第16回小説現代長編新人賞、受賞作発表

文字数 11,610文字

小説現代3月号にて、第16回小説現代長編新人賞の受賞作が発表されました。

本年度の応募総数は、令和3年7月末日の〆切までに郵送とWEBであわせて966編

210編が1次選考を通過し、さらに2次選考の結果25編が3次選考へ進み、最終候補は下記の5作品が選ばれました。


「文藝青春」 飯島西諺

「レペゼン母」 宇野 碧

「リメンバー・マイ・エモーション」 実石沙枝子

「屋久の森」 島田悠子

「黒い夜」 森 紗貴


その後、朝井まかて、中島京子、宮内悠介、薬丸岳の4名の選考委員が審査し、下記のように受賞作品を決定しました。



受賞作品

レペゼン母

宇野碧

二〇二二年五月号「小説現代」に全編公開

六月に小社より刊行予定


奨励賞作品

きみが忘れた世界のおわり

(応募時タイトル「リメンバー・マイ・エモーション」)

実石沙枝子

二〇二二年に小社より刊行予定


受賞作紹介

「レペゼン母」  宇野碧


梗概

山間の町で梅農園を営む六十四歳の明子には、一人の息子・雄大がいる。

夫が死んでから女手一つで育ててきたが、学校からの呼び出しや二度の離婚に借金など、雄大には手を焼かされた挙句、彼は三人目の妻の沙羅を残して家を飛び出した。

あれから三年。沙羅のことを実の娘のように思い仲良く暮らしていたが、沙羅はまだどこか明子に遠慮がち。もっと頼ってくれていいのに……そう思っていたある日、沙羅から「ラップバトルに出たい」と打ち明けられる。大会当日、今までにないほど緊張している沙羅をフォローすべく、明子は大会についていくため初めて梅仕事を休むことに。

しかし結果は沙羅の惨敗。初戦で、大阪のサイファーのボス・鬼道楽に負けてしまう。男ばかりの世界の中で、沙羅は圧倒的にアウェイだった。

リベンジすべく二度目の大会に臨む沙羅だが、なんと初戦でまたも鬼道楽と対決することに。前回のトラウマを思い出し、足がすくむ沙羅。覚悟を決めた明子は義理の娘の仇を討つべくマイクを握る。

さらに何の因果か、息子の雄大が香川でラップバトルに出場していることを知る。幼い頃から不満はあった──お互いに。雄大と戦うべく、明子は大会に出ることを決意する。

すれ違い、もつれてきた母と息子の関係が時を超えてほぐれていく。ヒップホップで繫ぎ直す親子の絆が胸に迫る、前代未聞の痛快ラップバトル小説。



著者略歴

宇野碧(うの・あおい)

1983年神戸市出身。大阪外国語大学外国語学部卒。放浪生活を経て、現在は和歌山県在住。旅、本、食を愛する。



受賞の言葉

ボサボサの髪で、カピカピのごはん粒をくっつけたトレーナーを着ていた小学生のころ私の聖地は、区立図書館だった。

自分の生きる世界は、意地の悪い担任のいる学校でもなく、両親がケンカばかりしている家でもなく、ここだと思っていた。図書館にいる私はあらゆる場所と時代の物語にアクセスする権利があり、その中で飛び回る自由がある。力がみなぎっていて、世界の中心にいた。

新卒で入った会社を半年で辞めた時。

「決めた。私は小説を書く」と日記帳に書いたことを覚えている。

「書いていく道がどれだけ厳しくて、密林の中で迷ったり断崖絶壁にさしかかることがあっても、這ってでも進もう。その道の上にいるだけで、人生を怖がらなくてすむから」。

あれから十四年もかかったけれど、やっと見晴らしの良い場所に来れた。

受賞という翼をいただいて、これから離陸しようとしているこの場所からは、小学生の私も、満身創痍でまだ山を登っている私も見える。

彼女たちに私が教えられることは、「そっち行った方がショートカットやで」でも「正しい道はそっちちゃうで」でもない。

その密林にも、断崖絶壁にも、ぜんぶ意味があるということ。


自分は醜くてちっぽけだと思い込まされている人に。

自分は世界の片隅に押し込められて、無力で消えてなくなりたいと思っている人に。

あなたは、本当は力がみなぎっていて美しいんだ、世界の中心にいて自由なんだと、「ほんとうのことを、ふと吹く風のように伝えてくれる物語を書いていきたい。

そのための翼と声をいただいたことに、感謝します。

書くことは私にとって祈りの手段であり、すべての人が自分にとっての祈りになることをやっていれば、世界はもっといいところになる。

ナイーブかもしれないけれど、そう信じている。


(追記)

