サンキュー、だけをただくり返す/井戸川射子

文字数 3,617文字

文芸誌「群像」では、毎月数名の方にエッセイをご寄稿いただいています。

そのなかから今回は、2019年12月号に掲載された井戸川射子さんのエッセイをお届けします!

サンキュー、だけをただくり返す



 高校生の時スポーケンで一ヵ月半、ホームステイをした、大きなトランクを買ってもらうのは、次いつ使うか分からない物だし気が引けた。でも持っていなかったのでシルバーピンクの、角が丸くなったやつを選んだ、封筒に入ったお小遣いをもらった。


 アメリカなのでジェットコースターの座席のすき間は大きく、学校の敷地には林が広々としていた。市から三人で行かせてもらって、他の二人とは現地の学校も分かれてしまった。学校では吉田先生だけが一人、日本語を話せた。大学みたいに、授業ごとに教室を移動して先生のところに向かっていくけれど、日本語のクラスは離れた、白い小屋でやっていたな。まだきれいで、黄色が混ざった芝から浮き出ていた。授業ではみんなでカブキの絵を描いた、自分が知っている単語しか、わたしには教えられませんでした。


 はじめて一人で下校した日は道に迷っちゃって、目印にしていた学校の高いポールも、どこにも見えなくなってしまった。それぞれに芝生を敷いて、色とりどりに同じ家が並んでいるんだから仕方ないよなと思った。背景の山も、切れ目なく囲んでいる、それぞれ名前があるのかな、それともひとかたまりの山脈? たどり着いてもこれが家だ、ってたぶん確信できない、玄関のアーチは、じゃあどんな角度と素材だったっけ。どれもが平たく、中にはたぶん大きなソファーとウォーターサーバーとかがある。


 小学校の時にも帰れなかったこと、あった。登校最初の日は先生たちが一列で連れて帰ってくれて、家に近付いた生徒から列を抜けていった。引っ越して来たばかりだったし、抜けていくっていうシステムが分かっていなかった、人数が少なくなっていって、春だけど涼しくなる空気、最後に残った、先生たちと知らない家々。薄暗くなったところで、同じ日本語の授業を取っている子が、車で通りかかり送ってくれた。


 家では地下の大きい部屋を使わせてもらって、シャワーは天井から動かず、激しく飛び出す湯水。シャワーカーテンは使い方が分からず、地面を水びたしにした。夜になれば暗いので、この世に一人の気持ちもした、静かな部屋だった。低い机の上には日本から持って来たパンダの柔らかいぬいぐるみと、大きな筆箱を並べた。あの頃必要な荷物ってそんなものだったな、筆箱はみんなむやみに大きなポーチだった、交換した手紙でどんどん膨らんでいくんだものね。


 となりの部屋はトレーニングマシンがいくつかと、パソコンが置いてあった、灰色の絨毯敷きだった。弟たちが走っている横で、母にメールを送った、パソコンで送るしかなかった頃だものな。ローマ字で書かれていると、今日、おじいちゃんと病院の庭を散歩しました、あなたのメールの、スポーケンの話をしたらすごく喜んでる、という文は遠く、自分とは関係ない体の話に思えた。ぶ厚い手の中のあのダンヒルの、黒い財布が頭に浮かびます、こうやっていつでも、思い出し合っていく準備。おじいちゃんはわたしの誕生日から入院していて、お見舞いに行くと白い病院の食堂で、二人で並んで何か食べた。この前行ってみたら、天ぷらソバもバナナパフェも、もうメニューにはなかった。武庫川を自転車で渡って帰る時、夕方、すれ違う人が全員平気な顔しているのが不思議だったのを思い出しました。でもそうか、みんなが悲しいのか。


 家の庭にはトランポリンがあって、いつも弟たちと一緒に遊んでいた。ある日帰って来たら家に誰もいなくて、裏の木の門をまたいで入った。カーテンは引かれておらず、トランポリンを跳びながら誰かが帰って来るのを待った。跳ね返ると空気は軽く、全方向、知らないものばかりだと思った、ずっと弾んでいられた。跳び方なんて何通りかしかない、白く大きな膜。昨日の雨の露で少し濡れていて、冷たくなってしまった、向こうには、西宮の甲山みたいな山が見えた。


 毎週どこかの家でハロウィンパーティーがあった、男の子はみんな部屋にアキラのポスターを貼っていた。どの家にも大きく飾られた、流れのように置かれた家族写真がその変遷を語って、並べられれば、それぞれが繫がっていた。初対面の人と大勢で集まるから緊張するけど、写真たちの前でなら長く話せた。あなたは小さい時、どんなことをしていたの? わたしの昔の話なんて、聞いてくれてありがとう。


