第54回
文字数 2,690文字
もうGWも終わりですね。
う、ウソやろ?
緑が濃くなって夏の気配が迫り来る。
ぼくらは、暖房が効いた部屋から冷房が効いた部屋に移りゆく。
脳内とネットでは饒舌な「ひきこもり」の代弁者・カレー沢薫がお届けする、
困難な時代のサバイブ術!
昨日久しぶりに映画館に行った。
ここから映画の感想がはじまるわけではない。
何故なら本当に「映画館に行った」以上のことはしていないからだ。
正確には「映画館にシン・エヴァンゲリオンを見に行く夫の雄姿を見に行った」とするのが正しい。
平素から我々は「映画館に一緒に行って別々の映画を見て帰る」ということがよくあったのだ。
双方「相手に合わせる」という発想はないのである。
しかし、今回は特に私の見たい映画もなく、さらに私はひきこもりになってから「集中力」が低下してしまったのだ。
何でもひきこもりのせいにするなと思うかもしれないが、結構関係あると思う。
「人が見ているから服を着る」ように、人を人にするのは他人の視線であり、なければゴリラ、という話は前にもしたが、ゴリラになるのは見た目だけではなく「行動」も同様である。
会社員であれば、社長のありがたい話の最中に珍しい色の蝶々が飛んでいても、それを追いかけに行ったりはしないと思う。
しかし、一人だと追いかけても誰も文句を言わないので、追いかけてしまうのだ。
つまりひきこもり生活というのは、その時やりたい事をやり、気になった物を追える生活なのである。
一見自由で素晴らしい生活のように思えるが、その結果集中力が落ちるし「我慢のきかない性格」にすらなってしまうのだ。
それが「何もしなくて良い」という状態であれば、蝶々を3時間ぐらい追いかけていても問題ないのだが、やるべきことがある場合、蝶々を追いかけている内に日が暮れ「何の成果も得られませんでした!」という日が何日も続くようになってしまい、徐々に病むようになる。
リモートワークになったことにより、コピーの紙詰まりや「何もしてないのにPCが卑猥なものを映したまま動かなくなった」と言ってくる人間がいなくなり、仕事がはかどるようになったというケースがある一方で、元から集中力がないタイプはさらに集中力を欠いて病んでしまうというケースもあった。
私も元々蝶々を追いかけがちなタイプであったが、ひきこもりになってからというもの、蝶々を追いかけている最中に発見したでかいウンコに目を奪われ、ウンコにダッシュしている間に見つけた別の蝶々を追いかけるようになってしまった。
よく「2時間もスマホいじらないなんて無理」という言い訳に映画館ファンの人が発狂していらっしゃるのを見るが、感覚的には私も「そちら側」なため申し訳ないと思う。
よって今映画館に入ったら、そういう迷惑系になってしまうと思うので、映画館まではついて行き、夫がエヴァを見る間「待つ」ことにした。
まさか私が「虚空」を見るという選択肢を選ぶとは思わなかった夫は、コナンを見たらどうだ、るろ剣をみたらどうだ、と私の趣味を微妙に理解した作品を勧めてくるのだが、こちとら映画館に入れぬのである。
だが確かに、エヴァを見ている最中、私がロビーでずっと虚空を鑑賞しているかと思ったら集中できないだろう。
よって同じ建物に併設されているマッサージを受けにいくことにした。
しかし、人里に降りてきたのも久しぶりだし、それもイオソという田舎の109に来てしまったのだ。
普通店の店員というのはひきこもりにとって、ある意味お母さんよりも会話難易度が低い相手である。
だが正直それでも緊張してしまうし、正直「怖い」とさえ思ってしまった。
やはりひきこもりになると、会話能力が著しく下がり、社会や他人に対しより恐怖感を感じるようになるのは確かである。
私のように十数年社会に存在した後、「まだひきこもっていた方がマシだし社会のためになる」と消去法でひきこもりになっているならまだいいが、学生のうちから一度も社会にでることなくひきこもり続けるというのはやはり問題があるような気がするし、親御さんも心配だろう。
よって、ひきこもりをやめさせるにしろ、ひきこもったままできることをやらせるにしろ、社会からひきこもった状態であるなら対処が必要である。
今一度「ひきこもりにどう対処するか」を調べて見たところ、ひきこもりに対してはとにかく受容が大事だという。
つまりひきこもっている状態や本人を「否定」してはならんということだ。
しかし、そうやって甘やかすからいつまでもひきこもりなのだ、という意見もあるだろう。
どんな理由があろうと、家から出ずに何もしてないというのは、毎日働いている人からすれば「怠けている」としか見えないし、決してそのままで良いはずはない。
よって「お前は何もせずにひきこもって、なんて怠け者なんだ、そんなことで将来どうする」と言いたくなる気持ちはよくわかる。
しかし皆様のおっしゃることは全部「本人も知っている」のである。
むしろ本人が一番、自分はなんて怠け者で将来どうすれば良いのか、と思っている。
よって、周りにまでそれを言われると「やっぱり」と確信に変わってしまうのだ。
そしてそれは解決を早めるのではなく「開き直りを早くさせてしまう」のである。
そうなったら何を言われても「親が死んだら俺も死ぬ」という回答しか返ってこなくなり、最悪「周りに迷惑をかけてから死ぬ」という無敵の人を爆誕させてしまう。
つまり「受容」は甘やかしではなく、「どうせ俺なんて」と思っている本人を否定することなのである。
そもそも「将来のこと」なんて、ひきこもりじゃなくても言われたらブルーになってしまい、考えたくないから思考停止になってしまうだろう。
自分が言われてブルーなことは、ひきこもりも同じかそれ以上にブルーになる、ということを理解した上で言葉を選んでほしい。
カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。長州出身の維新派。漫画作品に『クレムリン』『アンモラルカスタマイズZ』『ニコニコはんしょくアクマ』『やわらかい。課長 起田総司』『ヤリへん』『猫工船』『きみにかわれるまえに』。エッセイに『負ける技術』『もっと負ける技術』『負ける言葉365』『猥談ひとり旅』『非リア王』など。現在「モーニング」で『ひとりでしにたい』連載中&第1巻発売中。最新刊『きみにかわれるまえに』(日本文芸社)も発売中