受賞のお知らせをもらう前日。

「聖地」巡礼のため、子供の頃住んでいた町を訪れた。区立図書館の前まで行って、「え?」と思わず声をあげた。

日曜日なのになぜか閉まっていて、よく見ると張り紙がしてある。

【現在の開館時間 水・木・金の14~17時のみ】

やる気のない聖地やな!



奨励賞作品紹介

きみが忘れた世界のおわり 実石沙枝子

※応募時タイトル「リメンバー・マイ・エモーション」


梗概

高校一年生の冬、才能あるチェロ奏者の河井明音は交通事故でこの世を去ってしまう。同じ事故から生還した幼馴染の木田蒼介は、強烈なショックで明音のことを忘れていた。死んだ明音はそんな蒼介を見守っている。

事故から六年目、蒼介は美大の四年生になって、油絵を専攻していた。その腕前は毎年コンテストで入賞するほどだったが、秋の卒業制作の中間考査では担当教授に完成間近の絵を酷評される。評価されるためではなく、自分の才能と向き合うために描き直すことを決めた蒼介は、テーマ:過去、モチーフ:河井明音にして、卒業制作に再度取り組んでいく。

描き直し始めた蒼介の前に、突如明音の姿をした幻覚・アカネが現れる。蒼介は幻覚をより本物に近付け、本当の明音を描きたいと考えるようになり、二人の共通の知人や幼馴染の一國、恋人の茉莉などを通じて、明音にまつわる情報を集めていく。

明音を知るに連れて、蒼介の内面や絵に変化が見られる。下宿先に帰った蒼介は、これまで先入観で描いてきた絵の上に、真実を描いていく。



著者略歴

実石沙枝子(じついし・さえこ)

1996年生まれ。静岡県清水市(現・静岡市)出身、同市在住。『別冊文藝春秋』新人発掘プロジェクト1期生(和足冴・名義)。ペンネームの「実石」は母の旧姓から拝借。


受賞の言葉

このたび奨励賞を賜りました、実石沙枝子と申します。まずは、拙作を審査してくださった選考委員の先生方と編集部の皆様に、心から感謝を申し上げます。そして、これまで私を応援してくれた両親と、祖父母をはじめとする親族、友人。おかげでここまで来ました。本当にありがとう。

中学校入学を待つ春休みに、はじめて小説を書きました。気付けばあれから十年以上が経ち、人間の外側だけはすっかり大人になってしまいました。図書室のすみにうずくまり、一人で本を読みふけっている子どもだった私は、ネガティブさだけは一人前で、新生活を前にしていながら人生はお先真っ暗だと思っていました。そういう気持ちを忘れさせてくれたのが、読むこと、そして書くことでした。読めば、書けば、どこへでも行けるし誰にでもなれる。物語は私にとって魔法の扉です。

魔法の扉をひとつでも多く開けたくて、読み続けて、書き続けてきました。たくさんの賞にも応募しては通過と落選を繰り返し、そのたびに一喜一憂しました。いつも──とくに成人してからは、小説を書きはじめた当時の自分がお小遣いの半分以上を使ってでも単行本を買ってくれる物語を書こうと決めて、キーボードを叩いています。

ところで、未来の自分が小説家への一歩を踏み出すと知ったら、あのころの私はなんと言うでしょうか。考えてみましたが、口先では無難に「おめでとう」と言いつつ、実際には信じてもらえない気がします。

読み、書くことで、いろいろなご縁に恵まれてきました。実生活で出会った方、インターネットで出会った方。もし私が物語に救われた人間でなければ、きっと出会わなかった方ばかりです。そういう面でも、物語は魔法の扉だと思います。

