袖振り合うも・・・『バスクル新宿』(大崎梢・著)解説/小出和代

文字数 2,159文字

高速バスターミナルを軸に、そこを発着するバスや、利用する人たちを描いた『バスクル新宿』。高速夜行バスで旅をし、そのまま新宿の職場に出社したこともあるという小出和代さんの解説から、『バスクル新宿』と大崎梢作品の魅力を一部、ご紹介します。

 2016年4月、新宿南口に大きな高速バスターミナルができた。「バスタ新宿」である。かつては新宿駅周辺のホテルや銀行の前などに分散されていた乗降地が、このバスターミナルに集約されることになった。もう集合場所まで延々歩いたり、場所を間違えて青くなったりしなくても良い。待合室は広く、ちょっとしたお土産を買う場所やコンビニもある。バスの行き先や発車時刻などは何本も先の便まで電光掲示板に表示され、乗車受付の開始や出発時間のアナウンスは頻繁に入った。実に便利だ。


 若い頃の私が、旅に出るときの交通手段として真っ先に検討するのは高速夜行バスだった。何しろ新幹線より大分安い。それに、新幹線や飛行機の遅い便で夜遅く目的地に着くより、ゆっくり食事をしてバスに乗り、寝ている間に目的地に運んでもらえる方が、当時の私には便利で魅力的だった。何なら帰りも夜出発して、新宿に朝到着、ひと息ついてそのまま出社できる。「それじゃ疲れが取れないでしょう」と呆れられることもあったけれど、体力のある年頃ゆえあまり気にならなかった。周囲を気にせず、どこでも爆睡できるタイプだったのも幸いしたと思う。バスタ新宿は、よく行く馴染みの場所のひとつになった。


 この高速バスターミナルを念頭に置いて書かれたのが、本作、大崎梢さんの『バスクル新宿』である。新宿と各地を結ぶ長距離バスと、その利用客の物語が5つ収録されている。読めばあの場所が、そのまま見えてくるようだ。そうそう、エスカレーターを上がって4階が出発フロア、3階が到着フロアなんですよね。発券カウンターがいくつも並んでいて、案内担当の人がいる受付コーナーもあって。


 タイトルから何となく、バスターミナルを舞台にしたグランドホテル形式の連作を想像してしまうけれど、実際はもっと外へ広がる作品群である。待合室での出来事だけでなく、走るバスの中や、その先にある人々の日常生活にまで筆をのばして、『バスクル新宿』は柔らかくひとつにまとまっている。


 バスが繋ぐ土地と人は様々だ。例えば第1話「バスターミナルでコーヒーを」は、主人公の女性葉月が、山形発新宿行きの夜行バスに乗ろうとするところから物語が始まる。途中で不可解なことがあって、葉月はバスに乗り合わせた老夫婦と一緒に、早朝のバスターミナルで推理を交わすことになる。第2話「チケットの向こうに」は、大学生の哲人と友人磯村が、部費を使い込んだ同級生を探しに来る話だ。焦点になるのは四国行きのバスで、居合わせた調査会社の男が2人をフォローする。第3話「犬と猫と鹿」では新宿を発着する関西方面行きのバスが鍵になるものの、舞台は中学生絵美の自宅周辺のみ、バスもバスターミナルも会話の中にしか出てこない。逆に第4話「パーキングエリアの夜は更けて」は、新潟発新宿行きの夜行バスが事故渋滞にはまり、話はほぼバスの中で完結する。そして第5話「君を運ぶ」で、物語の中心はまたバスクル新宿へと戻ってくる。


 第1話でとある人物が、「袖振り合うも多生の縁」という諺を口にしていた。この一言が、短編集『バスクル新宿』を端的に表していると思う。たまたま同じ便に乗り合わせた、偶然同じ時に待合室に居合わせただけの人同士が、持ち前の善意や少しのおせっかいを発揮して、物事を善き方へと転がしていくのだ。


 出来すぎな話だろうか? そんなことはあるまい。落とし物を拾う、誰かと席を替わる、大きな溜息をついている人がいれば、どうしたのかと少し気にかける。小さな善意は私たちの日常にいくらでもあるはずだ。


 大崎さんは、こういう「善きこと」を描くのが上手い人だ。世の中が綺麗事だけで出来上がっていないのなんて百も承知で、あえて柔らかいところを選び取って、分かりやすく紡いでみせる。私は以前書店に勤めていたのだけれど、何か安心して読める本を紹介してほしいという問い合わせを受けたときに、よく挙げたのが大崎さんの名前だった。


★この続きは『バスクル新宿』大崎梢・著(講談社文庫)でお読みください!


バスが繋いだ”縁”が
バスターミナルで奇跡を起こす


会いたい人のもとへ。届けたいもの、伝えたい思い、叶えたい夢を抱えて。さまざまな人たちが行き交うバスターミナル。そこで起きた事件をきっかけに、繋がるはずのなかった個々の人生が鮮やかに交わってゆく。目的地に向かい夜を通してひた走るバスが、人生の岐路に立つ人々を朝へと運んでゆく連作短編集。

大崎 梢(おおさき・こずえ)

東京都生まれ。神奈川県在住。元書店員。

書店で起こる小さな謎を描いた『配達あかずきん』で、2006年にデビュー。主な著書に『横濱エトランゼ』『もしかして ひょっとして』『めぐりんと私。』『27000冊ガーデン』などがある。

小出 和代(こいで・かずよ)
1994年から2019年まで紀伊國屋書店新宿本店で文芸書を担当した元書店員。現在は書評や解説など執筆活動を行う。著作に『あのとき売った本、売れた本』(光文社)がある。

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