませんが、違う展開になったでしょう。

史実で朝倉家が滅びた時、阿君丸が生きていたとしても12歳ですので、義景に代わって国を治めるのは無理だったでしょうが、それほど早期には滅ぼされなかったはず。

もしも若き阿君丸が越前朝倉家の第12代当主となっていれば……

これから先は if (イフ)が重なりすぎて手に負えませんが、阿君丸の死が朝倉家の行末に影を落としたことだけは間違いなさそうです。

『酔象の流儀 朝倉盛衰記』で、義景は吉家の進言により、やる気満々で上洛を企図していたのですが、〇〇の謀略により阿君丸が暗殺されたために、すっかりやる気をなくしてしまいます。

2年近くを越前で過ごした足利義昭が信長を頼り、織田は急膨張し、朝倉討伐の流れを産むことになります。

※朝倉館跡

赤神 (あかがみ・りょう)

1972年京都府生まれ。同志社大学文学部卒業。私立大学教授、法学博士、弁護士。2017年、「義と愛と」(『大友二階崩れ』に改題)で第9回日経小説大賞を受賞し作家デビュー。同作品は「新人離れしたデビュー作」として大いに話題となった。他の著書に『大友の聖将『大友落月記』神遊の城』『戦神』『妙麟』『計策師 甲駿相三国同盟異聞』 村上水軍の神姫』北前船用心棒 赤穂ノ湊 犬侍見参』『立花三将伝』などがある。

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