今回いただいたご縁とチャンスを手放すことがないように、これから精進してまいります。そして私が書くものが、誰かにとっての魔法の扉のひとつになりますように。



【奨励賞について】

 選考会では授賞にいたらなかった本作ですが、テーマやその表現などを惜しむ声が多く上がりました。そこで選考委員諸氏の了承を経て、奨励賞とすることにいたしました。

選評

〝天才〟と〝普通〟 朝井まかて


驚いた。最終候補作のうち三作を混同してしまうほど、人物設定が似ている。透明感のある綺麗な男子、不器用で口の悪い女子、しかも天才の多いこと! 時代の好みかもしれないが、読む側はもう食傷気味です。

「文藝青春」は、暴走する普通の人々を扱ったという点で出色の作品だ。数の暴力、匿名性ゆえの暴走は今だからこそ書くべき題材だろうし、それを高校の文藝部vs.生徒会の抗争に仕立てたアイデアも面白い。が、人物造形や会話、筋運びが追いつかず、構想の放つ光を減じてしまった。心に残るセリフは多かった。飯島さん、また挑んでください。


「屋久の森」の島田さんは二年連続の最終候補、しかも昨年とはまた違う試みをしている。しかも今回は、「生きていて、ごめんなさい」と子供に言わせてしまう親、社会を題材にしたことに刮目した。やはり力量のある人だ。ところが、肝心なところで首を傾げざるを得なかった。金城が家を出た理由は説得力に欠け、主人公の万柚子が「遊馬が好き」とただ謳い上げるラストも牧歌的に過ぎる。遊馬が海辺で暴力事件を起こしてしまったのは万柚子を救うためではなかったか。筆力があるだけに、展開ありきで進めると小説の心が危うくなる。次作に期待します。


「黒い夜」は筆力、発想力において「リメンバー・マイ・エモーション」とほぼ肩を並べていた。主人公の結衣が事故死した友人の家庭で本人に成りすまして暮らす展開は突飛だが、違和感をさて置いて読み進めることができた。結衣が自身の欲を認めていたからだ。ただ、母親が毒親であると説明されているだけで、ネグレクトされている結衣の状態が読む側に迫ってこない。翔真の母親の無自覚な残酷さにはリアリティがあり、安易におめでたい解決に至らせなかったラストには作者の願い、希望を感じた。人が置かれる環境と心との関係性に筆が届く人だ。森さん、書き続けてください。


「リメンバー・マイ・エモーション」は、死者を視点人物にするという試み。死者視点だからこそ、数多書かれてきた(恋人との)死別小説とは一線を画する。しかも、蒼介の想像が生んだアカネも登場させているところに、作者の並ならぬセンスを感じた。死者と想像の人物が無理なく物語に溶け込んで、私たちの日常でも、いかに死者や想像上の人物と語り合っているかを思い出させてくれる。虚実の渡り合いを小説という虚構の中で描いた手腕には瞠目させられた。ただ、蒼介の卒業制作の描き直しのくだり──絵を描く作業は順調、でも周囲の知人からの情報収集はうまくいっていない、この状況がどうにも腑に落ちなかった。描くこと自体が明音の再生であったのでは? 彼は何のために描き直そうとしたのか? 終盤で小説の根幹部分が見えなくなってしまった。ラストもスイートが過ぎ、凡庸な終わり方になったのが残念。でも、アカネの「わたしで我慢してよ」、この一行は忘れられない。実石さん、奨励賞おめでとうございます。次点ではありますが、スタート地点に立ったのです。胸を張って踏み出してください。


「レペゼン母」は選考を忘れて読みふけった。作者の思いが先走らず落ち着いた書きっぷりで、実のある細部の積み重ねも全体のリズムにつながって心地いい。主人公は地方都市のおばさん、ろくでなしの息子との物語である。個性的な題材ではなく、完成度は高いが他の候補作のような難しいチャレンジをしているわけでもない。実は、新人賞の候補作としては不利な作品だ。選考委員としては、たとえ未完成でも誰も触れたことのない熱を孕んだ作品を世に送り出したい。今の出来不出来よりも、今後の可能性、伸びしろに賭ける。だが今回は少し違った。完成度が高くていいじゃないか。〝普通〟の人生の物語でいいじゃないか。こんなにスカッと面白い作品が新人賞なら、いっそ清々しいじゃないか! 人を元気にするのも文の芸なのだから。宇野さん、受賞おめでとうございます。おかんのラップが響く今宵、この余韻!


