〈4月19日〉 中山七里

文字数 1,233文字

その日、山崎岳海は


「コロナのクソッタレ」
 山崎はこの日二十五回目の罵倒を口にした。広域指定暴力団宏龍会のナンバー3ともあろう者がウイルス相手に因縁を吹っ掛けるのもどうかと思うが、腹が立つのだから仕方ない。
 実際、緊急事態宣言が発出された七日からこっち、組の収益は壊滅状態となっている。飲食店が自粛で閉店してみかじめ料が取れず、観光地や祭りに屋台が出せないからテキヤ商売もあがったりだ。経済的事情だけではない。そもそも刺青やらヤクで針を使い回すヤクザにはウイルス性肝炎に罹っている者が少なくない。また刺青自体が新陳代謝を下げているので免疫力の低下を招いている。ヤクザにとって新型コロナウイルスは不俱戴天の仇だった。
 しかも宏龍会会長は高齢に加えてヘビースモーカーなので人一倍コロナウイルスを怖れている。都知事が要望するまでもなく三密(密閉・密集・密接)は禁ずると通達してきた。
 この通達に難色を示したのが山崎を含めた幹部連中だった。幹部は組員の行動を把握するため本部に顔を出す義務があるが、広くもない事務所に組員が密集するのは危険なので取りやめになった。密閉された事務所にいては感染リスクが高まるので縄張りに出ろと命じられた。それだけではない。幹部には常時五人以上の警護がついていたが、これも密接を防ぐ目的で外された。三密を排除することによって哀れ幹部は単独で縄張り回りをさせられる羽目になったのだ。「ステイホームや」と会長は号令を発しておきながら、一方では山崎たちの尻を叩いて地回りをさせている。
 何にでも終わりがある。山崎は、宏龍会が終焉を迎えるとすれば警察による一斉検挙か対立組織との全面戦争だと予想していたが、まさかウイルスに壊滅させられそうになるなどとは想像さえしなかった。
 仕方なく新宿歌舞伎町に出掛けると、運悪くチャイニーズ・マフィアが堅気と揉めている現場に遭遇した。山崎が侠気を出してその場を収めようとしたまではよかったが、結局はマフィアともども逮捕され新宿署の留置場に放り込まれて現在に至る。
「コロナのクソッタレ」
 同じ檻に入れられたマフィアたちが昨夜から体調不良を訴えている。片言の日本語で、出された食事の味が分からないと訴えている。
 房の中は密閉・密集・密接だ。山崎は恐怖に震えながら顧問弁護士の到着を今か今かと待っている。
「早く来てくれ、御子柴先生」


中山七里(なかやま・しちり)
1961年、岐阜県生まれ。2009年『さよならドビュッシー』で第8回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、2010年1月デビュー。2020年は、作家デビュー10周年を記念して前代未聞の新作単行本12ヵ月連続刊行を実施中。近著に『騒がしい楽園』『帝都地下迷宮』『夜がどれほど暗くても』『合唱 岬洋介の帰還』などがある。

【近著】



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