 その時期にはそれぞれの学校でプロムパーティーがあった。男女で参加してダンスをするので、着るドレスを買いに行った。ホストマザーと試着室に入って、そんなに似合わないのも着て、紫色の薄い布が何重にもなったのにした、買ってもらって申し訳なかった。サンキュー、だけをただくり返して、他にいい言い方も分からなかった。感謝を伝える言葉を、そんなに勉強して来ませんでした。靴も買ってくれると言うけれど、わたしは本当に、日本から持って来た母のパンプスを履くからと頑なに拒み、銀色なので何にでもフィットするから、と言い続けた。その夜はそのまま肉料理の店に行って、玉ねぎの丸ごとに切れ目を入れて、ワッと揚げたものがおいしかった。


 プロムパーティーの日は学生何人かでレストランへ行って、車で学校へ向かった。後ろに詰めて座り街灯は尾を引き、ステレオからは聞いたことないラップが鳴っていた。楽しくて、でも心細さは幼稚園のお泊り保育の夜みたいだった。暗くして、ダンスミュージックのかかる体育館内部は、バスケの試合で電光掲示板を点け、チアリーダーが踊っている時の方が本当のような顔していた。


 毎週末昼はスーパーへ、夜はアメフトの試合を観に行った。スーパーはいつも、近くのウォルマートだから二、三回目で珍しくはなくなってくるけど、こう、ぐるぐるとホストマザーたちに呼ばれるまで回った。先週との違いなど見ていると小さい頃に戻るようだった。毎日スーパーに付いて行ってカートの横の棒につかまって、時々買ってもらうお菓子を選んでたんだものな、それで、嬉しかったな。今でも思い出せる、ダイエーの棚の並び。四つ持って行っていたインスタントカメラで、アメリカらしいケーキの写真を撮った。それを入れる、天使の顔がぼんやり並んだ水色のアルバムを買った、ぶ厚かったのでそれにした。


 秋の終わりに行ったので、アメフトの試合は週を追うごとに寒くなり、最後の方は重い布団を持って行って弟たちとそれを肩にかけながら観た。誰が説明してくれてもルールはよく分からなかったので、ただまぶしく照らされる芝生、走る人たちの広いすき間、回転する脚ばかりを目で追った。喜ぶ観覧席の学生たちを見ている時だけ、今、日本の教室の授業はどこまで進んでいるだろうと思った、ホットココアを飲むのが嬉しかった。帰ろう、と言われるのを布にくるまって待っていました。


 よく学校の中央にある購買に行った。学校のグッズが何種類か売っていて、フェリス、と白い糸で学校名が入った、真っ赤なトレーナーはおじいちゃんの分も買って帰った。よく着ていた、一番大きいサイズを買って良かった。最後の方の写真はその赤と、座る焦げ茶色のソファが映えていたな、文章はいつでもカウンセリングです。帰り道を大きく回っていくとマクドナルドがあって、ポテトのLを食べながら帰った。あまり買い食いしたこともなかったから、日本よりどのくらい大きいのか分からなかった。配るためにたくさん買って行った浴衣や扇子、ポケモンのお土産は、帰る前の夜にホストファミリーたちに渡した。到着した日は夜だったし、ずっと、いつ渡せばいいか分からなかったから。


 スポーケン、という言葉の並びだけでわたしには特別です。ここまで書いて、天使の表紙のアルバムを見返す、飛行機に乗るのも初めてで、機内食まで全部撮っている。持って行った黒くて薄い、PIKOの財布はもう無いな。最後の方に一緒に、赤い目で写っている前髪の長い女の子。体育の授業でいつも同じチームになってくれた、フットサルでドリブルを褒めてくれたこの子は誰だったっけ、知らない雑になっていく、かわいい思い出ばかりです。

井戸川射子(いどがわ・いこ)

詩人・作家、1987年生まれ。近刊に『ここはとても速い川』。

2022年1月号「群像」に、短篇「キャンプ」が掲載されています。

『ここはとても速い川』(著:井戸川射子)

第43回野間文芸新人賞受賞作!

第一詩集で中原中也賞を受賞した注目詩人による、初めての小説集。


児童養護施設に暮らす小学5年生の集。園での年下の親友・ひじりとの楽しみは、近くの淀川にいる亀たちを見に行くことだった。温もりが伝わる繊細な言葉で子どもたちの日々を描いた表題作と、小説第一作「膨張」を収録。


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