幅広いテーマや題材にも目を向けて 中島京子


今回最終選考に残った作品は、テーマや文体に類似性があり、どれも青春小説、もしくは成長小説といったものでした。全体的に文章のレベルは高いと感じられたのですが、もう少し幅広い題材やテーマの作品に出合いたかったなという気もしました。たまたま青春小説への授賞が重なったことが、応募作品の傾向を狭めていないことを祈ります。


そんな中で惹きつけられたのは、「文藝青春」でした。注目したのは、この小説における「普通の人々」のとらえ方です。普通とは「何もない」ことではない。「自分」がない。何かを決定する際には他人の言葉を参照する。数による自己正当化を自ら許しているのだ、というのが小説内での定義です。この小説が描いているのは、普通の人の残酷さで、それは悪意ではなく無関心。「自分とは関係ない」「そう考える人間は多数派である」とすることで、いくらでも残酷になれる人々。たしかに、昨今顕著な、匿名の多数派の残酷さ(たとえば眞子さんと小室さんに対する執拗な批判など)を、この定義は説明するように思うのです。もっとも先鋭で現代的な問題をすくい上げているところに、オリジナリティを感じました。ただ、小説としては粗が目立ち、推すにはいたりませんでした。個人的には語り手と文藝部の後輩女子が、もそもそパンを食べるシーンなどが好きです。


最終的にもっとも高い評価をつけたのは「リメンバー・マイ・エモーション」でした。語り手が死者、そしてその死者のそっくりさん(語り手の幼なじみで主人公と言える蒼介が見る幻影)登場といった、小説上の仕掛けがあります。作品全体が、蒼介が芸術家としての自己を取り戻すプロセスなので、仕掛けに必然性があり、作者の技巧を感じました。二人の未完成の天才児がお互いを自分の鏡像のように求めあっていたのに、その一方が事故でいなくなる、という状況を扱っているので、構造もテーマも複雑で、わたしは面白かったです。ただ、その複雑なテーマを若干、扱いきれなかったかなあという悔いはありました。天才を書くのは難しい。でも、果敢に挑戦した意欲も含め、わたしは本作を推しました。


「屋久の森」は、人物造型にもう少し丁寧さが求められるかと思います。誤解かもしれませんが、ストーリーを作ってから人物を当てはめたように感じられます。人物の心理的な必然からストーリーを組み立てていくと、こういう形にはならないのではというのが、実作をしている者の感覚です。設定に人物を当てはめたときに違和感があったら、大胆に設定を変えてしまうことも考えたほうがいいのでは。


「黒い夜」は、文章の上手な書き手だと思いました。主人公の少女と翔真の関係はよく描かれていて、ラストに安易な救いを描かなかったのも、小説をユニークなものにしていると思いました。ただ、非常に気になったのは大人たちの描き方でした。つぐみの両親、とくに父親はリアリティがない。母親のほうも説得力があるかというと首をかしげるところがあります。結衣の母親と翔真の母親も、「ひどい親」という役柄を与えられている二人、といった印象でした。ただ、もしかして、この未消化感は、文体のせいかもしれないと思い至りました。これが一人称小説であれば、大人たちは結衣の目を通して見えた人々というエクスキューズが成り立つので、違和感少なく読めるかもしれません。後半の意識の混乱などの描写もさらにおもしろくなるかも。次回は、試してみられることをお勧めします。


最後に「レペゼン母」です。六〇代の母と三五になる息子の親子喧嘩というのは、多くの読者にとって身につまされる題材であるのかもしれないという気がする一方で、「私に分かってほしかったことは何なんや」「一緒に晩メシ食ってほしかった」というような、その親子にとっては切実だろうが、とくに劇的でも個性的でもない親子の対話を読むのは、若干、わたしにはしんどいところもあったのですが、丁寧に書かれた佳作という印象は受けました。他の選考委員の強い推薦もあり、授賞に異論はありませんでした。


