小さな花の中をのぞいてまわる……『ワイルドフラワーの見えない一年』
文字数 1,019文字
人に見せている自分というものは、それぞれ全く違う気がしている。声色、目線、立ち姿。あるときはきびきびと立ち回るせっかちな自分がいて、あるときは口をぽかんと開けたのんきな自分がいる。
どれも無意識にすり替わっているのだがもちろん誰の前にいる自分も全て本物。全部をひっくるめて自分だと言い切れる。しかし、時折俯瞰から見て様々な自分がいることを不思議だなと思ってしまうこともある。
松田青子さんの『ワイルドフラワーの見えない一年』という本がある。
私は花が好き。お花屋さんも好きだけど、道端で突然現れる花には飛び上がって駆け寄るぐらい好き。この本は、誰かの脳内とそこから派生した外の世界を見ることができる一冊だと思う。花で例えるとしたらスズランです。小さな部屋のような花たちの中をひとつずつ覗いてまわるような気分でずっと読んでいた。
歴代のボンドガールが一堂に会していたり、猫を不死身にさせなかったことで誰かが神を罵倒したり、捨てられたモノたちがバカンスしていたり、ナショナルアンセムが恋わずらいをしたりする。数ページにわたる物語から、数行もしくはゼロ行の物語まで。世界が不均一。しかし読んでいる私は、それでも驚かなかった。むしろその多様な世界に心地よさを感じた。
この本は、「これは絶対におみゆにあげたいと思って!」と友人からプレゼントされたものだった。
私は、彼女と一緒にいる時の自分のことを、数多く存在する自分の中で一番”自分らしい”と何故だか思っている。こうして文章を綴っているときの頭の中にいる自分が何も纏わずに出てきているような、ある種何も考えず混じり気のない自分だ。
貰った当時はタイトルに花が含まれていることで私らしいと思ってくれたのかなと思っていたが、彼女の中にいる私はもしかするとこの本のように不均一で多様だと思われているのかもしれない。そう思うと、彼女に全て見透かされているようで少しどきどきする。
しかし、それはあながち間違いではなさそうだ。この本をこれから繰り返し読んでいくうちに、私はどんどんこの世界に吸い込まれていく気がしている。