〈6月29日〉 宮城谷昌光

文字数 1,333文字

小沼丹先生とセーヌ河畔の謎


 コロナ()に遭わないために、家にいなさい、という声があちこちからきこえると、ふだん意識しないことを意識するものである。めずらしいことに、家のなかをじっくり視るようになった。文庫本がならぶ書棚に、講談社文芸文庫がならんでいて、そのなかの数冊がすべて小沼丹先生の作品であることにおどろいた。恩師の作品である。私は嬉しくなった。初期の『村のエトランジェ』から後期の『珈琲挽き』まである。それらを買ってきたことを忘れていた。
 私は大学を卒業して雑誌社に勤めるようになってからも、二、三か月にいちど、三鷹(みたか)の小沼先生を訪ねては、話をうかがった。先生は小説家志望の青二才の相手をよくしてくれたものだ、といまさらながら頭がさがる。
 先生は英文科教授という肩書きのまま、ロンドンに留学なさった。そのロンドン滞在の成果は『椋鳥日記』にこめられている。私は帰国後の先生から土産話をきくことができた。その話のひとつに、こういうものがあった。
「吉岡がヨーロッパ旅行の途中で、フランスにくるというので、パリで会ったんだ。セーヌの河畔で赤ワインを飲もうということになり、注文したところ、ボーイがパンとミルクをもってきた。どうしてだろうかね」
 話のなかの吉岡というのは、吉岡達夫さんのことで、私のもとの上司であり、小説家でもある。先生はその話を微笑をまじえておっしゃったが、私は笑わなかった。笑えなかった、といったほうがよい。
 ――とんまなボーイだ。
 と、笑い飛ばしてしまえば、その話も記憶の外に飛び去ってしまったであろう。その後、小沼先生が亡くなられたあとも、憶いだしては、なぜ赤ワインがパンとミルクになったのだろう、と考えた。そんな謎が十年以上も解けなかったのだから、私こそとんまであるというしかない。
 あるとき、こういうことではなかったか、と思いあたった。先生は赤ワインの赤を、フランス語のルージュではなく英語のレッドと発音したのではあるまいか。それをボーイはフランス語のレつまりミルクと理解した。つぎにワインは英語でワインそのままだが、フランス語ではヴァンである。先生はレッド・ワインと発音したか、もしかしたらレッド・ヴァンといったかもしれない。そうなると、レ・エ・パンつまりフランス語でミルクとパンになる。謎解きのあまりの遅さに、天上の先生は苦笑なさったであろう。


宮城谷昌光(みやぎたに・まさみつ)
1945年愛知県蒲郡市生まれ。『天空の舟』で新田次郎文学賞を、『夏姫春秋』で直木賞を、『重耳』で芸術選奨・文部大臣賞を、『子産』で吉川英治文学賞を受賞。中国古代に材をとった歴史ロマンの第一人者。『孟嘗君』『管仲』『楽毅』『晏子』『王家の風日』『奇貨居くべし』『太公望』などの小説、エッセイの『クラシック 私だけの名曲1001曲』ほか著書多数。近著に『呉漢』『三国志』『呉越春秋 湖底の城』『劉邦』『窓辺の風 宮城谷昌光 文学と半生』などがある。2006年に紫綬褒章、16年に旭日小綬章を受章した。

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