言うなら途切れぬフロー 宮内悠介


応募作品には並々ならぬものがこめられているはずだ。だから、なるべく初心に返って選考にあたった。

今回一番に推した「レペゼン母」は、梅農園を営む六十四歳の女性がMCバトルに挑むというもの。ふとしたユーモアにせよ、農園その他の描写にせよ、言うなら途切れぬフローがあり、寝食を忘れて読みふけった。「毒親」「親ガチャ」といった語がささやかれるなか、しかし「親との戦い」ではなく、親の側から「子との戦い」を力強く描いた、大人の小説であると感じさせられた。しかも、子の側の雄大はどうしようもないクズとして描かれるのに、だんだんと「これは自分かも」と思えるほどになってしまった。他方、困った子を抱えた親は、主人公に自分を投影できるはず。つまり、「これは自分について書かれている」と思わせる作は強く、今回は、それが敵役にまで及んでいるということになる。細かな点では、個々のラップの上手い下手が描き分けられていて、だからこそ、下手なバースが結果的に観客の心を摑むような場面にも説得力がある。キーアイテムのへその緒は、子離れ親離れを象徴しつつも、狭い母子の物語を越え、「へその緒を取っておくのは日本と一部アジアのみ」といった台詞を通じて、作品を暗に文化そのものへ切りこませるものとして読んだ。

次点には好対照の「黒い夜」を。ネグレクトや虐待を受ける中学生が、事故死した親友の家で亡き娘と間違われ、以来、その家の娘として生きるというもの。文章は軽いながらも品が感じられ、ダークな幕引きも、わずかな希望を際立たせて印象を残した。異様な状況に少しずつ蝕まれていく過程も自然に読める。もっとも、常識人のように描かれる相手側の父が、事実上誘拐に等しい状況をそのまま受け入れ、なんら対策せず放置するのはありえそうになく、こうした疑問もあるにはあった。


奨励賞となった「リメンバー・マイ・エモーション」は、芸術を通して死者と向きあうといった普遍的な取り組みに、死者視点の二人称と、さらにはSF的な趣向を加えた技巧的な意欲作。終始好意的に読んだものの、終盤、「きみ」の芸術に対する姿勢の変遷がやや唐突で、三幕構成にするための都合に感じられ、本作が芸術の話だからこそ積極的には推せなかった。が、他の委員より、これはむしろ天才二人の物語だという指摘があり、その観点から読み直すとさまざまな点が腑に落ちる。皆の総合点も高く、ここまで来て再チャレンジしてもらうのは理不尽にすぎるので、今回、奨励賞となって本当によかったと思う。


「屋久の森」は構成が練られており、また傘やおにぎり等々のキーアイテムがどの作よりも密に有機的にからみあう。ただ、物語が動きはじめたのが後半の四分の三地点ほどだと感じられた。おそらくは「善良なのに不器用な人たちのすれ違い」を目指したはずが、不器用を通り越して自分勝手な人たちの話に見えてしまい、せっかく尺の中心に配置した衝撃的な事実が響かなかったのではないか。


「文藝青春」が今年度最大の問題作。率直に面白く、事件黒幕の行動原理は、いわゆる「狂人の論理」の流れを汲むすぐれたものであったと思う。その上で、潔いまでにフックを回収せず、伏線を放棄し、人物を使い捨て、能力の詳細のわからぬ異能バトルあり、メタ言及あり、そしてそれを力業でちゃんと成立させる。他の著者の名を出すのは憚られるものの、本作は共通点がかなり多いので挙げてしまうと、要は西尾維新的なアプローチとなる。この書きかたをされると評価軸そのものがうやむやになり、通常の減点要素が面白さに反転し、現にこうした作の需要があり、判断が実に難しい。他作との比較から推しこそしなかったが、またぜひ送ってほしいし、それは今回残念であった三者ともにそう思う。


 なお、委員は応募者の性別も年齢も知らないまま選考にあたり、編集サイドもあくまで内容重視で作品を通す。この点はどうか安心してご応募を。次も楽しみにしています。


自分の中では僅差 薬丸岳


まず選評の前に、今回は多くの候補作で誤字脱字が目立った。それでただちに受賞作に選ばれないということはないが、選考する側はそういう面からも作者が自分の作品をどれだけ大切に思っているかということを見ているので、応募する前にせめて一回は読み返して推敲してほしい。非常にもったいない。


