呵責の旅 /秋川滝美

文字数 3,034文字

呵責の旅

 旅に出るとなると、着るものから悩む。

 そんなことは当たり前ではないか、とおっしゃる方、とりわけ女性には多いと思うけれど、私は身繕いに関してかなり無頓着な人間で、ほとんど周囲への暴力に近いレベルとなっている。

 好み重視、着心地重視、TPOには多少は気をつけるけれど、プライベートならなんでもあり。私にとって、冠婚葬祭及び重要な取引相手との会合ならいざ知らず、旅、しかもひとり旅に出るにあたって服装を気にすることなど稀なのである。あるとしたら出発地と到着地の気温差による調整くらいであろうか。

 そんな私が服装に悩む。クローゼットの奥に突っ込まれていたスラックスやジャケットを取り出し、アイロンをかける。本当はスニーカーを履きたいのに、辛うじてビジネスシューズに見えそうなウォーキングシューズを選ぶ。鞄だってただのリュックではなく、以前興味本位で買った3WAYバッグとやらを引っ張り出す。手提げはもちろん、リュックにもショルダーにもなるビジネスマンに人気という鞄だ。中に入っているのはノートパソコン、タブレット、各種充電器にモバイルバッテリーといったガジェット類ばかり。もちろんこれらは必要だから持っているのだが、時には車内や機内で取り出して、メールのチェックやメモの作成に勤しむ。

 なぜこんなことをするのか。それは、『どうか出張に見えてほしい』という一心、この様子を見ればお楽しみの旅とは思われないだろう、不要不急という言葉から逃れられるのではないか、という気持ちからなのだ。


 物書きにとっての取材旅行は不要不急なのか。これは目下、私にとってかなり大きな問題となっている。

『え、あの内容で?』と仰天されるかもしれないが、拙作には書くにあたって調べねばならないことが多い。ただでさえ知識や経験が絶対的に足りない上に、なんとか持っているものですら得たのは元号をふたつぐらい跨ぐような大昔である。確かめもせずに書いた日には非難囂々、炎上しまくって巨大な焼き豚が出来上がる。しかも脂身ばっかりで胸焼け必須の代物が……

 そんなこんなで調べる。知識だけなら資料を取り寄せたり、インターネットを利用したり、でなんとかなる。問題は経験のほうだ。

 私の場合、料理もお酒も実際に食べたり呑んだりしないと文字にするのが難しい。想像で書いたところで、ぜんぜん美味しそうに見えない。読んでいただいた方に、本当は食べてないでしょ? と疑われるのが落ちだ。

 とにかく現地に行って、風土もろとも味わう。それができなければ取り寄せ、最低でもレシピと首っ引きで自ら作って食べる。旅ものについても、できるだけ足を運んで、その風景を目の前にしたときになにを感じるのかを確かめる。時を隔てた時代物であっても、大きな図書館で禁帯出の資料にあたる、博物館や古い町並みに出かけ、当時の屋根の高さや道の幅、道具類のサイズを体感する――私の作品はそれらの行動があってこそ成り立ってきたのである。

 そういう意味で、私の想像力には大きな問題があり、根本的に作家としてなっちゃいない! むしろライター向きなんじゃ……と言われかねないタイプだが、なあに、ライターの素養だってありゃしない。調べるのも中途半端なら、調べたものを文字にするにも勝手に出鱈目が入り込む。こんなライター、私が雇い主なら即刻お払い箱、一昨日来やがれ、である。

 いずれにしても、私が知識、経験、想像力までも不足している物書きで、家に閉じこもっていては仕事にならないという現状はご理解いただけたと――どかっ! どすっ! ばしん! きゅう……(秋川、各方面からお仕置きを受けた模様)


 閑話休題。本当は自分でもわかっているのである。

 新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から言えば、こんなものはただの言い訳、こじつけ以外の何者でもない。体験しなければ書けないなら書くな、他にも書き手はいくらでもいる。おまえなんぞより優れた作品を、家から一歩も出ずに生み出せる作家が山ほどな! とお叱りを受けることぐらい、重々承知なのである。

 それでも私は書く。拙い知識や経験を無理やり補いながら書き続ける。

 なぜなら、空気にすら明確な重みを感じ、明日が見えないような今だからこそ、私が書く何気ない日常の物語を求める人がいる、いてほしいと願うからだ。さらに、文字を通じていろいろな疑似体験をしてほしいと……

 中には、疑似体験は酷だと言う方もいらっしゃるだろう。自分は出かけられないのに、作中の人物が楽しそうに旅をし、呑み食いを楽しむ姿なんて見たくないと考えるのも無理はない。だが、その一方で、せめて物語の中くらいは……と考える方もいらっしゃるはずだ。

 作中の人物が店の人とやりとりしながら、美味しいものを食べたり呑んだりする。電車やバス、車、時には飛行機に乗って気ままに旅をし、心地よい湯に浸かる。景勝を眺め、名産品を買い込む……そんな様子を読みながら、心の片隅にメモを取る。

 行ってみたい場所、食べたいもの、呑みたいものを書き連ね、いつかきっと来るその日を待つ。そうすることでわずかでも楽しみが生まれ、この重苦しい時をやり過ごすことができるのではないか――そんなふうに思っているのである。

 テレビの画面には、今日も外で過ごす人々が映し出されている。

 駅、空港、商店街に大きな交差点……時折インタビューされている人を見て、眉を顰める方もいるに違いない。そうやって出歩く者がいるからいつまでたっても収まらない、仕事だろうとプライベートだろうと関係ない、とにかく動くな! と怒りを抱く人も多いだろう。

 その一方で、外にいる人にはやむにやまれぬ事情があると考える人もいる。家ではできない仕事だってあると……

 世界規模の未曾有の事態を前に、価値観はばらつきまくっている。そもそも絶対的善もなければ、絶対的悪もない。誰もが己の信じるところをおこなうしかないのだろう。


 かくして私は旅に出る。緊急事態宣言の合間を縫い、取材という名の下に、これは仕事だ、ひとりだから大丈夫だ、と周りばかりか自分までごまかしながら……

 心にはいつも呵責がある。仕事がなければ必要のない旅であっても、いざ出かければやはり楽しいし、食も酒も堪能する。

 せめて出張に見えるような服装を……なんて卑怯な考えが浮かぶのも、こんな事情では『不要不急』という言葉から逃れられないとわかっている以上に、楽しんでいる自分を知っているからだろう。

 アイロンがしっかりかかったスラックスやジャケットが鎧になるはずがない。これ見よがしに電車や飛行機の中でパソコンを取り出したところで、ただ虚しいばかりだ。それでも呵責の旅を続ける。どこかにひとりでも、拙作をよすがに苦しい時を耐える人がいると信じて……


秋川滝美(あきかわ・たきみ)

2012年4月よりオンラインにて作品公開開始。2012年10月、『いい加減な夜食』(アルファポリス)にて出版デビュー。著書に「ありふれたチョコレート」シリーズ、「居酒屋ぼったくり」シリーズ、『きよのお江戸料理日記』(いずれもアルファポリス)、『田沼スポーツ包丁部!』「放課後の厨房男子」シリーズ(ともに幻冬舎)、『向日葵のある台所』「ひとり旅日和」シリーズ(ともにKADOKAWA)、「幸腹な百貨店」シリーズ、「湯けむり食事処ヒソップ亭」シリーズ(ともに講談社)などがある。
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