「屋久の森」いい話ではあると思うが、金城の余命も、妻を置いて家を出ていった理由も、まっさきに想像できてしまうもので、ありがちな物語という印象で終わってしまった。また主人公の万柚子と金城の関係が説明されるのが物語の三分の一を過ぎたあたりなので、それまでの万柚子の行動が単なるわがままな娘としか映らず、共感しづらかった。遊馬との関係も消化不良に思えた。


「文藝青春」オリジナリティーの強さは感じるものの、主人公の思考、物語の展開に自分はついていけなかった。文藝部とその他大勢の「普通の人」という構図や、「普通の人」に対する主人公の認識が受け入れがたかったのが理由だと思う。作家の多くは、むしろこの作品で言うところの「普通の人」たちが現実の営みの延長線上で物語を紡ぎ、結果的にその仕事に就いているのではないかと自分は考えるので。またナンセンス小説とふまえて読んだうえでも、終盤の畳みかたはあまりにも乱暴ではないかと思えた。


残りの三作に関しては、どれを一番に推すかでずいぶんと悩んだ。それぞれ魅力的な題材であり、小説の技術もしっかりしていると思えたからだ。

「黒い夜」文章が非常にうまく、表現も巧みで、ただそれゆえに難しい漢字や語彙も含めて中学一年生という設定に若干の違和感があった。だが、登場人物それぞれの心情に丁寧に寄り添い、人の悪意や善意もよく表現されており、身につまされる題材も相まって、先の展開や結末が一番気になった作品だった。結末は自分が期待していたものとは違った。虐待は容易に解決されるものではないという作者の辛辣なメッセージがこめられているのだろうと受け止め、他の選考委員からはこのラストだからよかったという意見もあったが、それでも個人的には主人公と母親との関係の変化や、つぐみの両親とのその後を読んでみたかった。


「リメンバー・マイ・エモーション」亡くなった人の魂が生きている人のそばにいるという物語は他にもあると思うが、そこに記憶喪失、自分が知り得た情報によってアップデートされる幻覚、さらに夢を用いながら、大切だった人を思い出していくというとても凝った造りの作品で、芸術家の性やエゴについてもきちんと描かれていて惹きつけられた。ただ、現実世界でいろいろな人たちと会って探索を続けていたぶん、主人公がすべてを思い出すきっかけがやや拍子抜けに思えた。とはいえ、独創的な設定と、それを最後まできちんと描き切ったことを評価して、三作の中でわずかの差ながらこの作品を一番に推すことにした。


「レペゼン母」序盤は梅農家を舞台に淡々とした描写が続き、いくぶん退屈に感じていたが、明子がラップバトルに参加したあたりから俄然おもしろくなっていった。親と子の間に横たわる長年のわだかまりをラップバトルでぶつけ合うというアイデアが秀逸で、ラップの内容もよくできていたと思う。ただ、それまでラップと無縁だった六十四歳の明子がわずかな期間で後半見違えるように技術や知識を習得していることには多少の違和感があったので、そのあたりの変化やギャップなどが明子の心情としてもう少し丁寧に描かれていたらさらによかったかもしれない。

「黒い夜」のリアルな痛々しさや、「リメンバー・マイ・エモーション」の独創性に比べて、自分の中では少し印象が薄くなってしまったところがあるが、じゅうぶんに魅力的な作品だと思うので授賞に賛同した。


※選考委員の伊集院静氏は体調不良のためご欠席されました。

2次選考通過作品の講評

有明けの空 碧海コオ(オーストラリア)

文体もテーマも今では古いものの、戦争における戦陣訓の功罪、捕虜となった軍人のその後、そして銃後の生活などの多層的な描き方に好感を抱いた。


社会不適合者 池田青葉(静岡県)

独特の設定にこだわりを感じる。少し描き方が浅い部分もあるのが気になるが、エンタメ小説の可能性が感じられる。


札幌バードパラダイス 伊藤一樹(北海道)

復讐を誓った主人公が追う立場から追われる立場に。殺し屋がでてきたりで伊坂幸太郎さんっぽさがあり、物語の転がし方も○。ただ、視点の揺らぎはかなり気になる。


空白がそれを象る 井上寛(大阪府)

文体、「窓」を通じて意識を行き来するという設定などに村上春樹の影響が感じられるが、模倣に留まってはいない。SNSで巧みに大衆意識に需要を植え付ける宣伝、それに対する厭悪など、現代的な問題もしっかりすくい取っている。


カリスマ発酵マルチーズ 岡本和之(兵庫県)

摑みは抜群に良い。しかし中盤以降の展開の遅さやまどろっこしさは、ネタと枚数が適切ではなかったからではないか。間延びさせなければいけないようならネタや設定のほうを見直すべき。


あなたへ 嘉村秋希(埼玉県)

筆の運びが上手く、驚いた。やや場面の区切りが曖昧で戸惑う箇所があったが、黒猫が狂言回しというチャレンジが活きている。


奉行の息子 河崎守和(東京都)

三兄弟の立身と嫁取り、時代のうねりが絡み合う。もっとしっかり三男の藤太に話を寄せた方が前進力がつくと感じた。その場合、この時代の外科手術に関してもう少し調べが必要。


与力小馬家の婿 黒井とも(山梨県)

人物の造形、物語の運び方が読者を導き入れる構えができているので細かな感情の動きなども安心して読める。すでにシリーズ化できそうで、今作だけでもひとつの事案が解決し、それが伏線になって話が拡がり主人公たちに馴染んでいく手応えまであるが、結末はあっさりしているので宇多の扱いともどももう一工夫ほしいところ。


括弧に入れろ 桑折サナエ(茨城県)

よく書けている。ただもう少し作中でヒントを提示していかないと、オチが光らない。


晴天に笑う─ラグビー少年ダイアリーズ 沢村基(神奈川県)

よくあると言えばよくあるが、スポーツを軸にした青春ものとしてよく描けていると思う。


その世の仮の苑子 曾我部慈希(埼玉県)

設定もストーリーも面白かったが、もう少しコンパクトに「主人公の成長」という軸を明確にすると良いと思う。


モノノケモノ 平大典(長野県)

「モノノケモノ」のディテールはとりわけ、よく書けている。この作品で扱っているような内容が、近い将来来るのではと思わせる書きっぷりだった。


隣り合わせ 常間地裕(神奈川県)

10代の心のさざ波を素直にていねいに描いていて好感が持てるが、それが小説作品たり得ているかは疑問。若さと可能性を考慮して○。


かくまい重蔵 なし(岐阜県)

面白い設定の時代物。文章も上手。


憧れ 人見さと(チリ)

文章がうまく読みやすさは評価できる。ただストーリーが途中盛り上がるかと思ったところで尻窄みに。ストーリー構成を頑張って欲しい。


バトン 2970(大阪府)

皆が使いがちな設定(ヒロインが乱暴を受けた過去を苦にしている)で物語を展開させているのが残念だが、主人公が婚約者の父と同居するという物語の入りが面白く、またラストも予想だにしないものだった。婚約者の父のキャラが良いだけに、このラストでよかったのかという疑問は残るが、暗くなっていないのが不思議。


腐腕 福海龍朗(埼玉県)

ありえないはずの設定を、独特の文章で説得力を持って描きだしている。また、アイデアも小説的で、好感が持てる。筆力を感じる。


雪原に咲く 不破裕(北海道)

江戸末期蝦夷地の大岡裁き。法廷ものでアクションなど動きは乏しいが、堅実な筆運びとキャラクターの良さで読ませる。身分を超えた信頼が築かれていくさまが描かれ、読後感が良い。


擬雪 眞路キク子(香川県)

歴史的事実に縛られず、ひとつのテーマを丁寧に描いていて好感が持てた。


誰かのいちばんになりたかった。 山田萌乃(福島県)

劣等感や理不尽、高校生にしてままならない思いを抱える姿が胸を打つ。四人が影響を与え合い、変わっていく様をもっと鮮やかに描いてほしい。

登場人物紹介

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